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『偽りの聖女』
水嶋・琴美8036

 神聖なる組織の、神聖なる研究で、彼は生まれた。
 造られた、と言っても良いだろう。
 無理矢理に着せられた修道服が、岩のような筋肉によって内側から裂けちぎれてしまいそうである。
 その巨体は、成長の結果ではなく、生まれついてのものだ。
 人体をも引き裂く膂力を与えられて、彼は生まれた。
 その力で、大型の得物を振り回す。左右それぞれの手に握られた、2本の巨大な鎚矛。
 隕石が飛び交う様にも似た、左右立て続けの攻撃が、組織の男たちを片っ端から粉砕してゆく。
 修道服を着た男たちが、悲鳴か怒声かわからぬ叫びを張り上げながら、拳銃や小銃をぶっ放してくる。
 彼の体表面で、銃弾がぱちぱちと跳ね続けた。
 彼は思う。この男たちは今、自分を消そうとしているのだ。
 失敗作として、廃棄処分を実行せんとしている。あるいは、彼の存在を最初から無かった事にしようとしている。
 神聖なる研究に、失敗などあり得ないというわけだ。
 彼は吼えた。肉食類人猿のような顔面の半分以上が口となり、凶器そのものの牙がギラリと剥き出しになる。
 上等だ、と叫んだつもりだが言葉にはならない。言語能力は、ついに身に付く事がなかった。
 それでも、彼女と会話をする事は出来た。
 彼女は、この神聖なる組織の戦闘員たちの中では一番の手練れで、強く美しくそして容赦がなかった。
 彼に、容赦なく戦闘訓練を施してくれた。
 彼女に、叩きのめされる。蹂躙される。それが彼にとっての会話であった。
 今、彼女はいない。虚無の境界のテロ部隊を殲滅するため、出撃中である。
 この神聖なる組織に今、彼を止められる者などいないという事だ。
 銃撃の嵐の中、彼は咆哮を轟かせながら、左右の鎚矛を縦横無尽に振るい続けた。
 銃武装をした男たちが、ことごとく潰れ、砕け、飛散する。
 その虐殺の光景に、ゆらりと歩み入って来る細身の人影。
「惜しい事……貴方ほどの作品を、廃棄処分。これほど勿体ないお話ありませんわ」
 細身ではあるが、胸と尻周りは豊かである。
 くっきりとした女体の凹凸が、禁欲的な修道服によって、むしろ強調されているようだ。
 修道服の下には、コルセットとインナースーツを着用しているようである。力強いほどに引き締まりくびれたボディラインには、しかし矯正の必要などなかろうと思われる。
「貴方、ここを飛び出してまずは何をなさるおつもり? 破壊と殺戮、以外の事が何か出来まして? 例えば、人助け」
 微笑む美貌は、戦闘訓練の時の表情だ、と彼は思った。自分を叩きのめし蹂躙する時の笑顔。
 彼女だ。
 虚無の境界との戦いに赴いたはずの彼女が、帰って来た。
「貴方の人助けは……いじめられている子供を1人助けるために、学校1つを皆殺し。そんなふうになりますわね、間違いなく」
 違う。彼女ではない。
 修道女のヴェールから艶やかに溢れ出しているのは、黒髪である。彼女の髪は、茶色だ。
 顔立ちも、確かに美しいが彼女とは違う。彼女の美貌には、欧米人的な彫りの深さがあった。この女は純粋な日本人だ。
 同じような、修道女の装い。だが少し見れば明らかに別人とわかる。自分は何故、この女を一瞬でも彼女と認識してしまったのか。
「この神聖なる組織で、貴方のような危険物を造り出す研究が行われている……私それを調べに、そして潰しに参りましたのよ」
 黒髪の修道女が、跳躍した。両の美脚が、修道服の裾を割る。
 ぴったりと脚線を強調する、ニーソックスとロングブーツ。形良く膨らみ締まった太股にはべルトが巻かれ、そこに何本ものナイフが収納されている。
 それらが引き抜かれ、投射された。
