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『女神飛翔』
スノーフィア・スターフィルド8909

 スノーフィア・スターフィルド(8909)は『英雄幻想戦記3』を立ち上げ、各種データが参照できるライブラリを開く。
 先日、現実世界で夢魔にジョブチェンジしてしまった彼女。もしかしたらバグったというだけじゃなく、データのほうに原因となるなにかがあるかもしれない。そう思い立って調べてみることにしたのだが。
 文言におかしなところはありませんね。
 夢魔という種族についての説明文は“私”が憶えているとおりの内容で、特に引っかかるところも改竄されているところもない。
 ついでに、敵キャラとして夢魔が登場する『1』と『2』のライブラリを開き、モンスター図鑑を呼び出してもみたが、ただの敵だけに説明文もあっさりとしたものだ。
「と、なれば……」
 ゲームは『3』に戻しておいて、スノーフィアは本棚の一角から迷いなく一冊の本を抜き出した。本のタイトルは『英雄幻想戦記クロニクル』。1から8までのすべてをまとめたB4変形版の設定資料集で、昔ながらの百科事典と同じサイズ+重さを持つことから「鈍器」などと呼ばれている一品である。
「やっぱり、おかしなことは書いてませんね」
 ライブラリよりも詳細な設定はあれど、それだけのことだ。
 息をついたスノーフィアは肚を据え、考えるのを後回しにしていた推論を心の真ん中へ引きずり出す。
 夢魔にジョブチェンジしたのは、ゲームをプレイしていた私が無意識な意志を発動したせいなのではないでしょうか?
“私”は普通の男性なので、魅力的な女性の薄着は大好物なわけだ。とはいえ同僚ほど“濃い”わけでもなく、だからこそスノーフィアとなった今も節度をもって暮らしていられるわけで。
 そういう“わけ”だと思っていたのですけど、抑圧されたなにかがあったのかもしれませんね……
 スノーフィアはこほんと咳払い。なんとなく辺りへ探知魔法の網を投じて誰にものぞき見られていないことを確認した。
「疲れも無意識も溜めすぎるとよくありませんから! これは安全弁の解放的なあれなんです!」
 天井目がけて思いっきり言い訳して、そして。


「やっぱりこれはこれでなんとも言えないなにかがありますね」
 魔法銀の羽衣にゆるふわっと隠された豊麗な肢体を見下ろし、スノーフィアは何度も何度もうなずいた。あえて姿見を使わなかったのは、かろうじての分別である。
 ああ、こうなると全ヒロイン二律背反ルートが見たくなります!
『3』はクリア後のお楽しみとして、過去作に登場したヒロインを登場させられる機能が実装されている。もちろん有料のダウンロードコンテンツだが、たった2000円で推しヒロインを数百年の時を経て復活させられるとあって、ファンはもりもり力ある紙を突っ込んだものだ。当然のことながら“私”もそのひとりだったりする。
 ただ、3作分のヒロイン全員を闇ジョブに落とすには過酷過ぎる難易度へ立ち向かうだけでなく、それはもう恐ろしいばかりの努力が必要となる。それを成し遂げた者は「兄者」と呼ばれ、当然のことながら“私”もそのひとりだったり。
 と、それはさておき。
「この前は忘れていましたけれど」
 夢魔はモンスターに属するジョブなので、パッシブスキルとして扱われる身体特徴がある。
 たとえばそう、翼だ。
 背から伸び出す蝙蝠めいた翼は羽毛ならぬ皮膜でできていて、神経が通っている。
「これは」
 軽くぱたつかせてみると、皮膜に空気が当たって少しくすぐったい。慣れてしまえばどうということもないんだろうが、意外なほど敏感なもので――つい身をよじってしまった次の瞬間。
 ぼいん。張り出した尻が壁に当たって跳ね返り、スノーフィアは倒れ込んでしまった。するとまた、ぼいん。豊かな胸が床に弾み、ダメージを軽減させる。
 いけません。いつもと体型がちがうのですから、気をつけないと。それにしても防御力上がってますね。脱げば脱ぐほど強く硬くなる能力と関係ないところで。
 翼を畳んで注意しながら起き上がるスノーフィア。立ち上がって、そっと翼を開きなおす。
 翼はおそらく50センチくらいだろうか。これで人の重さを飛ばせるのは、魔法的な力場が形成されるからだ(英雄幻想戦記クロニクルより抜粋)。
 夜、自動販売機に行くときなんか便利そうですよね。
 思ってみたが、半裸を超えたほぼ裸の女子が自販機の灯に照らされていたりしたらもう、通報からの逮捕をコンボで決められてしまうだろう。
 でも。


 スノーフィアは夜闇に紛れて空を行く。
 せっかくの翼、生やした以上は使わければもったいない。というか、単純に飛んでみたかったのだ。なので、引きこもりの名は一時返上、自室からほど近い自販機を目指していた。
 夢魔はパッシブとして敵の目を引きつける“魔香”を備えているが、これは魔法スキルで抑えることができる。だから本当はコンビニまで行ってみようかとも思ったのだが。
 知らない人と会うのは恥ずかしいですから。せめてメートルが上がってないと。
 今時「メートルが上がる」と言われてぴんと来る人は少なかろうが、おじさんはとにかく流行に疎い。知っている言葉をいつまでも使い続けるよりないのだ。

 ということで、辿り着いた自販機。最近はお酒の自販機が置かれていないので、千葉県で有名な甘々な缶コーヒーを買うことにする。
 一応、用心はしておくべきですよね。
 スノーフィアは夢魔の専用魔法である視認阻害の魔法を発動させた。これで香りに惹かれて近づいてきた人も、彼女の姿を認識することはできない。
 安心して小銭を投入して、いざボタンを押そうと指を伸ばしたスノーフィアだったが、ふと思い立って引っ込めた。
 シッポ、使ってみましょうか。
 夢魔のシッポは先端に眠り毒を備えているだけでなく、第3の手として武器やアイテムを持つことができる。ゲームシステム的にはまるで生かされていない設定だったが、今のスノーフィアなら設定どおりに使いこなせるはず。
「行きます」
 尻に力を入れて、シッポを持ち上げる。尾てい骨がそのまま動く不思議な感覚がして、なんとも落ち着かなかったが、普段動かないものが意志のとおりに動くのはおもしろい。
 マッチョな人が大胸筋を動かすような感じでしょうか?
 毒針を立てないよう気をつけつつシッポの先でボタンを押すと、普通に缶コーヒーが取り出し口に落ちてきた。
 あたりまえのことなのに成し遂げたような気がして、スノーフィアは小さくガッツポーズを決める。
 便利ですね、夢魔!
 そうなると、もうひとつ試してみたくなった――もっと便利になるはずの、禁断のあれを。


「夢魔なる我が身を捧げて呼ばわる。母なる者、闇淵の底にて赤き香醸せし始原の陰よ――」
 自室の床に展開した魔法陣の中央部で召喚呪を唱えたスノーフィアは、その身に降り来た“赤き香”を喰らい、吼える。
「顕現せよ、クイーン・リリス!!」
 かくて夢魔の上級職にして夢魔の女王、リリス。その姿と力が今、スノーフィアに与えられたのだ。
 が。
 万物を魅了する“色格”のパッシブは、無人の部屋ではなにを惹き寄せることもなく。
 限りない艶麗さもまた、見る者のない部屋では特になにを引き起こすこともない。
 孤独。
 スノーフィアは、ただただ孤独だった。
「まあ、実験は成功ということで……」
 リリスのまま正座して、スノーフィアは酒を飲む。
 その苦さを、彼女はきっと忘れない。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月13日

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