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『境界線 』
化野 鳥太郎la0108)&Ashen Rowanla0255



 不可視の、しかし確かにそれは、存在する
 踏み越えることはできない、許されない、許さない



 『エルゴマンサー撃破!!』
 その事実は、成し遂げると同時に拡散された。
 多くの医療班が現地へ駆けつける。
 血の海の戦場で、倒れた仲間たちの応急手当をしていた化野 鳥太郎(la0108)やAshen Rowan(la0255)にも、ほどなく引き上げるよう指示が下る。
 重体者が搬送される様子を見届け、鳥太郎はようやく冷静さを取り戻したようだ。
 サングラスの向こうの赤い瞳が醒めたものになる。
 Ashenの不機嫌そうに寄せられた眉は、動くことは無かった。


 場所はロシア。
 自宅へ日帰りできる距離ではない。
 SALF支部に宿舎も併設されているが、今は病院へ入りきらないケガ人が優先して入っていた。
「へー、ここに宿泊か。良いホテルじゃない?」
 鳥太郎は、案内されたホテルのロビーで、広い天井を見上げる。
 グランドピアノも置いてあり、今は美しいロシア人女性が演奏をしていた。
 交渉すれば自分も弾かせてもらえるだろうか。
 しかし、まずは汗を流したい。飯も食いたい。重い体をベッドへ放り出したい。
 同様に案内されたライセンサーたちがフロントに列を作る中、鳥太郎は自分の番が来るのをじっと待つ。
「料理はどんな感じだろうね。戦いの最中だし、贅沢は望めないだろうけどさ」
 最後尾である後ろのAshenへ話しかけるが、軽く鼻を鳴らされて終った。酷い。
 
 ――申し訳ありません!

 そこへ、ホテルのスタッフが青ざめて駆け寄ってきた。
「……部屋数、1つ足りない? え? それって」
 鳥太郎はAshenの顔を見る。相変わらず表情は読み取りにくい。が、眉間の皺が深くなっている。
「えーと。2人で1部屋。シングル。デスカ」

 プライドでロシアの夜を外で過ごせるか? ――Нет(いいえ)と告げる選択肢しか、なかった。




 夕食は、ビーツを使った赤いスープのボルシチと、ライ麦の黒パン、簡易なサラダ。
 シンプルながらも、思い描くロシア料理らしい料理。
「サワークリーム……スープへ入れるの? パンに塗った方が美味しそうなんだけど。あ、パンにはニンニクがセット って1枚に1欠片!? 多くない?」
「静かに食べろ。好きにすればいいだろう」
 レストランでも相席。
 異国文化に直面して高揚気味の鳥太郎へ、Ashenはブレずに冷静だ。
 火酒を喉へ流し、サワークリームを溶かしたスープを口へ運ぶ。
 熱いのは酒か、スープか。
 いずれにせよ、戦闘での昂ぶりを落ち着かせる薬のようだ。
 食後のデザートまで話題にする鳥太郎をそのままに、Ashenは静かに食事を済ませた。


 戦いにおける消耗は、ほとんどない。
 しかし休息は必要で重要とAshenは考える。
 シンプルな夕食も、狭いシャワールームも、満足のいく質ではないが心身をほぐすには有効だ。
 しかし。
(――コレと同室同床なのは何の嫌がらせだ)
「ベッドで一緒に寝よ、狭いけど入るって」
 先にシャワーを済ませた男は、狭いシングルベッドに無理やり作った空間をポンポンと叩いている。
「お前が床で寝ろ」
「ロシアの外気もビックリの低温ボイス」
 氷点下の眼差しも想定内とばかりに、鳥太郎は笑って受け流す。
(降りろと言っているのだが)
「…………」
 眼差しで訴える。相手は期待の眼差しを返す違うそうじゃない。
 Ashenは深く深く深く息を吐きだし、壁を背に座り込んだ。
 シガリロを燻らせるうちに、苛立ちも鎮まる。

