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『息継』
リィェン・ユーaa0208

「誌面に載せられるあたしのコメントの文字数、教えていただいても?」
 群がり来る記者どもをあしらいつつ、テレサ・バートレット(az0030)はH.O.P.E.ロンドン支部を後にした。
 広報部は任せろと言ってくれたが、プライベートをH.O.P.E.にガードさせて兵器なほどの芸能人根性は持ち合わせていないし、どうせマスコミは揚げ足取りからの曲解コンボを決めてくるだろう。それによって喰らうダメージ、個人と組織ではそれこそケタちがいだし、訂正の面倒さもまたケタちがいである。なら、最初から本人が担っておくべきだろう。
 が、そうは思えどきつい状況ではあった。なにをどう返そうともマスコミは同じことを訊いてくるし、カメラは飽きもせず追いかけてくる。例えでもなんでもなく、本気でトイレットまで盗撮しようと企む連中だって少なくないのだ。
 ほんと、月まで逃げたくなるわよね……。
 鉄の笑みで面を鎧い、内でげんなりため息をついた、そのとき。
「あー、スミス・ブラウンさん、高血圧に響かせたくないんで、そっと道を空けてくれますか? トマス・ステイシーさん、弁護士との話し合いがすんでいないようですが、ここで時間を取られても問題ありませんか? ミカエラ・ロラントさん――」
 リィェン・ユー(aa0208)がマスコミひとりひとりの名前を呼び、さらには個人情報をちらつかせながら割って入ってくる。
 当然、言われたほうはぎょっとすくみ上がり、道を空けざるをえないわけだが……
「どうしてここに? って訊くのは後にするけど、スマートなやりかたじゃないわね」
 こっそりささやくテレサへ人の悪い笑みを返し、リィェンはたった今舗装を終えた“道”を指してみせた。
「だが手っ取り早い」
 そしてマスコミ全員に聞こえるよう、声を張って。
「お互い静かな週末を過ごしたいものですね。では、失礼」
 恭しくテレサの手を取り、リィェンは悠々と歩き出した。

「気分はすっかり悪役よね」
 息をつくテレサの歩調に合わせて速度を落とし、リィェンはその隣に並ぶ。
「悪事の後ろめたさは俺の担当さ。それよりも今は、君のアフター12をどう充実させるか、そいつを考えなくちゃな。せっかく特務部の面々に気を遣ってもらった半休だ。ゆっくり楽しもう」
「その情報も幇の情報網で傍受したの?」
 おどけた調子で肩をすくめるテレサへかぶりを振って。
「いや、君の英雄筋からの極秘情報さ。代償は安くなかったけどな」
 繋いだ手にほんの少し力を込めて、リィェンはテレサを促した。
「あの子とは話し合いが必要ね……」
 大げさに天を仰いでみせたテレサもまた、リィェンの手を握り返して踏み出していく。


