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『感染する憎悪(1)』
水嶋・琴美8036

 悪魔が優勢だったはずの戦況は、たった一人の少女の介入により一変していた。
 規則正しく折り目が並んだプリーツスカートから美しい足を覗かせながら、戦場を舞う水嶋・琴美(8036)の振るったナイフが、罪なき市民に襲いかかろうとしていた悪魔に向かい振るわれる。
 大勢いたはずの悪魔は次々に倒され、気付いた時には残っているのはボスである大悪魔一体だけになっていた。
 それでも、大悪魔は足掻き続ける。彼は未だ、琴美の事を侮っていた。
 悪魔の心すらも惑わすような彼女の美貌のせいで自分の配下達は油断したに違いない、と大悪魔は思う。魅力に溢れたその身体に見惚れてしまい、攻撃が鈍ってしまったのだろう、と。
 でなければ、この美しいだけの少女に自分達悪魔が負けるはずがない。確かに戦場慣れしている様子だが、所詮琴美は人間であり、その力は悪魔には到底及ばないに決まっているのだ。
 ――それは、過信だった。大悪魔は、琴美に向かい自分の自慢の爪を振るう。
 ――それは、盲信だった。しかし、その爪は彼女には届かない。確かにとらえたと思ったのに、美しい彼女の姿はまるで幻だったとでも言うかのように瞬きの間には消えてしまっていた。
 ――それは、慢心だった。自分の力に溺れていた大悪魔は、この少女が自分よりも力を持った存在である事に最後まで気付けない。
 だから、悪魔は後ろを振り返ろうともしなかった。いつの間にか背後に回っていた彼女が、彼の人生に終わりを告げる、その瞬間になっても。
「終わりね。これで、さよならよ」
 少女がワイヤーを持つ手を引く。瞬間、世界に散る色は黒に近い赤だ。
 それは、彼女の被る愛らしいベレー帽よりも、ずっと淀んだ赤色。悪魔の血の色であった。

 佇む彼女の髪を、悪戯に風が撫でる。髪を整え直してから、静かにその場を去って行く琴美の服には、汚れ一つついていない。
 今回の任務も、彼女は敵に一度も触れさせる事なく成功させてみせたのだ。

 ◆

 ――数日後。
 上司に呼び出されて、琴美は自分の拠点に訪れていた。表向きの仕事を終えたばかりの彼女は、そこに居るだけで人の視線をさらうその美貌を除けば、いたって普通のOLに見えるだろう。実際彼女はそちらの仕事も完璧にこなしており、部下からも羨望の眼差しを向けられている。
 しかし、彼女の本当の仕事は、それではない。琴美が立つのは、会社ではなくブタイの上だ。
 舞台ではなく、部隊。自衛隊特務統合機動課にてトップクラスの実力を持つ彼女は、部隊に所属している他の者達よりも上に立ち、日夜悪を討伐している。
 部隊の上に立つといっても、それは優秀な彼女に並ぶ事の出来る者がいないという意味であり、琴美はチームリーダーを務めるよりも単独で任務に赴く事の方が多かった。他の者がいたとしても、実力の差がありすぎて琴美の速さには追いつけず役に立たないどころか、かえって余計な事をして面倒を増やす可能性もある。
 故に、彼女は今日も一人で戦場に向かう。たった一人で、彼女は悪魔に立ち向かうつもりなのだ。
 上司から任務に関する資料を受け取った彼女は、夜空のように深い黒色の瞳を、何度か瞬かせた。内容をもう記憶したのか、資料をデスクの上へと置いた彼女は「なるほどね」と呟く。
「私に、この程度の敵の相手をしろって言ってるの?」
 その麗しい唇から溢れ落ちた声は、美貌に見合う凛とした美しさを持っていたが、紡がれた言葉の内容にはどこか棘があった。サディスティックな本性を声に乗せ、琴美は吐き捨てるように呟く。
「緊急の呼び出しだったから、少し期待していたけど……大した事のなさそうな相手で拍子抜けだわ」
 今回の任務は、悪魔の討伐だ。最近、街に突然悪魔が姿を現すようになったという噂がある。その数は尋常ではなく、調査の結果何らかの儀式が行われているのだろうと予測した上司は、琴美へその討伐を命じたのだった。
 相手の正体も、正確な数もまだ分かっていない。しかし、資料にある悪魔の出現地域や頻度、その行動パターンを見て、琴美は今回の相手の実力にすでにあたりをつけていた。
 この程度の相手など、琴美にとっては慣れたものだ。もっとずっと強大な悪を、数え切れない程の悪魔を、彼女はたった一人で倒した事さえある。
 悪魔という存在は彼女にとって、見下すべき存在だ。だから、徹底的に蹂躙し、殲滅しなければならない。しかし、この程度のレベルの相手では、蹂躙するまでもなく一瞬で倒せてしまえるに違いなかった。それ故に、琴美は呟くのだ。物足りない、と。
 上司は、困った様子で溜息を吐いた。琴美の言動は傲慢とも言えたが、彼女はそれに見合う確かな実力を持っている。だから、上司も強くは言えないのだ。
 琴美からしてみたら、確かにこの程度の悪魔は雑魚に過ぎない。けれど、他の者にとっては強大な悪だった。琴美でなければ倒す事が出来ないレベルだと判断したから、彼は彼女に任務について話したのだろう。
 上司の溜息に、くすり、という音と共に不意に甘い吐息が重なった。琴美の笑声だ。
「……分かったわ。悪魔が好き勝手しているのを、野放しになんて出来ないものね」
 事態が把握出来ていないのか、それとも琴美の笑顔に見惚れてしまったのか、しばし上司はその場で固まってしまう。
 そんな彼を見て、どこか悪戯っぽく琴美は笑みを深めた。
「今回は、引き受けてあげるって言ってるのよ。特別にね」
 少女が浮かべている笑みは、愛らしくもあり妖艶でもあった。人を手のひらの上で転がす事も容易いであろう笑みを浮かべたまま、彼女は続ける。
「では、戦闘服に着替えてくるわね。いつものように、任務が終わったら連絡するわ」
 任務が失敗する可能性については、一切考慮していない口ぶりだ。彼女は、当然のように今日も任務を成功させて帰ってくるつもりなのだろう。
 自分が負ける事など、琴美にとってはありえない事だった。敗北する可能性はゼロだ、と琴美は胸を張って言い切る事が出来る。
 だからこそ、その足取りは自信に満ち溢れており、迷いがない。琴美は戦闘の準備をするために、私室へと真っ直ぐに向かうのであった。


東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月24日

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