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『闘争と妄想の女子更衣室』
水嶋・琴美8036

 人を見下し、踏みにじるために生まれた女だ、と僕は思った。
 顔は、美しい。すっきりとした鼻梁の線も、白く滑らかな頬も、汚物を擦り付けてやりたくなるほど綺麗である。
 鋭く澄んだ瞳は、僕を見れば見下すだろう。腐りかけの生ゴミを見る眼光を放つだろう。
 愛らしく端整な唇は、僕に対しては冷たい嘲り言葉しか紡がないであろう。
 さらりと伸びた黒髪が、うなじから背中にかけての優美な曲線を撫でる様も、美しすぎて許し難い。
 美しさは、努力の結果ではないのだ。美醜は生まれついてのもの。僕のように親が美しく生んでくれなかった人間は、死ぬまで醜いままだ。
 この水嶋琴美(8036)という女は、何も苦労をしていないのに、ただ美しいというだけで一体今までどれほどの恩恵を受けてきたのか。
 その嫌らしい胸で、一体何人の男たちを惑わせ誑かしてきたのか。
 まったく、本当に嫌らしい。まるで男に揉ませるために造型したかの如く肉感的な膨らみが、純白のブラジャーに押し込められていて窮屈そうだ。
 この卑劣な女は、腹の脂肪を胸へと引き上げる違法な手術でも受けたに違いなかった。そうでなければ、胴体がこんなに綺麗に引き締まるわけがない。
 人間の腹部というものは、皮下脂肪を溜め込んで膨張してゆくのが、生物として本来あるべき姿なのである。僕がこんなふうにブクブク肥っているのは、だから何もおかしな事ではない。
 左右の脇腹を美しく凹ませ、胴の正面にうっすらと腹筋の線まで浮かべた、この水嶋琴美の方が異常なのである。
 くびれた胴体から、育ち過ぎの白桃にも似た尻にかけて膨らんだ曲線は、この女の好色さ淫乱さの現れであると僕は思う。大きな尻は多産の証、つまり牡を求めてやまないという事だ。
 淫猥きわまる肉感が、純白のショーツを破って溢れ出してしまいそうである。いっそ脱ぐべきだ、いや最初から穿くべきではない。
 脱ぐどころか、しかし水嶋琴美は、その上から黒いものを重ね穿きしていった。スパッツ、のようである。黒い薄手のそれが、むっちりと肉付きの嫌らしい太股を這い上り、淫らな大尻に貼りついてゆく。
 その上から短めのプリーツスカートがふわりと被さる。
 この女は今、許されざる罪を犯した。ミニのスカートを穿くのなら、その下は生のランジェリーでなければならない。スパッツやレギンスなど、邪道外道の極みである。
 剥ぎ取ってやる。そして、殺す。
 僕がその思いを燃やしている間、水嶋琴美は、上半身にも黒いものをまとっていた。何らかの特殊素材であろうインナースーツが、嫌らしい肉体にピッタリと密着して、男に媚びるためだけのボディラインを際立たせる。
 その上から、短い和服とも言うべき形状の上着がフワリと覆い被さり、帯で締められる。そんなものをまとっても、胸の淫らな膨らみようを隠せはしない。
 僕を踏みにじるためにスラリと伸びた長い脚を、攻撃的なロングブーツで武装しながら、水嶋琴美はようやく声を発した。
「私を、許せなく思っていらっしゃる? ふふっ……お詫びのしようもありませんわ」
 僕に話しかけているのか。否、ありえない。僕の姿が、見えるはずはないのだ。
「せめて最後の眼福、とくと御堪能なさいませ」
 高慢な美貌が、にっこりと歪む。見えていないはずの、僕に向かって。
 人間の視覚では認識出来ない、はずの僕に向かって、水嶋琴美は踏み込んで来ていた。
 許し難い胸が横殴りに揺れ、背徳のボディラインが竜巻のように捻転する。むっちりと凶暴な太股が跳ね上がり、畳まれていた膝が超高速で伸び開く。
 ジャックナイフを思わせる回し蹴りが、僕の顔面に叩き込まれたのだ。
 快感にも等しい衝撃が、僕の脳を激しく揺らす。
 その心地よい振動が、僕の全てを活性化させる。
 自分でもよくわからぬ叫び声を発しながら、僕は口を開き、舌を伸ばしていた。
 鞭のように、触手状に長く伸びる舌。
 それが、水嶋琴美の肢体をペロリと絡め取っていた。


