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『彼の体験する穏やかなる時間』
ユリアン・クレティエka1664

「……この度はお世話になります。よろしくお願いします」
「いやいやそんなに畏まらなくっていいってば。友人同士遊びに行こうって話なんだから」
 想(kz0285)が頭を下げると、ユリアン・クレティエ(ka1664)は慌てて言った。
 激戦終わって。まだ解決すべき事は山積みなのだろうが、それでも一段落と言っていいだろう。想はこれからも生きていくのだから、のんびりしたり楽しむ事を知っていいと思った──のに、のっけから、これだ。
 友人同士気のおけない旅行が、このままだと師弟の社会科見学の引率になりそうだな、と、ユリアンは苦笑する。
 ……そう、旅行である。一泊二日の軽いものではあるが。
「温泉なんてどうだろう? 比較的近場だと帝国にあるんだよ。東方も良いけどね」
「帝国……ですか」
 何気なくユリアンが口にした提案に想が思ったより食いついた。偶々いい温泉を知ってたから、だったのだが、そう言えば彼の現在の主に連なる場所ではある。
「うん、じゃあ今回はそこにしようか」
 考えてみたら、思ってたよりも帝国の温泉、というのはいい提案だったかもしれない。想を誘ったのは、彼が休息や温泉の良さを僅かなりとも知ることが出来れば、働き詰めだと思う彼のマスターも誘うことが出来るという目論見もあったからだ。なら、近郊でしかも馴染みのある場所の方がやりやすいだろう。
 ……ということで、今回の旅程はそういうことになった。

 近郊だしと言うことで多少道中を楽しむ事にした。
 ユリアンのグリフォンに乗って、ノアーラ・クンタウ砦からの空の旅。物資の輸送のために帝国から砦へと舗装された道を、辺境との境であり結び目であるその道を見下ろしながら進む。
 休憩のためにどこかに立ち寄って幻獣を労いつつ軽食を取ったりして……やがて、目的地に辿り着く。
「温泉は初めて?」
「……はい。あ、でも知識はありますから」
「知識は……ねえ」
 気遣わせないように言ったのだろうが。想の言葉にユリアンは微苦笑して、余計な口出しはせずに見守る。
 なるほど確かに、施設の利用方法としてなにか問題があるわけではなかった。マナーを守って身体を順に洗ってから、いよいよ広々とした浴場に共に身体を沈めていく。
「どう……かな?」
「温かくて気持ちいいです……それに、とても、広いですね」
 ユリアンの問いに、想は遠くを見ながら、目を時おりパチパチと瞬かせて答えた。
「そうだね。たまにこうして広いお風呂に入ると、開放感があって気持ちいいんだ」
「開放感。ああ……」
 ユリアンの言葉に、ようやく腑に落ちた、という様子で想は呟いた。
 ……オートマトンが触れ行く世界、というのはどんな感じなのだろう。ふとユリアンは思った。
 生まれたときから、知識と知恵は確立していて、経験や感情があとから来る、というのは。
 ……思えば彼は目覚めてすぐ。ここがどういう世界なのか、どんな場所が、人が居るのかも知らずにいきなり激しい戦いに参加させられ続けた訳か。
 オートマトンとはそういうもの、と言えばそうなのかもしれない。目覚めさせられてすぐ、グラウンド・ゼロの戦いで散っていった自動兵器たちも居る。彼らに戦うことに、人に従うことに理由は要らない──というか、存在そのものがその理由、ではあるのかもしれない。
 それでも。それなら。
 これから知ったって良いんじゃないかと思う。そうして守っていたものが何なのかを。
 想のマスターが。まだ猫の手も借りたいような時期だろうにこの旅行に快く彼を送り出してくれたのは、もしかして同じような思惑があったのかもしれない。
 そっとユリアンは想を伺い見る。何かを確かめるように手のひらで湯を掬っては落とし、戸惑いを浮かべていた想の表情はやがてぼんやりと遠くを見るようなものに変わっていく。細められた目元は眠たげで、段々とリラックスしているようで。ユリアンは連れてきた甲斐を感じて微笑する。
「まだ気温も高いし、のぼせないように注意してね?」
「……? あっ! えっとはい。すみません」
「いや、なんで謝るの」
「すみません……気が付いたら随分とぼんやりしていたようで」
「のんびりするのはいいことだよ。そのために来たんだから」
 笑って、そろそろ一旦上がろうか、と声をかける。
 温泉というものは分かっていると言いながら、一つ事を終えれば想は終始「次はどうしたらいいのか分からない」といった様子で。ユリアンは一つ一つ彼を導き、促してやる必要があった。
 休憩用の部屋に行って、火照った身体をゆっくりと横たえる。そんなことすら想には初めての感覚のようで。心地よい脱力感に身を委ねることすら戸惑っていて。
 それでも。
「【相棒湯】なんてのがあるんですね」
 そうやって過ごすうちに、だんだんと想自身、周囲を見て自ら何かに興味を示し始めた。幻獣と共に入れる大浴場というのは彼にも未知の物だったらしい。
 躊躇う彼の背中を押してやって、共にグリフォンを洗ってやる。この頃には、想の瞳からはいつも浮かんでいる申し訳ないような色が消えて、好奇心に満ち始めていたと思う。
 そんな、幾つかの時間を過ごして。
 ……今は、露天風呂に浸かって、満天の星になった空を二人で見上げている。
 夜空を、今想はどんな風に思っているのだろうかとユリアンは彼を見ていた。僅かに口を開けて、ただ呆然と上を見上げ続ける彼の目に映るのは、きっとこれまで見てきたはずの夜空ではないのだろう。
 それを。無理矢理聴きだして、言葉にさせようとは思わなかった。
「もう少しして──秋冬になるとのぼせずに長湯できると思う」
「そう……ですか」
 ぽつりと告げる、そのことに。想は何故、とは聞かずに……やはり、ユリアンがまた、そろそろ上がろう、というまで湯から出ようとはしなかった。

