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『艶閃の後』
白鳥・瑞科8402

 静謐に押し詰められた闇のただ中を、白鳥・瑞科(8402)は迷いなく進んで行く。
 見る必要も聞く必要もなかった。それほどに強い邪気が、彼女の先には在る。
 待ってくださっているのでしょうね。わたくしと相対するときを。


「お待たせをいたしましたわ」
 ヴェールに隠された面を典雅に一礼させれば、先に在るものは小首を傾げ、音なき声音で応えた。
 我が前へ至るより先に名乗れ。
「白鳥・瑞科と申します。如何様な企みを携えていらしたのかはわかりかねますが、この世界をあらゆる脅威より守るがわたくしの務めですわ」
 レイピアを抜き放ち、高く告げる。
 対して、金色の甲冑に身を包んだそれは悠然とうなずき、紡いだ。我が求めしものは戦の叫喚。先触れに汝が悲鳴を世に鳴らすとしよう。
 闇を研ぎ上げた剣を抜き、それは踏み出した。その足裏に拉かれた地は命を吸われて死に、甲冑に流れた空気もまた世界に留まる力失って散る。
 触れるだけで万物を殺すあの力――修羅地獄の者ですわね。それもひとかどの。
 地獄とは死という解放を受け入れることなく、凄絶な念を抱え込んだ魂が、その重さをもって落ちる闇底である。
 各宗派が語る地獄ならばいずれ救われることもあろうが、自らの無念や怨念に縛られた者どもに救われる術はない……無間の地獄を越えるほどの力を蓄え、現世にまで這い出してくる“王”を除けば。
「まずは敬意を表し、王とお呼びいたしましょう。国も民も持ちようのない修羅には過ぎた尊称ですけれど」
 王の強すぎる魔力は同じ闇のものすらをも侵す。遠巻きに付き従うものこそあれど、玉座の左右にはべることも、拝謁の機を得ることもかなわないのだ。だからこそ王は騎乗することもなく、自らの足で歩むよりないのだが。
 ならば哀れむがよい。我が刃に命を吸わせ、寸毫の悦楽に花を添えよ。
 この応えに瑞科は薄笑んだ。
 果たして。雷まとう瑞科のレイピアと闇まとう王の大剣が交錯し、世界に生気と死気とを閃かせた。

 冑の奥に隠した赤眼を輝かせ、王が剣を斬り上げる。
 下手に払えば王はすぐに刃を返し、斬り下ろしてくるだろう。あの刃に触れられれば、体勢を整えるより先に命を吸われて瑞科は崩れ落ちる。
 だからこそ彼女は剣を中段に据え、手首のスナップで王の剣をいなしていった。
 高い法力を備えた聖職者たちによって鍛えられた刃は生半な闇に侵されることはない。さらには魔を焼き祓う瑞科の雷をまとわせることで、その力は数段上がってもいる。それでもいなした手首に痺れがはしるのは、王の闇がそれだけ深いことを示していた。
 そして。
 ふいに打ち込まれる王の蹴り。剣戦にもよく使われる蹴りだが、剣士の戦いにおいては意識が刃へ引き寄せられるもの。ゆえに人が思うよりもはるかに対応しづらい。
 が、瑞科はこれを半歩分のサイドステップで外し、刃を振り込んで雷を投げ放った。
 蹴りを打つため片脚立ちになっていた王はかわすことができず、腹に喰らって一歩下がる。
「小技程度でわたくしを捕らえることはできませんわよ?」
 誘っていることを隠しもせず、言う。
 王は音なき声音で呵々と嗤い、剣を高く振りかぶった。刃を為す闇が濃さをいや増し、王の虚ろなる体に鬼気が沸き立つ。
 来る。
 瑞科が受けの構えを取ったと同時、王の剣がまっすぐに振り下ろされた。フェイントもなにもない、瑞科の正中線を断ち割る剛剣。
 真芯を捕らえられた人間は右にも左にもかわすことができない。真っ向から受け止めた瑞科は勢いに押し込まれて膝を折り――王の唐竹割りを跳ね上げた。
 弾かれて、王はようようと気づく。瑞科はただ受け止めたのではない。腿に括られた鞘より抜かれたナイフで十字受けを為すと同時、雷を通して電磁石化、反発力を生んだ。さらには膝を折って脚力を撓め、すべての反動を乗せて王の斬撃を退けてみせたのだ。
「申し上げたはずですわよ。小技程度で、わたくしを捕らえることはできませんと」
 瑞科の玲瓏たる面に浮かんだものは失望。
 それはなによりも王を憤らせた。人風情が思い上がるものよ!