「潜入捜査任務が、そのまま殲滅破壊工作へと移行……まあ、よくある事ですわ。自衛隊のお仕事には、ね」
 戦い方も彼女と同じだ、と思いながら彼は、降り注ぐ刃の雨を全身で受けた。
 銃撃をも弾き返す筋肉が、全身各所で穿たれていた。
 単なるナイフではない。1本1本が、重い暗黒の塊と化している。
 重力であった。
 重力でコーティングされたナイフが、超重量の弾丸となって、巨体のあちこちに埋め込まれたのだ。
 彼は硬直・痙攣した。震える両手から鎚矛が落下し、地響きを立てる。
「特務尉官、水嶋琴美(8036)と申しますわ。貴方どうやら、私をどなたかと混同しておられる御様子」
 黒髪の修道女が、軽やかに着地しつつ名乗り、微笑んだ。
「その方の代わりに……ふふっ、甘えさせて差し上げましてよ? さ、おいでなさいな」
 綺麗な五指をグローブから露出させた片手で、水嶋琴美が下から上へと手招きをしている。身をくねらせ、女体の曲線と膨らみを誇示しながらだ。
 真似をするな、と彼は思った。
 彼女の、真似をするな。お前など偽物だ。
 体内の生体電気が、その思いを宿して膨張し荒れ狂う。
 巨体が、雷鳴を発した。放電が起こっていた。
 迸る電光を、彼は拳に宿し、床に叩きつけた。重力に縛られた身体を、無理矢理に動かしていた。
 床を粉砕し、男たちの屍を灼き砕きながら、地を走る稲妻が偽物の聖女を強襲する。
 水嶋琴美は、剣を抜いていた。いつの間にか手にしていた日本刀。鞘から走り出した刃が、床に突き刺さり、電光を集め吸収する。
 その間、彼は地響きを轟かせて踏み込み、巨大な拳を聖女の偽物に打ち込んでいった。
 電光を帯びた刃が、床から引き抜かれて一閃する。
「電撃の使い方はね……こう! でしてよ?」
 魅惑的なボディラインが柔らかく捻転し、瑞々しい果実を思わせる胸が横殴りに揺れ、そして斬撃と電撃が彼の体内を通過する。
 巨体が、いくつもの輪切りになって、達磨落とし状に崩れ落ちた。彼は、頭部のみとなって転がった。
 そこへ、水嶋琴美が微笑みかける。
「そこそこは楽しめましたわ。この神聖なる組織……完全に敵に回す事になりましたら。ふふっ、もっと楽しませて下さる方との、素敵な出会いが」
 言葉が、そこで凍り付いた。水嶋琴美が、固まっている。
 その緊迫した視線の先で彼は、優しい両手に拾い上げられていた。
 安らぎ。
 それが彼の、最後に感じたものであった。


 拾い上げたものを、そっと抱き締めながら、彼女は言った。
「この子の殺処分はね、私が行う予定でしたの。自衛隊の方に……押し付けてしまいましたわね」
「貴女は……」
 水嶋琴美は、後退りをした。
 それきり何も言えなくなってしまった。こんな事は、初めてかも知れない。
 今、この場で戦いになれば、自分は負ける。良くて相討ち。
 自分の勝利を、琴美は全く思い描く事が出来なかった。
「私と同じ事……考えて、おられますわね」
 彼女は微笑んだ。
 鏡を見ている気分に、琴美はなった。
 もう1人の自分が、鏡の中から殺しに来る。そう感じた。
 2人、ほぼ同時に背を向け、歩き出す。
「私たちは出会わなかった……そういう事に、いたしましょう」
「……ですわね」
 琴美は言った。
「私と貴女が、同じ場所に存在してはならない……この度の出会いは、何かの手違い」
 この女だ、と琴美は思った。
 自分が、無様に敗れ、蹂躙され、死よりも無惨な末路へと堕ちる。
 そんな相手が存在するとしたら、この女性をおいて他にはいない。


東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月18日

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