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『連理の比翼で』
迫間 央aa1445)&マイヤ 迫間 サーアaa1445hero001

「いい天気ね」
 カーテンを引き開け、雪崩れ込んできた朝の光に目をすがめながら、マイヤ 迫間 サーア(aa1445hero001)はつぶやいた。
 その衣装は、今まで頑ななまでに脱ごうとしなかったウェディングドレスではない。ごくごく普通の、ただしオーバーサイズな男物のワイシャツである。なかなかに大胆な有様と言えるわけだが……そのあたりはきちんと対策してあるので、のぞかれるような心配はない。
「ごめん! カーテンちょっと閉めてくれるか!? 見えない……」
 ああ。マイヤは小首を傾げて苦笑、そっとカーテンを元通りに閉めた。
「ワタシがごめんなさいよね。忘れてたわ」
「いや、俺のせいだから。マイヤはぜんぜんあやまる必要とかない」
 生真面目な顔で応えた迫間 央(aa1445)は、手元を照らしていた作業用ライトの角度を調整し、下に置いた4本の竹棒の1本を取り上げた。その縁に小刀をあてがってささくれを削ぎ落としてサンドペーパーで磨いた後、よしと息をつく。
 ちなみに央は竹刀を分解し、手入れをしている。店に任せるほうが簡単なのだが、それをしないあたりはまさにこだわりというものだろう。
「組みなおすとき、油もいっしょに入れてやらないとな。こいつはしばらく後方送りだ。そうなると次の稽古は――」
 ぶつぶつ悩む央を置き去り、コーヒーメーカーで2杯分のコーヒーを淹れるマイヤ。それを家具量販店で買ってきたおそろいの保温マグに注いで左右の手で持ち、右手のほうのマグを央の前へ置いた。
「稽古用には始めから別の竹刀使えばいいんじゃない?」
 マイヤの言葉に央は強くかぶりを振って。
「いやいや、道具は使ってこそだからね。飾っておくのは趣味じゃない」
 このひと振りは、央が社会人になって初めて買った竹刀だということをマイヤも知っているし、それに――
 最近の央は、歳下の剣士たちと共に稽古へ励んでいる。深い思い入れのある相手との研鑽だからこそ、深い思い入れのある竹刀で臨みたい。そして手入れもまた、誰の手にも委ねたくない。そんな男子ならではのこだわりは、女であるマイヤにも感じ取れるから。
「そうね」
 それだけ応えておいた。
「せっかくの日曜日なのに、朝からいきなりこんな有様でごめん」
 申し訳なさげに言いつつもけして作業の手は止めない央へ、マイヤは薄笑みを返して。
「しかたないわね。好きなことへ夢中になるのが男の子なんだから」
 彼女の言葉に、央はしみじみとうなずいた。
「こういうところは変わらないんだよな。体は老けてくのに、心は中学生くらいで止まって固まってる感じで。いや、経験はちゃんと積んでるから、中学生のままなんてことはないんだけど――ないよな?」
 自問と作業の邪魔にならないよう、マイヤは央から離れてソファへ腰かける。
 そして力を抜き、息を絞り、鼓動を抑え、気配を鎮め、“空”と化した。
「……マイヤ、目力。目力強すぎて見られてるのわかるから」
 たまらず振り向いた央へ、マイヤは気配を断ったまま強く輝く瞳を向ける。
「夫の夢中を見守るのは妻の楽しみで、嗜みよ」
 言い切った後、さすがにまあ、ストーカーみたいでよくないわよねと反省した。
「ぜんぜんストーカーじゃないから」
 あえて宣言しておいて、立ち上がる。
「ワタシ、叢雲の刃でも研ぐわね」
 と、今度は央があわてて「待った待った!」。
「研ぐなら見せてくれ! 俺だとマイヤほどうまく遂げないからコツが知りたいんだ。やっぱりほら、愛剣の手入れはちゃんとしたいし」
 ああ、まったくもう、男子は。
 マイヤは胸中でため息をこぼし、「じゃあ」と切り出した。
 かくて前半は央の作業をマイヤがじっとながめる、後半はマイヤの作業を央がじっとながめるという、どっちもどっちな契約が交わされるのだった。