 夕飯に、冷えた果汁と温野菜。ジャガイモとソーセージといった帝国風の物を二人で味わった。
「今までに気に入った食べ物はあったかな?」
 聞いたのは、翌朝、目覚めてから。
 想は暫くキョトン、として、
「えっと……難しいですね。どれも、とても美味しかったです」
「そう? それならよかった……けど」
「……あの。すみません」
 窺うようなユリアンに、想が言う。
「食事、だけじゃないんです。諸々……本当に色々楽しかったんです……けど、どう、伝えればいいのか……」
 ぽつぽつと告げる彼の顔は、いつもの自信なさそうなそれでいて……少し、違って見えた。
 ユリアンはやはり、微笑して想に告げる。
「何となく、でいいと思う」
 美味しかったなら。楽しかったなら、それで。
 よく分からないというなら、何度でも体験してみたらいい。いやじゃなかったのなら。
「──時間はこれから幾らでもあるんだから」
 そうして、時間が合えば、自分で良ければまた付き合っても良いんだし、と。
 ……ああ、うん。自分も楽しかった。ユリアンは振り返る。
 依頼以外だと、一人旅や……誰かとだと日帰りが多くなるし。誰かと泊まるというのはそれだけで新鮮で楽しかった。
「……はい。有難うございます」
 ユリアンの言葉に、想は珍しく穏やかな微笑を浮かべていた。
 突発で誘った旅ではあったけど。
 目覚めてずっと、駆け抜けてばかりだった想にとって、実りの大きなものであったことは間違いないようだった。






━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注有難うございます。
なんか色々お気遣いいただきまして恐縮です。まだいろいろと、ただただ戸惑うばかりの子ですので、そちらがお楽しみいただけたか少々心配になりますが……。(苦笑)
とかく目覚めたタイミングがタイミングで、中々ゆっくりする時間が無かった彼です。
データよりずっと広く見える風呂やいつもと違って見える夜空、日に何度も湯に浸かるという非合理にある安らぎなどは初めから知能のある彼には逆に教えなければ知り得ないことで、贅沢かつ貴重な時間を過ごさせていただいたなと思います。
改めまして、色んな意味で有難うございました。
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凪池 シリル クリエイターズルームへ
ファナティックブラッド
2019年09月19日

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