▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『さだめの手』
藤咲 仁菜aa3237)&九重 依aa3237hero002)&リオン クロフォードaa3237hero001

 思い出せない。
 俺はどこでどうやって生きてきた? それよりもついさっきまでなにをしてた? なんで俺はこんなところで死にかけてるんだ?
 いや、それはさすがにわかってる。俺は負けて、その結果、こうなってるんだ。
 誰に負けたのかも、どんなふうにやられたのかも思い出せないが、これでやっと楽になれるって、そう思ったんだろう。今も思ってるんだからまちがいない。
 ついでに訂正しておくか。俺は死にかけてるんじゃなくて、死んでる。腹の穴はセルフチェックするまでもなく致命傷だし、なのに意識があるし、なにより体は透けてぼやけてる。
 って、おかしくないか? せっかく楽になったはずが、実は幽霊になるほど未練があったって? それよりここはどこだ? さっぱり見覚えがない……なにも思い出せないのが、今だけはもどかしい。
 ――それにしても冷たいな。
 雨だ。雨が降ってるんだ。
 すり抜けてくだけなのに、どうしてこんなに冷たいんだよ? って、わかるわけもないか。
 なあ。幽霊がいるんなら、神様だっているんだろ? 今から入信するよ。だから俺を地獄に連れてってくれないか? こんなところで永遠に寒い思いをするより、業火ってやつに焼かれながら嘆くほうがましだ。


「どうかしましたか?」
 突然かけられた高い声音に、幽霊は顔を上げた。
 この聞き覚えのない声は死神のものだろう。取り損なった魂を探しに来たわけか。ああ、そうだ。死んだ俺はここにいる。早く連れていってくれ、俺が落ちるべきどん底に。
 開きかけた口がそのままの形で止まり、幽霊は紡ぎかけた言葉を口の中で霧散させた。
 目の前にかがみ込んだそれが、どう見ても死神ではなかったから。
『……誰だ?』
 今の自分はどうにも情けない顔をしているのだろうなと思いつつ、幽霊が問えば。
「えっと、通りすがりのエージェントです」
 頭の左右から垂れ下がった兎耳をひくつかせて少女は応える。
 エージェント?
 スパイには見えなかった。こうした仕事をこなす者にはなにより、目立たない能力が必要とされる。気配を殺すことは息をすることと同じほど身についているものだし、足運びやしぐさ、それこそ声音すら印象に残さぬ工夫を施す。
 では、代理人か? あたたかな血肉を持つ少女に、死神の代理人は務まるはずはない。言葉を商材にする者にしては言動も鍛えられていないようだし、やはりこれもありえまい。
「あの。雨、降ってますし、夜遅いですし」
 そんなことはどうだっていい。どうせ雨なんかすり抜けてくだけだ。幽霊はかぶりを振り、疑問をそのまま口にした。
『なんのエージェントだよ』
 対して少女は小首を傾げ。
「ホープっていう組織で、グシンっていう侵略者と戦ってる、エージェントです」
 ホープ? グシン? さっぱりわからないが、戦っているということは兵士なのか。こんな鈍臭そうな娘を戦場に出すような組織が真っ当な代物であるはずはない。
 幽霊は少しだけ親近感を感じてしまう。
 兵士で、しかも獣の耳を持つ少女。その様はなぜか自分と重なるものがあって……ああ、そうか。俺も兵士だったからだ。お偉い面々にとってはこの上なく便利な、人ならぬ力を備えた化物。
「ここは異世界なんです。エーユーさんは元いた世界からこっちの世界に来るんですけど、記憶があんまり残らないみたいで。だから混乱してるとこ、あると思うんですけど――」