 長い、一日だった。
 目をつぶれば、血の海が甦る。匂いにおぼれる。
 ――届かない、この手は この脚は この場所では 声すら出ない

 暗転。全ては灰になる。




「ローワンさんは戦闘後、目が冴えて困ったりしないの? 俺はそうなんだけどさぁ」
 Ashenが自身の思考へ没入した直後、鳥太郎の声で引き揚げられた。
「…………」
 恨めしそうな眼差しに、鳥太郎は気づかない。
「同室がローワンさんで良かったよ。ホテルに来てから『あー、ロシアなんだなー』って実感出ちゃって、変に焦った」
 相手の反応を待たず鳥太郎は話し続ける。
 緊張の糸が切れたためか。不安を紛らわすためか。
 返事の代わりに、Ashenはシガリロをもう1本取りだした。ゆるりと煙が立ち上る。
 休息はとる。黙って聞いていてやる。
 ――と、鳥太郎は理解した。

 陽が落ちた途端の冷え込みが凄い。
 料理がハイカロリーなのは寒さを乗り越えるためなのかなっとく。
 朝ご飯はなんだろうね?

 問わず語りの陽気な声。
 天真爛漫のようでいて、その逆なのだろう。
 戦場での鳥太郎の様子を、Ashenは思い起こしていた。
 冷静に戦況を見極めているようで、感情に引きずられているようで、しかし最も冷静になるのは『終わってから』。
 全ての終了を告げられた時の、醒めた赤い瞳。
 感情と行動・決断に差異がある。
(…………酷くキモチワルイ)
 吸いきったシガリロをアッシュトレイに置く。もう1本続けるか、どうするか――

「……無事だといいけど」

 白い枕を抱いて、鳥太郎はポツンと呟いた。
 Ashenの手が止まる。顔を上げる。
(それをお前が言うのか)
 案ずるなら、最初から戦場へ出さなければいい。
 力を持っていたって、幼子は幼子だ。身体的に成長しても、子供はまだまだ子供だ。
 子供が戦場へ出ることを、Ashenは望まない。しかし、鳥太郎は。

「――何故、あいつの行動を制止した。『選択は尊重する』と。お前はそう言った筈だ」

 重体となり、搬送され……きっと鳥太郎が今、案じている少年の行動は、Ashenの心にも影を落としている。
「尊重するさ。あの時、あの選択は必要な勇気だったと思ってる。誰にだってできることじゃない」
 固い意思と勇気が無ければ、実行できなかった。
 実行すると宣言した少年の『心』を鳥太郎は守りたい。
「だから俺は何も言わない」
「言っただろう」
「ああ、うん、叫んだけどね……?」

 脊髄反射のように名を呼んだ。
 敵の牽制が無ければ、その足は少年の元へ向かっただろうか? 作戦を無視し、身体を張って盾になった?

「……俺が感情を抑えられなかっただけ。ただそれだけだよ」
「………………」
 理解できない。理解できない。理解できない。
 Ashenは抱くべき感情も、表すべき表情も、全てが停止する。
(――――いや)
 理解する必要はないのだと、ややあって考え直す。
(他人の内面を深く理解する気はない、…………したくもない)
 共感も賛同も出来ないが、それが『化野 鳥太郎』という男の価値観なのだ、と――ナイトメアの特性を観察する際と同様に『受け止める』。
 踏み込んではいけない。
 『決めた』事を遂行する際に鈍りかねない。
 『惑い』は、ない。
 Ashenは、揺らぐわけにはいかないのだ。

「そうか」

 だから、返す言葉は1つだけ。
 これは理解ではなく観察だ。『脅威』を測る為の。異界の存在のような、この男の。
「ありがと……」
 しかし鳥太郎は好意的に解釈したらしい。
 安心したかのように、ニッと笑ってみせる。
「もう喋るな」
 くらくらと頭痛がするのは、疲労か。酒のせいか。どちらも否。間違いなく、ベッドの上のあの男のせいである。
 Ashenは短く告げ、常備しているロクムを放り投げた。
「え、くれるの? ありがとー。甘いもの食べるとホッとするよねぇ……――あッッッま!!」




