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『苦悶の牢獄』
水嶋・琴美8036

 人は何故、苦しむのか。
 それは肉体があるからだ。
 肉体などというものがあるから、まずは衣食住を望まざるを得ない。着飾りたい、美食をしたい、豪邸に住みたい。その欲望から、逃れられなくなる。
 また、肉体は痛みを感じる。痛みを与えた相手に対し、憎しみが生じる事もある。
 逆に、肉体は快楽をも感じる。
 肉体は、子孫を残せと命令してくるのだ。特に牡は、種を蒔く快楽をなかなか捨てる事が出来ない。
 種を蒔く。何と愚かしい行為であろうか、と私は思う。
 苦しみの根源でしかない肉体を、ひたすら再生産しながら世代を重ねてゆく。子孫を残すとは、そういう事でしかないのだ。
 人は、肉体から解放されなければならない。
「これ、このように……だ」
 私は、ひたすら小銃をぶっ放してくる機動隊員だか自衛隊員だかに錫杖を叩き込んだ。長年、武闘僧として鍛え上げてきた棒術である。
 防弾武装もろとも、男の肉体がグシャリと原形を失った。
「おめでとう。これで貴公は苦しみの檻から解放された……大いなる霊的進化への、第一歩を踏み出したのだ」
 虚無の境界の僧侶として私は今、大いに功徳を施しているところである。
 人々を苦しめる、肉体という檻が無数、今や残骸となって路面に散らばっている。
 物々しい防弾武装もろとも潰れ、ひしゃげた屍の群れ。
 皆、躍起になって私を殺そうとしていた。仕事なのだから、それはまあ仕方がない。
 世の人々は、望まぬ仕事をしながら、己の肉体を養わなければならないのだ。
 肉体があるから皆、苦しむ。
 だから私は、人々を苦しめるものを、ことごとく叩き潰してきた。
 この棒術で。鍛錬と呪力と薬物で強化してきた、この筋肉で。
 筋骨隆々たる身体に僧衣をまとった姿で私は今、殺戮の光景の真っただ中に佇んでいる。殺戮こそ、救済なのだ。
 錫杖を鳴らしながら、私はちらりと視線を動かした。
「……なかなかのもの、ですわね。私の気配に、お気付きになるとは」
 その女は、いつの間にか、そこにいた。
「不意打ちで、苦しみもなく死なせて差し上げようと思いましたのに……苦しみを、お望みですのね貴方」
「苦しみを望む者などいない。だが人は苦しまねばならぬ。何故かわかるかね、お嬢さん」
 大人びた、若い娘である。もしかしたら未成年かも知れないが、少女と言うよりは、女だ。
 女豹である。
 けだものの身体つきだ、と私は思った。
 力強く引き締まった胴と、タイトスカートをぴっちり広げ膨らませた安産型の尻は、人間離れした身体能力を予想させる。むっちりと伸び現れた太股は、脚力の塊であろう。
 暴力的なまでの胸の膨らみは、女性用スーツに閉じ込められて窮屈そうだ。
「肉体があるから……とでも言いたげな殺しぶり。お見事、と申し上げておきますわ」
 さらりと長い黒髪を、一見たおやかな五指で軽く弄りながら、女は私の問いに答えていた。
「死が、すなわち救済……貴方がた虚無の境界つまるところ、それが教義ですのね。わかりやすくて実に結構」
 微笑む美貌は、まさに牙を隠した女豹の笑みである。
「こちらといたしましても、ね……特に何か考慮する必要もなく、強制排除の執行に移る事が出来ますのよ」
「ほう……何を、排除すると?」
「貴方を、この世から」
 女豹が、牙を剥いた。
「特務尉官・水嶋琴美(8036)、これより公務員のお仕事を開始いたしますわ……忍法、超高速生着替え」
 女性用スーツが、ブラウスとタイトスカートが、脱ぎ捨てられてバサリと舞った。
 それは目くらましであった。いや、ほんの一瞬。美肌とランジェリーの眩い白さが見えたような気がした。
 その一瞬の間に、女豹の美脚はロングブーツに包まれ、大きめの白桃を思わせる尻の周囲で短いプリーツスカートがふわりと舞い、瑞々しくも荒々しい胸の膨らみは着物状の上衣で束縛されていた。その下に、黒色のインナーをぴったりと着用しているようである。
 両手にはグローブ。そこからは優美にして鋭利な五指が露出して、斬撃用の大型クナイを力みなく保持している。
「忍びの者……か」
 私は、錫杖を振るい構えた。
「IO2の鼠が、またしても」
「私の所属……IO2、ではなくてよ」
 言葉と共に、水嶋琴美の姿が消えた。
「自衛隊、特務統合機動課……IO2に頼らずとも! この国にはね、戦う力がありますのよっ」
 襲撃が、上空から来た。
 私は頭上で錫杖を回転させ、女豹の奇襲を弾いた。
 弾き飛ばされた水嶋琴美が、ふわりと優雅に着地する。
 再び攻撃の動きに入る、暇など与えず私は踏み込み、錫杖を叩き付けた。
 水嶋琴美の、残像が砕け散った。
「ふふっ、残念でしたわね。私は、こちら」
「こちら、でしてよ?」
「いえいえ、こちら」
「私を捉える事が、さあ出来まして?」
 何人もの水嶋琴美が、私の周囲で跳躍・着地し、疾駆しつつクナイを構え、活力漲る太股でプリーツスカートを跳ね上げ、暴力的な胸の膨らみを揺らしている。
 まさしく、苦しみに満ちた肉体だ。この世にあってはならない、と私は思った。
 暴風の勢いで振り回した錫杖は、しかし空を切った。あるいは残像を擦り抜けた。
 違う、と私は感じた。水嶋琴美の肉体に苦しめられているのは、私の方ではないのか。
「いけない、お方……」
 涼やかな声が、私の耳元をくすぐる。
「貴方……私の、どこを見ていらっしゃるの?」
 水嶋琴美の残像は全て消え失せ、そして私は高々と宙を舞っていた。
 首から上を失った私の身体が、呆然と立ち尽くしている。
 結局この私も、肉体という苦しみの檻に囚われていたのだ。
 路上に落下して転がった私を、水嶋琴美の綺麗な片足が踏みつける。踏みにじる。
「そろそろ私を……こう足蹴にして下さる、お強い方と戦ってみたいもの。なぁんて私、調子に乗っておりますかしら? うふふふっ、あっはははははは」
 ブーツ越しに女豹の脚力を感じながら、私は頭の中で、この女を蹂躙した。
 苦しみをもたらす水嶋琴美の肉体が、何者かによって徹底的に虐げられ、尊厳を踏みにじられている。
 それは死に際の予知か、あるいは単なる妄想か。
 ともあれ私は、肉の苦しみに支配されたまま事切れていった。


東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月11日

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