 懸命に説明してくれる少女を制し、幽霊は整理する。
 エーユーとかいう謎の単語は増えたが、とりあえずここが自分のいた世界じゃないことは知れた。そしてこの少女は自分と同じように使われる兵士であることも。
 ただ、こうして出歩いていられるのだから、少女の置かれた状況は自分ほど絶望的でもないはず。
『誰の代理で戦ってるのかは知らないが、さっさと逃げるんだな。便利に使われてる内に、俺みたいなことになるぞ』
 心からの助言だったのに。
 少女は強くかぶりを振るのだ。
「妹が入院してるんです。でも、そのお金は悪い人たちが払ってくれてて……代わりに私は戦わなくちゃいけないんです」
『妹が人質になってるのか?』
 幽霊の透けた手がアスファルトの上で握り込まれた。理由の知れない憤りが沸き立っている。あいつらはいつだってそうだ。自分の目的のためならどんな手も恥じることなく使って強いる。
 幽霊の内からあふれ出る不穏な気配に気づいた少女は、あわてて両手をぱたぱた振り。
「あ、でも。私、戦場に出てわかったんです。私が助けたいのは妹だけじゃないんだって。この力は、助けを待ってる人に手を差し伸べるためにあるんだって」
 大切な仲間にもいっぱい会えましたしね! 少女の笑みがまぶしくて、幽霊は思わず目を逸らした。
 手を差し伸べる? 自分が望んで立ったんじゃない戦場で?
 こいつは俺とはちがう。ただあいつらに使われ続けたあげく、死にきれなくてうずくまってるだけの俺なんかとは、まるでちがうものなんだ。
『なら、とっくに死んじまってて助けようのない俺は置いていけよ』
 早くおまえに似合いの、明るくてあったかいほうへ行け。こんな冷たい暗がりで幽霊に構ってないで。
「そんなことできませんから!」
 きっぱり。少女は言い切って、そして。
「だってあなたエーユーさんですよね!? ノーリョクシャさんもいないんですよね!? このままだと消えちゃうんですよ!?」
『エーユーとかノーリョクシャとか知らないけどな。こうしてれば俺は消えるのか。そいつは朗報ってやつだ』
 薄笑んで返せば、少女はぐうと表情を曇らせ、うつむけられた幽霊の顔をのぞき込んだ。
「どうして、そんなこと言うんですか?」
 幽霊は顔を振って少女の視線から逃れる。
 うざいんだよ。聖女気取りもいい加減にしてくれ。俺は終わりたいんだ。
『なにも残さないで消えちまえるならそれがいい。どうせなにも憶えてないんだし、だったら最初からなかったのと同じだろう』
 苛立ちを乗せて少女の追求を拒み、手を振って追い払う。
 深い靄の底に蠢く記憶はどうにも薄暗く、きっと苦痛と悲哀に満ちているのだろう。もしかすれば別のなにかが含まれているのかもしれないが、取り戻したいなどとは到底思えなかった。
 地獄で苛まれるのも悪くないつもりだったけどな。生まれたことまでなかったことにできるなら、そっちのほうがいい。

