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『移ろう季節の楽しみ方 』
桃簾la0911

 扉を開けた瞬間、ロビーから流れ込むひんやりとした空気が桃簾(la0911)の頬を撫でる。外では日傘を用いるようにしているとはいえ、直射日光は緩和出来ても歩道に敷かれたコンクリートの照り返しには無力だった。今日は近頃の平均気温を若干下回っているものの、外に出て一分もしない内に肌に汗が滲むのが分かる。桃簾を居候としてこのマンションの五階に住まわせている保護者の青年などは一年中自室に引き篭って、ネット社会万歳と全く影響がなさそうだが、桃簾は図書館巡りが趣味であるし、今回のように別の用事で出掛ける場合もある。特にバイトや任務は外せず、後者は戦場が概ね野外となるため肌の露出が苦手な自分にとって最も大変な時期といって過言ではない。
 カフェで飲み物を注文し、一息ついてから自宅へと戻る。そうすれば三人暮らしなので心当たりは一つと家政婦が出迎え後もエアコンをつけるためについてきてくれる。実年齢や経歴は不明なもののそれなりに年季が入っているだろう彼女は桃簾の素姓や仕事内容について詮索せず、こちらが何か知りたいと思ったときは懇切丁寧に教えてくれるという付かず離れずの距離を保つのが上手だ。いっそのこと、全部見透かしているのではと思ってしまうほどに。視線はさりげなく桃簾が手に提げた袋に向けられて、良い物を購入出来た喜びと再び音を聴きたい期待感が顔に出ていたのだろうか、それは何かと訊かれる。桃簾はふふと笑みを零すと袋を少しだけ持ち上げながら答えた。中の箱から若干篭っているものの、微かに音が鳴り聴こえ家政婦も夏の風物詩だと楽しげに笑って言う。
「すぐにでも取り付けるつもりです。手が空いたときに是非見に来てください」
 良い品だから見せびらかしたいと、そんな子供じみた考えがふと湧き起こる。桃簾の思惑を知ってか知らずか家政婦はえぇ勿論と首肯した。話している間に自室に到着し中に入ると、いつものように彼女は照明のスイッチの隣にあるリモコンを手に取り、冷房をオンにする。そして一礼するとすぐに部屋を出ていった。壁の時計を見れば丁度お八つ時なので、何かお菓子を作るのだろう。
 リビングの中央に配置されたテーブルの前、ソファーに腰を下ろすと早速箱を取り出した。すると一緒に店名と住所、連絡先が記載された紙が出てくる。今回は最初から目当ての品があったのと、別の種類も見せてもらったのもあって、あまり他の物は見れなかったのだが、次に立ち寄ったときはまた色々な品を鑑賞してみたいものだ。所謂時代劇的な雰囲気が濃い店だったが、普段使いにしてもいい洒落た雑貨が取り揃えられていたので、一通り見切ることも難しそうである。しかしまあ、それは次の機会に置き。
 箱を開けて手に取ったのは砂張製の風鈴だ。硝子製の絵付けされた物も美しかったが、水彩のように濃淡が浮き上がった不思議な色合いは、年代物に似た重厚感があり目を楽しませてくれる。技巧を要するだけに一般的な物と比べ値が張ると言っていた。紐を持って軽く揺らせば鳴る音色の涼やかさは確かに桃簾の琴線に触れるものだ。目を閉じて余韻に聴き入っていると足元に温もりを感じた。そちらを見れば以前に故あって譲り受けた猫のコリオスとオクトが興味津々に目を輝かせて風鈴を見ている。音が気になってベッドから出てきたのだろうが、その視線は風鈴の下で揺れている花火柄の短冊を追う。飛びつかれるのを警戒してというよりはただ反射的に桃簾は二匹には届かない高さにさっと上げた。
「玩具のようにゆらゆら揺れて、気になるのは分かります。ですが傷つけてはいけませんよ」
 直接言葉を交わせずとも、きちんと口にすることで動物にも人の意思は伝わるものだ。二匹を生後一ヶ月ほどという赤子も同然の時分に引き取ったのだから尚のことである。硝子のように割れる危険はないとはいえど、短冊に傷がつく可能性は勿論、猫たちが怪我をしてしまうかもしれない。そうならないよう充分に注意を払うつもりだが。目を見てそう語りかければ二匹ともじっとこちらを見返し、コリオスがにゃあと返事のように鳴く。それで伝わっているものと信じて桃簾は立ち上がると窓の傍に向かった。その後ろを二匹が追いかけてくる。