 苛烈な王の攻めが瑞科を追い立てる。
 闇の剣が解け、無尽の刃欠となって降りそそぎ、空を、地を、絶対の死へ突き落とす。
 しかし、左手のナイフで最小限の道をこじ開けては舞い込んでいく瑞科を捕らえることばかりがかなわなかった。
 ――欠片では捕らえられずとも、剣そのものならば如何!?
 瑞科を取り巻く刃片のいくらかが、闇に紛れて縒り合わさり、剣となった。当然、彼女の目にそれは映らない。
 そして王は渾身をもって、その手と虚空にある幾本もの剣とを突き込み。
 驚愕した。
「見るまでもありませんわ。これほど邪気が強くては」
 身をかがめてすべての剣をかわした瑞科が言う。
 ダンスでも演じるかのごときステップワークに誘導された剣は互いに噛み合い、それ以上彼女を追うことはできなかったが。
 かかったか。
 噛み合った剣の接点から、すべてを飲み干した闇が伸びだし、瑞科の頭頂へ突き下ろされた。まさに不意を突く一撃。今度こそかわしようはない。
 そのはずだったのだ。
「――剣士であるがゆえに剣への拘りを捨てきれず、だからこそあなたはわたくしを捕らえられない」
 切っ先を押し止めているものは、重力。
 ケープで隠して指先より放った弾が、闇刃の先へ絡みついているのだ。
「むしろ慢心ですわね。触れるだけで命を削ぐ力あればこそ、磨く手間を惜しんで技を腐らせたあなたの」
 王は辺りに散った刃片を取り戻そうとしたが、それらは一帯に張られた雷陣によって狂わされ、重力に押しつけられて動かない。
 こうなれば、王に残された剣は手の内にあるひと振りのみ。そしてこの一合が最後の勝負になることは知れている。ゆえに王はすべての魔力を刃に込め、眼前の不敬なる女へと斬り込んだ。
「結局は剣。最後までつまらない方でしたわ」
 流麗に踏み出した瑞科のレイピアが、その切っ先を巡らせて王の刃へ絡みつく。
 闇を削りながら突き進んだ切っ先は、王の手首を裂き、腕を裂き、脇を貫いて、その心臓部へ潜り込んだ。
 失われた心臓を貫かれたとて王は滅びぬ。しかし、尋常の勝負でもっとも守り厚き心臓に突き込まれた事実が、王を構築する念に敗北を認めさせた。
 その絶望の中、王は砕け落ちる。どれほどの勝利を重ねても晴らせなかった無念が無理矢理に解かれていく。
 立ち尽くす王を突き倒し、瑞科は眉間へヒールを突き立てて。
「せめて贖っていただきましょうか。誇りも満足もありえない無様な死をもって」
 ヒールという“鞘”の内より現われた聖杭が王の眉間を貫き、冑を踏み潰した。

 果たして瑞科は踵を返す。
 今日もまたつまらない争いを演じたものだ。他の武装審問官では束になったところで敵う相手ではなかったとはいえ、瑞科にとってはそれこそ有象無象と変わらない。
 とはいえ充実した日々ではある。戦うべき相手があり、守るべき世界があるこの生活を手放すつもりなど、瑞科にはないのだから。
 それでも。無意識の内に彼女は確信していた。
 この他愛のない日々を黒く塗り潰す敵方(あいかた)がいつか顕われることを。
 これまで彼女がしてきたように、圧倒的な暴力をもって彼女を躙り、地獄よりも暗き深淵へ蹴り落とされる未来へ追いつかれることを。
 今は自覚なき思いなれど、いつか――


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月13日

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