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『枯死の季節(2)』
芳乃・綺花8870

 公園内に、二つの悲鳴が重なった。
 一つは、近所に住んでいる一般市民のものだ。公園でいつものようにジョギングをしていた男は、何体もの虫の形をした悪霊に突然襲われてしまった。
 死を覚悟し悲鳴をあげて目を瞑った男だったが、しかしどれだけ待っても覚悟していたはずの衝撃は襲ってこない。
 恐る恐る瞼を開けた男は、そして――見る。
 彼を守るように悪霊の前へと立ち塞がっている、セーラー服を身にまとった少女の姿を。
 女子高生退魔士、芳乃・綺花(8870)は、一瞬で悪霊の内の半分以上をその手に持っていた刀で斬り捨ててみせた。先程周囲に響いた悲鳴の内のもう一つは、彼女に斬られた悪霊自身の悲鳴だったのだ。
 仲間がやられた悪霊は、反射的に彼女へと武器である針の矛先を向けるが、綺花は慌てた様子もなく刀を構え直す。
「一寸の虫にも五分の魂とは言いますけれど、悪霊には当てはまりませんね」
 悪霊の単純すぎる攻撃に、彼女は呆れた様子で肩をすくめてみせた。
 理性も持たず、ただ目の前にいる綺花という障害を排除するためだけに行動する悪霊の動きは、ひどく機械的でそれ故に読みやすい。いっそ、自身の動きが合理的かどうかを判断出来る機械の方が、よっぽどマシな動きをしてくれるに違いなかった。
 だから、綺花にその攻撃は決して届かない。不意打ちやはったりなどの悪霊らしい卑怯な手すらも使えぬ弱者に与えられるのは、勝者の喜びではなく冷たい刀の刃だけであった。
 綺花の振るった刀が宙を斬る。そこに飛んで居た、数多の悪霊と共に。
 斬る、というより、空間に刃を通すと言った方が正しいかもしれない。彼女の一撃はそれこそ一寸のズレすらも許さぬ程に正確であり、その揺れる長い黒髪とスカートのコントラストも相まって、ひどく美しかった。
 近くで呆然と彼女の戦いぶりを見ていた市民は、無意識の内に息を吐く。感嘆であり、陶酔の溜息だ。
 彼は美しい花々を見れるからという理由でこの公園を好み、ここでジョギングをする事を日課にしていたのだが、明日からはコースを変える必要があるだろう。花々よりも、よっぽど美しい存在に心を奪われてしまったのだから。男は明日から、見目麗しい彼女の姿を走りながら探してしまうに違いなかった。
「あら、呆けてしまってどうしたんですか? 早く逃げないと、悪い虫にまた襲われてしまいますよ」
 くすり、と笑みを浮かべる彼女の姿は、まるで人を魅了し惑わす美しい模様を持った蝶のようだった。綺花の姿に見惚れる男は、蜘蛛の巣に捕われてしまったかのようにその場から動けなくなってしまう。
 目の前の彼女の微笑みに、そして先程の蝶のように可憐に舞い戦う彼女の姿に、男はすっかり夢中になってしまったのだ。
 しかし、少女はそんな男を優しく嗜めるように、言葉を続けた。
「さぁ、立ってください。あなたを安全なところまで送ってさしあげたいところですが、その前に私にはまだ野暮用がありますので」
 確かに、悪霊の気配は消えている。けれど、この場にまだどす黒い魔の気配が残っている事に気付いていた綺花は、未だ刀を構えたままであった。
 少女の綺麗なラインを描く健康的な身体を、セーラー服に包まれたその背筋を、無遠慮に撫でるのは――殺気だ。綺花という獲物を前にしてテンションが上がっているのか、周囲を包む邪気は先程よりも濃いものになっている。
 一般人を守って戦う事は綺花にとってはわけのない事だが、それでもこの邪気はただの人にとっては少し毒だ。先程の虫の毒よりも、よっぽど濃くて淀んだ毒。
「足には自信があるのでしょう? でしたら、走ってください。そうしてくださると、私も嬉しいです」
 美しい微笑みを浮かべる彼女にそう頼まれて、首を横に振れる者はいないだろう。
 慌てた様子で走り出した男の背を、少女は見送る。そして、綺花は悪戯っぽい笑顔を浮かべて言い放つのだ。
「ええ、本当に嬉しいです。これで、周囲への被害を気にせずに、私も力を出せますから」
 綺花が一般人への被害に関して心配していた事は、邪気以外にもう一つあった。彼を巻き込まないようにするために、自分が全力を発揮出来ない事を危惧していたのだ。
 手加減には慣れているが、今回の相手によっては全力を出さなくてはいけない可能性もある、と綺花は思う。何せ、この殺気からして、今から戦う事になるのはただの魑魅魍魎では……ない。
 先程戦った虫の悪霊はもちろんの事、今まで戦った相手の中でも一等凶悪な気配を綺花は感じていた。、
「こんなにも強大な邪気を浴びるのは、久しぶりです。そろそろ、姿を見せてください」
 相手の居場所は、もう分かっている。綺花の速さなら、不意打ちで先手を取る事など容易いだろう。
 けれど、あえて綺花は正々堂々と戦うために、相手を言葉で誘い出そうとしていた。何せ、ここまでの力を持った相手と戦えるのは、本当に久しぶりの事なのだから。
 別に、魑魅魍魎を相手に礼儀を持って接する気などはない。ただ、このような強大な悪辣を……恐らく世界に災厄をもたらす程の力を持った悪魔を、小細工も何もなしに彼女は自分自身の力で徹底的に叩き潰してみたかった。
「ようやく顔を見せてくれましたね、悪魔さん」
 微笑みを浮かべた綺花の前に、巨大な影が姿を見せる。虫の悪霊を従え、この公園を起点に世界をも喰らおうとしている悪辣。
 綺花の視線の先で、まるで植物のような姿をした大悪魔は、不気味な笑声をあげるのであった。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月17日

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