 キャットタワーからは届かないけれど、窓の開け閉めに邪魔にならない位置を選び飾りつける。固定するためにしっかりと紐を結うと短冊が揺れて舌と外身が触れ合い、澄んだ音色が桃簾の鼓膜を刺激して心の内にまで染み入った。
 梅雨の頃には冷夏と言われていたのが、蓋を開ければ、酷暑という表現が相応しい外気温が連日続いている。桃簾の故郷であるカロスはこの世界でいうところの常春で、だから最初は全く慣れず辟易としたものだ。機械とはすこぶる相性が悪い――自分に言わせれば機械に嫌われている――ため、青年や家政婦の手を煩わせるのが難点だが、対策を怠らずとも倒れる危険があり、最悪の場合死に至ると聞かされてはエアコンを使わざるを得ない。しかし本を熟読しているとそれはそれで体調を崩す恐れがあり、近頃は高く設定してもらっている。
 充分に快適なのは確かだ。しかし故郷に機械が無い桃簾からすると情緒に欠けるというか、有り難くも味気ない感が否めない。だから、昔ながらの涼を感じる手段らしい風鈴で気分も涼しくしようと購入するに至った。
「風箏とも言うのでしたか。風で鳴る箏……」
 風鈴の生まれた国では吉兆を占うのに用いられていたため占風鐸とも呼ばれていたらしい――と得た知識を反芻する。箏にしろ鈴にしろ楽器のように美しい音色であることに違いはなく、その清らかさは魔除けの意味を持つのも納得だ。故郷にある楽器に似ているという理由で馬頭琴を嗜む身としてはそうと聞き郷愁の念を抱いたりもする。
「鈴に声あるか、風に声あるか……鈴が無ければ音は鳴らず、風が無くても音は鳴らず」
 ――どちらが欠けても鳴らない音は、果たしてどちらのものだろう。
 領民に安寧を齎すためには究極的にいえば、領主という名の信頼に足る旗頭があればいい。然りとて人間は不死に非ず、その血筋を持つ男子が継いでそしてまた次の世代へと託していく。鈴と風が二つで一つだというならば、それは領主とその妻か、あるいは補佐役か。婚儀の最中に転移したので身を以て知ることは出来ていないが、先に嫁いだ姉や父と長兄の二人を支える次兄の顔がふと思い浮かんだ。寂しいというよりただ懐かしく、この世界で知り得た様々な事柄を糧に、胸を張って帰りたいと願った。
 桃簾の足元にいるオクトが物珍しげにじっと風鈴を見上げ、コリオスはタワーに上ると前足を伸ばすが届かずに、招き猫のような仕草をしながら首を傾けてみせる。二匹をひと撫でしてから、桃簾は再び風鈴を眺めた。先日年下の友人と共に出掛けて見た思い出があるので選んだ花火柄の短冊に、内装にも取り入れているくらい好きな青色の紐。この風鈴と巡り会えたのも、元は縁を結んでのことだ。良い記憶は愛着に繋がる。
「この風鈴も持ち帰られれば良いのですけれど……」
 果たしてどうなることか。しかし帰る宛てもない以上、懸念しても仕方ないのも事実。とりあえずはこの暑さを、涼やかな鈴の音と見目も優雅な風鈴と共に乗り切ろう。無論アイスも欠かせない。満足げに頷いて、お菓子の前に汗を流そうと桃簾はバスルームへと向かった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
もう九月頭になってしまったので風鈴と一緒にこの夏を
過ごした後ではありますが、絶対に忘れられない故郷や
地球での生活が長くなって経験した様々な出来事を
踏まえつつのふんわり日常話にしてみた……つもりです。
前にも言っていますが、桃簾さんは故郷の話を出しても
懸念はあっても戻るか戻らないかの葛藤がないので
暗くならないのがらしさなんだなと思っていたりします。
保護者さん家政婦さんとの信頼関係も大きいかもですね。
猫ちゃんたちのことも安心して託していけそうというか。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2019年09月04日

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