 胸に突き刺さる衝撃は。後頭部を殴りつけるような衝撃は。
 一瞬にして、理性をかっさらう。
 作戦段階で伝えられ、予測できていたことであっても。
 たとえば自分が傍近くに位置し、すぐさま盾となれたなら守れたかもしれない。
 しかし鳥太郎にも、鳥太郎にしかできないことがあった。
 『この身を盾にして』と願うことは出来ても、実現は現実として非常に難しい。
 イマジナリー……想像力を具現化する能力を持っていても、越えられない壁がある。
 自分たちが生きている世界は、何処までも現実だ。
(ローワンさんは優しい)
 ロクムの甘さに頭を殴られながら、鳥太郎は再びベッドへ横になる。
 乾きかけの色素の薄い金髪が額に落ちる。

 ――子供が戦わなくても良いように

 鳥太郎は、そう願い勤め先を辞めてライセンサーになった。
 しかし所属してみれば、勤め先の子供たちと同じくらいの年齢のライセンサーが、固い決意を胸に戦場を駆けている。
 この世界で生まれた子も。故郷へ戻る術を断たれた、異世界から来た子も。自我が目覚めたばかりのヴァルキュリアの子も。
 どうして彼らを止められるだろう。
 自分にできることは、せめて、彼らが不必要に傷つくことのないよう立ち回るだけ。
 意思を尊重し、心が潰れないよう動くだけ。
 それが現実なのだと受け入れる鳥太郎と対照的に、Ashenは憤るのだ。
 鳥太郎に対し怒り、叱る。
 それは彼が優しいからで、眩しいと思う。
 意見をねじ伏せることはしない距離感は、詰められそうで詰められない不可視の境界を感じるけれど不快ではない。
 冷静で、頼りになる友人だ。
「……ありがと」
 もう一度、言葉にして。コトンと鳥太郎は眠りに落ちた。




 どこかで野鳥が囀っている。身を寄せ合い、笑い合うように。
 豊かな緑の葉擦れの音。吹き渡る爽やかな風。
 草原は果てしなく続き、青空が並走するように広がっている。
 幼子たちが、無邪気に走る――……


 いつの間に寝入っていたのだろう。
 意識を取り戻したAshenが体を起こす。ベッドの上は無人だった。


 チェックアウトやレストランへの出入りが激しいロビーへ降りる。
 案の定、ご機嫌にグランドピアノに指を滑らせる男の姿があった。
 曲名はわからない。彼のオリジナルなのかもしれない。
 朝に相応しい明るい旋律をメインに、自然風景を思い起こさせる高音が踊る。

 この演奏に、夢を見せられていたのか。
(……寝ていた、のか)
 Ashenは己の気質を理解した上で、驚きを抱く。しかも、この男のピアノに影響を受けたとは。
 夢は夢でしかない。
 願望は願望でしかない。
 どれほど祈ろうと、実現させるのは『自分』しか居ない。目の前にあるのは現実だけだ。
 わかっているのに。
 夢で見た、あの景色は――……

「おはよう、ローワンさん。体、痛くない? 大丈夫? ちゃんと眠れてた?」
 演奏を終えた鳥太郎は、しっかり熟睡しましたという笑顔だ。

 夢も願いも祈りも全て、叶えるのは自分という現実ならば。
 それなりに英気を養い、今日を生きていく必要がある。
 理解する義務も、受け容れる謂われもない。
 『脅威』となり得る境界線の見極めさえ、しておけば。
 一夜明けたことで、Ashenの心の揺らぎは無くなっていた。正しくいうならあるべき形へ定まった。
 やたら距離の近い男に対する苛立ちも今は鳴りを潜めている。

「…………食いはぐれるぞ」
 朝一番の不機嫌顔で応じ、Ashenは2人分の朝食チケットを提示した。
 焼き立てパンケーキとコーヒーの香りが、肩を並べて歩く2人の男を出迎える。




【境界線 了】


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼、ありがとうございました。
激闘を終えた一夜、お届けいたします。
対照的なお2人の、それぞれの胸の内。眠れない夜。
近くて遠い距離、互いの為の境界線。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
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2019年09月03日

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