 テムズ河を遊覧船が行く。
 ただし客はリィェンとテレサのふたりきりで、船室にはいかにもといった風情のイギリス料理が並べられていた。
「イギリス式の屋形船ってわけね」
 内の厨房で揚げてもらったフィッシュ&チップスへレモンと塩を振ってかじり、テレサは窓越しに流れ行くロンドンの街並へと視線を伸べる。
「日本贔屓の君に、せめて過ぎゆく夏の情緒くらいは味わってほしくてな」
 応えたリィェンはキドニーパイの切れを黒ビールで流し込み、うなずいた。
「本当は花火も用意したかったんだが」
 ジーニアスヒロインが中国の財閥の養子と付き合っている。その噂が流れただけで、テレサの自宅はもちろん、H.O.P.E.にまで24時間マスコミが貼りつくのだ。これ以上、目立つ火種は投げ込みたくない。
「来年のお楽しみに取っておくわ。今はこうやって息がつけるだけで十二分よ」
 テレサは本来の仕事にプラス、マスコミの相手もこなしている。サービス残業で1日がみっちりと埋まってしまっているのだ。
 だからこそ、リィェンは逢いたい気持ちを飲み下し、耐えるよりなかった。自身の仕事をこなしつつ、テレサを想うばかりの日々。H.O.P.E.の有志のおかげでこの時間をもらえたが、そうでなければ来年まで悶々としていたかもしれない。
「正直、マスコミなんか全部仕末して、君の家の前を夜通し自転車で往復しようかと思ったよ。窓から君が顔を出してくれないかって思いながら」
「前もそんなこと言ってなかった? ……あー、言ってないかも? とにかく、イギリスにそんなアメリカンな風習ないから」
 テレサは少しためらってから、リィェンの胸へ背を預ける。
「えっと、こういうのは男の子的にうれしい感じ?」
 鼻のすぐ下へ届くテレサの頭頂からは、淡い花の香が立つ。
 リィェンは慎重に両手を彼女の肩へかけ、息が弾まないよう努めながら。
「ああ。ただ俺もその、誰かと付き合ったりした経験がないから、どうするのがベストなのかがわからないんだ。……俺のこういう振る舞いは、君を、安心させられてるか?」
 小さくうなずき、テレサはいくらかためらって、言葉を継いだ。
「言ってみればリィェン君は隕石よね。ダッドしかいなかったあたしの世界に落ちてきて、地形も有り様も変えたんだから。人生にこんなサプライズがあるなんて、さすがに予想外だったわ」
 ずいぶんひかえめに表現してくれたな。苦笑してリィェンは思う。
 君の安心からも会長の安心からもほど遠いのが、俺――それはそうだな。君と会長のふたりで完成されていたパーフェクトワールドをぶち壊した男なんだから。
 それだけじゃない。俺は世界をぶち壊したあげく、君を奪っていこうとしている。やってることは悪役どころか愚神級だ。会長が俺を赦すはずもない。
「サプライズなんて柄じゃないんだが、君の人生にいい意味で衝撃を与えられたって信じたいところだ」
「いい意味になるか悪い意味になるかはこれから次第じゃない?」
 喉の奥を鳴らし、テレサはリィェンから一歩離れた。そしてくるりと振り向いて、顔を合わせる。
「これだけは言っておくわ、リィェン・ユー」
 人差し指をリィェンの胸の真ん中に突きつけて。
「あたしはあたしの“これから”を楽しみにしてる。なにが起こるかわからないからこそね。あなたはどうしたいの? あたしを驚かせたい? それともいっしょに驚きたい?」
 考えるまでもない。そんなものは即答案件だ。
「決まってるだろう。君を追いかけるって言った気持ちに嘘はないが、待ち受けるよりも驚かされるよりも、となりでいっしょに同じものを見て、驚くさ」
 君と共に、この生を貫き通す。
 それが俺の、たったひとつの願いで誓いだ。
 据えた心を目に映すリィェンへ、テレサはよろしいとうなずいて。
「Lovely」
 リィェンの顔を両手で挟みつけ、少しだけ背伸びして、その鼻先に口づけた。


 遊覧船が港へ着く。
 現世からしばし離れてたゆたった3時間が終わりを告げる。
「またしばらくは君を独りで戦わせることになるな」
 名残を引きながらリィェンが言えば、テレサは強くかぶりを振った。
「息はつけたし、充分に吸い込んだわ。しばらくは息継ぎなしでも大丈夫」
 むしろ大丈夫じゃないのは俺のほうなんだがな。その言葉を喉の奥へと押しやって、リィェンはあらためて言う。
「君が上がってくるのを待ってる。……我慢しきれず飛び込んじまうかもしれないけどな」
「そのときは自転車で来て」
 現実という河底へ颯爽とダイブしていくテレサを見送り、リィェンは短く呼気を吹いた。
 俺も海底まで潜ろうか。君といっしょに、この世界を突き抜けて行くために。


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2019年09月09日

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