 ――と。肉のない幽霊の左手が少女の両手に包み込まれた。
「あなたが消えちゃったら、いつか思い出せるかもしれない大切な思い出もみんな、消えちゃうんですよ」
 震える声で少女は言葉を継ぐ。まるで心の奥底から絞り出すように。
 幽霊は苛立った。いったい俺のなにがわかるっていうんだ? 忌み子が消えて失せることは、俺にとってだけの朗報じゃないってのに。
 忌み子? 俺は、そうか。生まれてくる価値なんてあるはずのないものか。
 ひとつだけ思い出した事実を噛み締めて、幽霊は静かに言葉を紡ぐ。
『憶えておけ。おまえの前にうずくまってる奴が全員、助けてほしくて待ってるわけじゃない。大切な思い出とやらじゃなくてクソみたいな後悔ばかりが詰まってる奴だっている。だからこそ生きてる価値なんざない、綺麗さっぱり消えちまいたい。そう願ってる奴もいるんだってな』
 消滅に救いを求めるのは、俺がクソ以下のカスだからだ。
 どん底で大切なものを見つけられたすばらしい奴に、憐れんでなんざいただきたくないんだよ。
「私だって!」
 悲鳴が幽霊のセリフの余韻を噴き飛ばす。
 なんだよ、こいつ。なんでそんな、必死なんだよ。
 とまどう幽霊へ返されたものは、思いを押し詰めた少女の吐露だった。
「私だって、ずっと思ってました。なんで妹のこと守りきれなかった私が無事だったのかなって。こんなに苦しくて痛いのに、どうして生きてなくちゃいけないのかなって。生きてる価値なんてぜんぜんない私にできることなんてないのにって。でも」
 幽霊の冷え切った左手に、熱が灯った。
 なにも届かないはずの実体なき手が、少女の両手であたためられている。そして。
「手を伸ばして、引いてくれた人がいるんです。苦しさと痛さを突き抜けて、その先にあるものをいっしょに探そうって」
 少女が幽霊を見る。迷いもためらいもなく、その視線でまっすぐ彼の眼を射貫く。
「だから今度は私が手を伸ばすの。あなたが嫌がったって、放っておいてなんかあげない。苦しさと痛さしか憶えてないあなたを消えさせたりなんて、絶対しないんだから!」
 丁寧語を振り捨て、心のままに吼える少女。
 その激情の意味がどうしてもわからなくて、幽霊は眉根をひそめる。
 雨の夜に行き会った俺を憐れんでる、それだけのことじゃないのか。放っておいてあげないって、どうする気だよ。どうなったら満足するんだ?
『おまえ、俺のことどうしたいんだよ』
「あなたに後悔させたくない。ううん、ちがう。私が後悔したくない! 今、このときにだって悔いたくなんかないんだから!」
 少女は幽霊の左手をそのまま持ち上げた。
 幽霊は抵抗することすら忘れてそれを見送ってしまう。実体がないはずの俺の手を、なんでこいつは持ち上げられるんだ?
「今度は私が手を伸ばして、引っぱるの。だから」
 まるで幽霊の心の声が聞こえたかのように言い、少女は幽霊の手を自らの胸へ抱いて。

「これから一緒に生きる意味を探そう」
 それは誘いでありながら誘いならぬもの。
『これから、いっしょに、いきるいみを、さがす――?』
 それは問いでありながら問いならぬもの。
 それは確認だった。
 それは確信だった。
 それは確約だった。

 ああ。思い至った幽霊は息をつき、少女に抱かれた己が左手を見やる。
 どうやら俺がこの世界へ追いやられた理由は、こいつにあるわけか。いや、そうじゃないな。理由ってやつの答は、こいつが行きたい「先」にあるんだ。生きたい意味も意義もないはずの俺に用意されてる答が。
 幽霊を引っぱり起こした少女はうんとうなずき、握り込んだ手に力を込める。
「私、藤咲 仁菜。あなたは?」
『九重 依っていうらしい。よろしく、相棒』
 どうしてこんな浮かれたセリフを吐いてしまったものかは知れなかったが、多分、気が動転して、浮かれていたのだろう。こんな自分に手を伸べられたことに……先に待つ未知なる世界へこの少女と踏み出していけることに、たまらなく胸が躍ってしまったせいで。
「うん、よろしくね相棒っ!」
 笑みを輝かせ、幽霊の手を引く少女。
 これから一緒に生きる意味を探そう。
 噛み締めるように胸の内で繰り返し。幽霊、いや、依は実体を得た自分の様を確かめた。よし、腹の傷は跡形もなく消えている。
 だから確かな重さを持つ足でアスファルトを踏みしめて、冷たい雨をしっかりと弾き続ける手で少女――仁菜の手を取って。
 先を目ざして踏み出した。
 俺の左手はおまえに預ける。その代わり、おまえの右手は俺が預かるさ。
 これが藤咲 仁菜(aa3237)と九重 依(aa3237hero002)の出逢いを綴る小話で。そして――