 虚無の境界が、怪物を放流している。
 人間に、様々な生物の遺伝子を組み込んで、動植物の能力を持たせる。例えば大型肉食獣の怪力と人間の知力を併せ持った超生物を誕生させる。
 そんな実験を、行っているらしい。
 少し前、某県の路上で、放流された男の1人が暴れた。その男は、山羊の身体能力を組み込まれていたという。
 護送中の凶悪殺人犯が、その男に殺害された。護衛に当たっていた警察の特殊部隊もろともだ。
 特務統合機動課は不覚にも出遅れ、その怪物は別組織に仕留められてしまった。
 今、水嶋琴美の眼前で悶え狂っている男には、山羊ではなくカメレオンの能力が与えられているようだ。姿を消して、とは言え、こうして特務統合機動課の女子更衣室にまで忍び込んで来た。それは褒めてやっても良い、と琴美は思う。そこそこの手練れである。
 そんな男が床に倒れ込み、表記不可能な何事かを喚き散らしている。
 小太りの身体は、ざらりとしていながら妙に滑り気のある皮膚に覆われていた。迫り出した両眼はギラギラと血走りながら、現実を見ていない。臓物を吐き出したかの如く長い舌は、嫌らしくうねり跳ねて唾液を飛び散らせ、何かを舐め回している。
 恐らくは、妄想の中にいる水嶋琴美を。
 蹴りの一撃で、この男は現実を見失った。
 蹴り倒され、立ち上がれぬまま、この男は夢を見ている。
 夢の中で水嶋琴美に、ありとあらゆる欲望をぶちまけている。
 その様を琴美は、現実の側から冷ややかに観察した。
 自分は今、この男の夢の中で、無様な敗北を喫しているのだろう。蹂躙され、汚辱にまみれ、ぼろ雑巾あるいは壊れた人形のような様を晒しているのだろう。
「まあ妄想をなさるのは個人様の自由権利……ご自分の頭の中だけに、とどめておかれませ。私、お付き合い致しませんわよ」
 語りかけながら琴美は、ロングブーツから小さく鋭利なものを引き抜いた。
 しなやかで強靭な細腕が、一閃する。投擲の動き。グローブから露出した優美な五指から、光が飛んだ。
 投射用の、小型クナイ。
 それが男の脳天に深々と突き刺さっていた。
 おぞましくも滑稽な絶叫が、更衣室内に響き渡る。
 男は、現実に帰還していた。
 小太りの上体を起こし、凹んだ頭部から様々な体液を噴射しつつ痙攣している男に、琴美は微笑みかけた。
「御機嫌よう……さあ逝かれませ。爽やかなる目覚めから、安らかなる眠りへと」
 右の美脚が、ゆらりと離陸して高々と舞い上がる。
 そして、斬撃の如く振り下ろされる。
 鋭利な踵が、男の凹んだ頭部をさらに陥没させていった。突き刺さっていたクナイが、怪物の脳髄の奥深くへと埋まってゆく。
 弱々しく痙攣しながら屍と化してゆく、小太りの肉体を、琴美はもはや見てもいない。
「私、今の生活に満足してはおりますけど……否。満ち足りている、とは申せませんわね」
 ただ、呟くだけである。
「満ち足りているのではなく、妥協しているだけ……もっと、私を追い詰めて下さる方。どうか、いらして……」 


東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年09月30日

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