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『気付けば絶望の中(3)』
白鳥・瑞科8402

 悪魔の歌声を元に相手の場所を突き止めた聖女は、不意に足を止める。
 彼女のヴェールを、潮風が悪戯にたなびかせた。澄んだ青色の瞳が、海の中にある巨大な物体を睨みつける。
「そこにいるのは、分かっていましてよ」
 白鳥・瑞科(8402)の前には、崖のようにそびえ立つ何かがあった。その崖に向かい、彼女は声を張り上げる。自信に満ち溢れた彼女の堂々とした声は、魔性の歌声も押し負けそうになる程に周囲へと凛と響き渡った。
 悪魔の声が邪悪な呪いの込められた人を狂わせる魔性の声だとすると、瑞科の声は何の小細工もしていないのに人を魅了させる事の出来る天性の魔性であった。
 その声が届いたのか、先程まで途切れる事なく歌い続けていた悪魔の声が、不意に止まる。
 崖がゆっくりと、崩れていく。その崖の正体は、海であった。今回のターゲットである悪魔は、海を自在に操る力を持っているらしい。この悪魔にとっては、海こそが拠点であり自身を守る最大の城塞なのだろう。
 水で出来た崖は崩れ落ち、波しぶきを立てて元の海の姿へと戻る。そこから現れたのは、美しい女だった。
 下半身は魚ではあるが、その声と美貌は容易に人を惑わし、隷属させる事だろう。
 人魚だと噂されている彼女は、その名に恥じぬ容姿と力を持っていた。彼女は瑞科の姿を視界に入れると、一層興味がわいたとばかりに妖艶な笑みを浮かべる。
 再び歌い出した彼女の歌は、とびきりの魔術のこめられたものだ。もはや呪いと言ってもいい歌声が、聖女の鼓膜を無遠慮に撫でる。
 この美しき聖女の事も、今までのように自分の手駒にしてやろうと悪魔は気合を入れて歌っていた。
 けれど、瑞科はすでに悪魔の美しき身体の奥に潜む邪悪な影に気付いている。神に愛された完璧な美を持つ彼女だからこそ、聖なるシスターである彼女だからこそ、気づけた綻びだ。
 鋭い観察眼も備えた瑞科に、子供だましのお遊戯は通用しない。
「街の人からは、人をさらう人魚だと噂になっているようですけれど」
 くすり、と聖女は唇を歪める。ただ微笑み弧を描いただけなのに、その仕草は見た者の人生をたちまち狂わせてしまいそうな程に美しかった。
「期待ハズレも良いところですわ。あなたは……ただの魚ですもの」
 その言葉が逆鱗に触れたのか、突然暴れ始めた人魚……否、魚に取り憑いた悪魔は水を操り、その透過色の凶器の矛先を瑞科へと向ける。
 瑞科が今対峙しているのは、ただの水ではない。海だ。悪魔の住処にされ、邪悪で汚れきった海。
 彼女の豊満ながらもスレンダーな身体などすぐに覆いつくしてしまうほどの水量が、水圧が、聖女の可憐な身体へと襲いかかる。普通の者なら、生きて帰れるはずもない。
 しかし、しばらくして波が引いた後――そこに瑞科の姿はなかった。
「そんなに鈍くて、この広い海で生きていけますの? 別の魚の餌になるのが落ちですわよ」
 その笑声は、悪魔のすぐ後ろで聞こえた。次いで、今度は悪魔の身体へと衝撃が襲いかかる。瑞科の振るったナイフが、悪魔に血の花を咲かせる。その花の色はやはり、悪魔の本性を映しているかのようにどす黒いものであった。
 混乱した様子で、悪魔は瑞科の方を振り返る。しかし、すでにそこに瑞科はいない。与えられた傷のせいか、人魚は自らの身体を美しく取り繕う余裕すらなく、ボロボロとその肌は崩れ落ちて醜い本体の一部が露出する。
 美しさで覆い尽くされていた悪魔の本体は、まだ一部だけしか見えていないというのに見る者を不快にさせる醜悪さを持っていた。美しい瑞科の前にいれば、その醜さはより目立つ事だろう。
 だからこそ、余計に悪魔は彼女を排除しようと躍起になるのだ。海の上をまるで駆けるかのように素早く戦場を舞い、華麗に戦う、誰よりも美しい女。それは、悪魔が願ってやまなかった……完璧な理想であった。
 再び悪魔は波を呼ぶ。海は悪魔の心の影響を受け、猛獣のように暴れ狂う。そして、その全体が凶器とも言える身体を地へと叩きつけた。
 先程、瑞科は波が襲いかかろうとした瞬間に、視認出来ぬ程の速さで駆け悪魔の背後へと回った。聖女は、悪魔ですら追う事の出来ない速さを持っている。
 しかし、悪魔は不気味に笑う。地獄の底で狂った鬼のように、かつての美しい歌声からは想像がつかぬ程の聞くに堪えない笑い声をあげた。
 悪魔の振るった海が、地へと何度も叩きつけられる。悪魔の周囲全てを巻き込むかのように。
 瑞科が素早いのなら、自分の攻撃する範囲を広げてしまえば良いと悪魔は思ったのだ。どこへ逃げても避けられぬように、周囲全てを悪魔は海で叩き割ろうとした。
 地面にヒビが入る。掠ってしまっただけでも、瑞科のような可憐な身体では耐え切れないに違いない。
 ……しかし、悪魔はすぐに悟る。上空から迫る気配に、その顔を絶望の色に染める。
 視線を上へと向ける。そこには、空があるだけのはずだった。
 しかし、はたして、瑞科はそこに居た。
 その背に翼がはえていない事実に、かえって違和感を感じる程に、神々しく彼女は飛んでいた。否、正確には空へと跳躍する事で海の猛攻を避けていたのだ。
 横に広い悪魔の攻撃は、縦に避けられる事を考慮していなかった。慌てて、悪魔は二撃目を放とうとする。
 だが、瑞科は海に襲われても、その服に水滴一つすらついていない程の身体能力を持つのだ。そんな彼女の速さに、悪魔が追いつけるはずもない。
 斬撃。瑞科が舞い降りると同時に振るった剣が、悪魔の醜い身体を切り裂く。
 悪魔は、自らの攻撃が失敗した事を……そして、この聖女には勝てない事を悟るのだった。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月06日

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