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『枯死の季節(3)』
芳乃・綺花8870

 その姿は、一見ただの樹木のように見える。美しい花でその身を飾る、人々にとって本来は憩いの象徴である植物。
 けれど、それは人を捕食しやすくするための仮初の姿だ。退魔士である芳乃・綺花(8870)が、こうやってわざわざ相手の前に立ちふさがっているという点が、その何よりもの証拠であった。
 近頃この公園で立て続けに起きている失踪事件は、間違いなくこの木の仕業だ。正確には、木のフリをした悪霊の……だろうか。綺花は冷静に敵の様子を観察し、その動きや気配から相手の正体をすでに看過していた。
 この悪霊は、ただの悪霊ではない。恐らく、異界からやってきた異形の存在である。それ故に、この世界の悪霊とは比べ物にならない程の規格外の力を持っているようだった。
 もはやそれは、世界を脅かす厄災と言ってもいい。ただそこに存在するだけでも、周囲の空気が悪霊の憎悪で淀み、殺気で震えているのが少女には分かった。
 その振動は、確かに綺花のきめ細やかな肌を撫でている。他の者よりも聡い彼女は、むしろ誰よりもこの気配の圧に気付いている事だろう。
 けれど、彼女の様子はいつもと変わらない。自信に満ちた堂々とした態度を崩す事なく、まるで相手を挑発するように彼女はその艷やかな唇でくすりと美しい三日月を描いた。
「身を隠して不意打ちを狙おうとしていただなんて……私と正面から戦って、勝つ自信がなかったんですか?」
 事実、その愛らしい唇から零れ落ちるのは、挑発の言葉だっだ。
 美しい薔薇に棘があり、気高き蜂にも毒があるように、彼女の澄んだソプラノボイスは時にこういった鋭さを持つ。他者を見下した横暴とも言える態度。それは、その言動に見合う程の確かな実力を持っている綺花だからこそ、許されている態度であった。
 不意に、少女の足元に影が出来る。
 だが、目の前に佇む悪霊は先程からぴくりとも動いてはいなかった。視線の先にいる悪辣ではない何かが、綺花の上空に集まっているのだ。
 それは、無数の――虫だった。
 先程、公園内にいた一般市民を襲っていた虫の悪霊だ。この悪霊も、あの樹木の配下なのだろう。
 ……否、悪霊の指先と言った方が正しいか、とすぐに綺花は脳内で訂正する。
 配下というより、この小さな悪霊達も樹木の悪霊の一部なのだ。悪霊は自分の身体を切り離し虫の形に変え、いわば端末のようにそれを操り人々を次々に襲っていたのだ。
 小さな虫の悪霊といえど、その一体一体が、綺花でなければ倒すのに苦戦する程の力を持っている。それでも、今回の敵にとってはその力はたったの一部、一欠片程度の力でしかないという残酷な真実がまず世界に襲いかかった。
 もし、今回の任務を受けていたのが綺花ではなかったら、その退魔士は瞳を絶望の色に染めていた事だろう。
 けれど、綺花は違う。彼女がまずとった行動は、微笑みを浮かべる事だった。
 年相応の少女らしい、邪気のない天使のような笑みだ。だからこそ、今まで数多の者を魅了し虜にしてきた、美しい微笑み。
 綺花は思う。今日この任務を受けたのが、自分で良かった、と。
 それは、別に他の退魔士を気遣ったために出てきた感情ではない。綺花が喜んだのは、このような強大な悪辣と戦える事が、純粋に嬉しかったからだ。
 強大な力を持ち、人々を恐怖へと叩き落とす、未だかつて負けを知らない厄災レベルの悪霊。
 そんな、自分の力を過信し好き勝手に暴れる悪を、徹底的に叩きのめす瞬間はさぞ気持ちが良い事だろう。

 一斉に、虫の悪霊は綺花の健康的な魅力を持つ肢体へと襲いかかる。傷一つない柔らかな肌へと、遠慮なしに悪霊が群がる様は悪夢と言えた。
 綺花の身体は、すぐに無数の悪霊に覆い尽くされてしまう。だが、少女は悲鳴をあげる事すらなかった。
 悪霊達の容赦のない攻撃の雨が、降り注ぐ。悪意を纏った棘が、たった一人の少女に向けられる。
 だが、不意に悪霊達は何かに弾き飛ばされ、霧散した。
 悪霊達が群がっていたはずの場所に、綺花は立っている。その姿も表情も、先程までとさして変わらない。自信に満ちた笑みを浮かべ、少女は武器を構えていた。
 悪霊の攻撃は、ただの一つも綺花に届かなかったのだ。その全てを刀で弾き返した彼女は、法力を操り悪霊達を一掃した。異界から襲来してきた存在であれど、小さな虫の悪霊など彼女の膨大な法力の前では雑魚に等しいのであった。
「まさか、これで終わりではありませんよね」
 相変わらずの尊大な言葉で相手を挑発した彼女は、直後地を蹴る。しなやかに跳躍するのと同時に、スカートとロングヘアーが揺れた。
 刃が、宙を走る。彼女の振るった刀が、悪霊を薙ぐ凶器となる。
 けれど、敵は自在に枝の位置を変え、その攻撃をしのいでみせた。僅かに斬られた葉が、場違いな程にゆっくりとその場へ落ちたが、悪霊にとっては大した怪我でもないのだろう。笑うように、悪霊は枝を揺らす。葉と葉がこすれる音が、不気味な不協和音を奏で少女の耳を無遠慮に撫でた。
「残念ですね。この程度ですか?」
 けれど、悪霊の笑い声は不意に止まる。揺らしていた枝が、いつの間にか地へと落下していた。
 ――目にも留まらぬ速さで綺花が振るった二撃目が、確かに悪霊を切り裂いていた。
 一撃目は、綺花にとってただの様子見に過ぎなかったのだろう。或いは、彼女は少し惜しく思ったのかもしれない。なにせ、綺花が最初から本気を出してしまったら、勝負など瞬く間に決してしまうのだから。
 葉が落ち、枝が斬られる。刃の音が追いつかない程に速く、的確な攻撃が悪霊を追い詰めていった。
 悪霊が彼女に攻撃を仕掛ける機会は、彼女が僅かに手を抜いた一撃目にしか存在しなかったのだ。後は、反撃する隙すらも見出だせず、喚き、斬られるだけ。
 巨木が、倒れる。世界に厄災をもたらす程の力を持つ悪霊にしては呆気なく、けれどその醜悪な魂には相応しい、ぶっ格好で惨めな最期であった。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月24日

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