「気がつかないうちに夕方だもんなぁ」
 ため息をついた央が、アーケード街の情景へと目線を向けた。まだまだ夏ということで薄着の女子が多い――と、スマホに着信が。誰からかはもう考えるまでもない。
「マイヤ」
『目移りはだめよ』
 央はそっと背後に意識を向ける。雑踏に紛れていて感じ取れないが、いる。マイヤが。
 アサシンの本能なのかなんなのか、こうして外出するとき、マイヤは央の後を追跡というか尾行したがる。結婚前もひっそり監視……見守られていたのかもしれない。でも。
「横にいてくれよ。それだけで俺の目はマイヤに釘づけだし、俺は後ろをついてきてくれるよりいっしょに歩きたい」
 と。
 どこからともなくいそいそ現われたマイヤが央の左隣へ並んだ。
「これで央の目、釘づけられる?」
 青髪に映えるオレンジ色のサマードレスをまとうマイヤに、央は目を細めて笑んだ。
「まずいな。目が離せなくて前が見えない」
 対してマイヤはすました顔で。
「ワタシの目は央に釘づけだもの。同じだけ見入ってもらわないとフェアじゃないでしょう?」
「んー、そう言われるとそういう気がしてくるな」
 どちらからともなく手を繋いで指を絡める。離れられないからじゃなく、離れたくないから、しっかりと。
 央もマイヤも、結婚するまでの関係は、それはもう歪んでいたと思う。互いを貪って傷つけて、それが赦されることで不安を忘れて、また不安になって互いにしがみつく。まったくもって見事な共依存だった。
 でも今はちがう。互いの不安を晴らしたい。しがみつくのはなく、支えたい。だから離れることなくそばにいる。
「央が見ていてくれなくちゃワタシ、ここにはいられないのよ」
 半歩先へ踏み出すマイヤを追って、央もまた踏み出した。ちゃんと追いついてから言葉を継ぐ。
「ちゃんと見てるから、ずっとここにいてくれ。後ろからは、まあ、いろいろ気になるし控えてもらう方向で――」
「それは無理ね」
 ここから央は、マイヤが「無理」な理由を延々と聞かされることになるのだが、それはもうすさまじい大演説だったので、記するのは控えておこう。
「……ようするに、それだけ愛されてるってことだよな」
 とりあえず演説を聞き終えた央の力ない言葉に、マイヤはすました顔でうなずいたものだ。
「そう思ってくれるのがお互いのためだと思うわよ?」
「マイヤもぜひ、その愛を全部受け止めるのが俺の甲斐性だと思ってくれ」
 マイヤは央の顔をのぞき込み、最高の笑みを見せて。
「覚悟には覚悟をもって応えるわ」
 もともと勝ち目のない戦いだったことを思い知りつつ、央は苦笑した。


 アーケード内の店々で簡単につまめるものを仕込み、レンタカーに乗り込んだふたりは、ゆっくりと、しかし着実に過ぎゆこうとする夏を偲ぶために海へ。
「夜の海は怖いわね」
 闇を映した海面は青ならぬ黒。それが寄せては返す様は心を侵す暗い感情の満ち引きを思わせる。
 しかし、それを素直に恐怖し、露わせることに、マイヤは仄かなやすらぎを覚えるのだ。
 私は変わった。目を逸らすことしかできなかった自分の暗がりと、まっすぐ向き合えるほどに、強くなれた。それは央、あなたが私を私にしてくれたから。
「ああ」
 マイヤのとなりに並んだ央が、神妙な顔でうなずく。
“魔女”に置いて行かれてから、彼の世界はこの海のごとくにすべての色を失くし、影となった。その世界に青を色づかせてくれたのは――金を灯してくれたのは――白を魅せてくれたのは――マイヤだ。
 俺は変わったよ。自分の中の暗がりに閉じこもるばかりだった俺の手を引いて、マイヤが色鮮やかな世界へ連れて行ってくれたから。
「きっとお互い、抱え込んだ傷は癒えないわね」
 隠すことなく、マイヤは央へ言い。
「根深いからな。忘れられてもすぐ思い出すんだろう」
 ごまかすことなく、央はマイヤへ応えた。
「でも、もう怖くないわ。央がいてくれるから」
「ああ、もう怖くない。マイヤがいてくれるから」
 日々の安寧の奥底で傷は疼き、ここにあるぞと訴えかけてくるだろう。しかし、央もマイヤも、それを思い出させられることを怖れない。どんな苦しみも痛みも、ふたりでなら飛び越えていける。
「俺たちは右の翼と左の翼だ。ふたりそろって初めて飛べる。それに気づくまで、ほんとに無駄な時間を費やしたよ」
 言葉に深い感慨を込める央。
「10年後には若かったからだって苦笑いできるわ。あっという間よ」
 それに。マイヤはいたずらっぽく片目を閉じて。
「もし飛べなくても、ワタシたちが共鳴すれば海だって駆け抜けられるでしょう?」
 喉の奥を鳴らすマイヤへ、央は大げさに肩をすくめてみせて。
「……素直に泳いで渡ればいいんじゃないか?」
「泳いで?」
「泳いで」