 リオン・クロフォード(aa3237hero001)は、玄関に立つずぶ濡れの仁菜と、その後ろに立つずぶ濡れの少年を見て、なぜか繋がれているふたりの手を見下ろした。
「ニーナ、ごまかさないで正直に言えよ」
「ごまかすことなんてないし? 正直にならなくちゃいけないこともないけどー」
 仁菜の目がリオンから逃げて、顔ごとぷいと横に向く。あからさまにごまかしたくて隠したい者のやりようだ。
「拾ってきたんだな」
 断言してやれば、仁菜はむっとリオンをにらみつけて。
「拾った! じゃなくて、連れてきただけだもん! 雨に濡れてて寒そうだったし! もうすぐ消えちゃいそうだったし!」
 それでわかった。というか、リオンにはもうわかっていた。後ろの少年が英雄であることは。
「子犬とか子猫じゃないんだから……」
「ちゃんと大事にするもん! いっしょに生きる意味、探すんだから!」
 はいはい、誓約まで交わしてきたんだな。
 リオンは深いため息をついてかぶりを振る。こうなればもう、元の場所に捨ててこいなんて言えるはずはない。誓約というものは、英雄にとってなによりも重く大切なものだから。そして少年がそれを、軽い気持ちで交わすような男には見えなかった。
 運命とか宿命とかで片づけたくないけど、英雄と能力者は出逢うだけのなにかがあるから出逢う――俺とニーナがそうだったみたいに。あいつもそのなにかがあったから、ニーナと出逢ったんだよな。
 リオンはもう一度ため息をつき、まだ主張が足りなそうな仁菜から少年へと目線を移した。
「リオン・クロフォード。この子の第一英雄でバトルメディックだよ」
 眉をひそめつつ――第一英雄やバトルメディックという単語を知らないからだろうとリオンはすぐに思い至った。こちらの世界に顕現したばかりの英雄にはよくあることだから――少年も低い声音で自らの名を告げた。
「九重 依だ。俺はまだ俺が何者なのか知らないが、あんたの後輩ってことになるのか?」
 うなずいておいて、リオンはふたりを内へと引っぱり入れる。
「そういうのは後にしてさ、先に濡れた服着替えてよ。風邪は引かないかもだけど、落ち着かないだろ。その間に俺、コーヒーでも」
「それは私がやるからリオンは依の着替え見てあげて急いで早く迅速に!」
 あわててリオンを引っぱり止めて、仁菜が奥へ駆け込んでいった。
 なにせコーヒーは黒い。そしてリオンの料理の腕は壊滅的を大きく超えている。コーヒーなんていう黒々しいものを淹れさせたら、そこに顕現するダークマターレベルが見ただけでは判別できない。よって超危険。
 そんなふたりのコンビネーション(?)を目の当たりにした少年――依は、思わず口の端を吊り上げた。
 男と女って感じじゃない。子犬がじゃれ合ってるみたいだ。
 まだ仁菜とリオンの複雑な関係性を知らなかったからこその感想ではあったのだが、ともあれ。
「着替えかぁ。俺の服は、入るわけ、ないよな……」
 依との身長差を手で測り、絶望的な表情で言うリオン。
 俺より若いんだろうに、背が低いことでこんなに落ち込むのか。とりあえずそのことには触れないよう、依は無表情を作って言葉を発した。
「あたれるような火があれば乾かすさ」
「火? って、コンロの火でも大丈夫なのかな。――ニーナ、ヨリが火にあたりたいってさ! コンロ使わせてやって!」
 奥へ案内されながら、依はやれやれ、眉根を上げる。
 リオンのこともそうだが、少しでも早く、この地のことを憶えなければならない。抜かりなく潜み、苛烈に攻め立て、預けられた右手を守って先へ行くために。
 きっといそがしくなるんだろうが、いいさ。俺は消えるよりも生きることを選んだんだ。なら、行けるところまで行くだけだ。


パーティノベル この商品を注文する
電気石八生 クリエイターズルームへ
リンクブレイブ
2019年09月24日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.