 服の下にはそれぞれ水着を着ているから、用意はすぐにできた。
 大胆な白のワンピース水着を露わしたマイヤが海へ滑り込む。足をばたつかせるのではなく、音を立てないようくねらせて進むドルフィンキックは、アサシンとして叩き込まれた体術のひとつなのだろう。
「マイヤ、速いって!」
 こちらはクロールで追いかける王だが、まるで追いつけない。
「央は自分のペースで。ワタシが迎えに行くから」
 波を蹴立てるのをやめて平泳ぎへ切り替えた央へ、マイヤが巻きついていく。
「――変わらないのはワタシね」
 ふとつぶやくマイヤ。
 央は聞き返すことなく次の言葉を待つ。
 その沈黙に促され、マイヤはまた口を開いた。
「ワタシには思い出せない昔が染みこんでいて、こうしてふいに顔を出してくるの。もしかすれば一生変われないのかもしれない」
 それでも央はなにも言わない。
 マイヤの言葉が、けして自責ではないことが感じられたから、思いを込めて、ただうなずく。
 央がそうしてくれるからこそ、マイヤもまた言える。
「でも、央と同じよね。あなたがくれた幸せと、あなたと積み上げてきた時間が、ワタシを昔のままじゃないワタシにしてくれる」
 そしてふわり。央の体を抱いて。
「何度でも言うわ――愛してる。愛してる愛してる、愛してる、央。離れないでなんてお願いはしない。離れないから。でもひとつに溶け合いたいなんて言わない。だってひとつになってしまったら、ワタシを見つけてくれる人はもういなくなってしまうもの」
 央は突き上げられるままマイヤを抱きすくめた。
 水の中では、眼鏡がなくともマイヤが見える。それがたまらなくうれしくて、愛しい。
「俺も言わない。マイヤが俺を見つけてくれた。マイヤが俺をこの世界に連れてきてくれた。マイヤの居ない世界で完璧を気取るなんてごめんだ。どんなに不完全でちっぽけでままならなくても俺は俺でいたい。マイヤに見つけてもらえる俺のままで」
 暗い海の内に、ふたりは沈んでいく。
 重ねられる言葉はいつしか泡になって、空を求めて立ち上っていく。
 その様にふたりは笑んで、追いかけた。
 言葉が言葉になる場所へ。
 暗がりの先へ続く、央とマイヤの、マイヤと央のこれからへ。


 先ほどまでまるで感じられなかった月の光が、砂浜に並んで腰を下ろしたふたりにやわらかく振りそそぐ。
「やっぱり暗い海の中よりこっちのほうがいいな。マイヤの顔がよく見える」
 銀光を映して艶めく青髪を指先で梳きながら、央は笑んだ。
 このままでいたい気持ちもあるけど、もっと早く時間が経てばいいとも思う。俺は幸せに歳を取ってくれたマイヤが見たいんだ。
 そんなことを思っていると。
「早く央が歳を取ればいい。ワタシが幸せにした皺だらけの央が、どんな顔になるのか見たいもの」
 マイヤも同じことを思っていたようだ。
 なんて幸せなんだろう。明日じゃなく、ずっと先まで幸せでいてくれるつもりで、幸せにしてくれるつもりで……その願いを言葉にしてくれることは。
「髪が白くなるのはしょうがないとしても、量だけは死守しないとな」
 冗談めかして言ってみれば、マイヤはさらりと応えてみせた。
「前から下がっていっても上から降りてきてもかまわないわよ? 毎日キスして、祝福をあげる」
「いやいや、やめてくれって。それはそれでいいかなって思うだろ。……でも、そのときが来たら謹んでお願いするよ」
 互いに肩を添わせて、海を見る。
 月明かりを照り返しながらも海は果てしなく暗いままだったが、ふたりは怖さを思い出すこともなく、その揺らめきにやわらかな安堵を感じていた。
 飛ぶこともできないまま波間を流されてきた比翼の鳥は、よるべない世界のただ中で互いを見つけて連理の契りを結んだ。
 どれほど高い波が襲い来ようとも、飛び越えていける。
 今日の先へ。
 先の先の、未来にまで。


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2019年09月04日

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