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『明けの虹』
魂置 薙aa1688

 魂置 薙(aa1688)は呆然と思ったものだ。
 ああ。熱くて、たまらない、な。
 思考が不自然に途切れる。顔の左半分が引き攣れているせいでうまくしゃべれないのは自覚していたけれど、だからって思うことにまで影響するなんて。
 それにしても酷い怪我だ。深すぎて、広すぎて、痛みが追いついてこない。だからこそこうして呆けていられる部分もあるのだろうが……体が動かない。左半身は顔と同じく酷い怪我をしているせいで。右半身は、覆い被さった誰かに押しつけられて。
 薙は必死で痛がろうと急いた。痛みで浮かされているせいだと思い込めたら、自分を護ろうとしてくれたのが誰なのか、気づかないふりをしたままでいられるはず。
 そうしている間にも火の熱がじりじりと迫り来る。左眼は潰れているし、右眼は覆われているからなにも見えないのに、感じられてしまうのはたまらない。いずれ焼かれるのを待つくらいなら、死んでいればよかった――
 そうじゃない。
 いいはずが、ない。
 僕を、護ってくれた、家族に、死んでれば、よかった、なんて、言えるもの、か。
 見えないだけの目を逸らすな。楽になりたくてごまかすな。あきらめて投げ出すな。
 僕の命は、終わるために、あるんじゃ、ない。
 全部、終わらせる、ために、あるんだ。
 鉄臭い味のする奥歯を噛み締めて、薙は右半身に力を込める。護ってくれたものを押し退けて、立ち上がろうともがく。ごめん。今はここに、置いていく。終わったら、かならず、迎えに来る、から。
 と。蠢くばかりの彼の右耳を声音が揺らした。このままにしておかなくていいのかと、どこかためらうように問いかけてくる。
 その声に、薙は応えた。
「力を、貸して、欲しい」
 ただの空耳であったなら、地獄のただ中へあてもなく転がっていっただろう細い言葉。
 しかし彼女はそれを拾いあげて、薙の左手を掴んだのだ。
 それが願いなら――

『生きろ』

 果たして薙は担ぎ込まれた病室の中で知る。
 自分と家族は愚神というものに襲われたのだと。
 そして彼の手を引き上げてくれた彼女は英雄と呼ばれる存在であり、自分がライヴスリンカーであることを。
 彼女の言葉は誓約となり、薙は胸の内で据えたのだ。
 この先の、生は、僕のための、ものじゃ、ない。復讐の、ための、ものだ。辛くて苦しい、道になるんだろう、けど、絶対に、投げ出さない。復讐を、果たすまで、生き続けて、進み続ける。
 後に立てた家族の墓の前で、彼は幾度となく繰り返し、刻みなおし、そして駆けた。


 暗い。
 暗くてなにも見えない。
 でも、これまで幾度となくしてきたように、跳ね起きて右手が動くことを確かめたり、機械化した左眼の焦点を無闇に合わせようと急いたり、そんなことはしない。する必要がない。
 たとえひとりで眠っていても、その中でふと目を醒ましたのだとしても、知っているから。
 僕はもう、独りじゃないんだって。

 カーテンは薄黒く染め上げられていて、夜が明けるまでにまだいくらかの時を必要としていることを示す。どうやら雨も降っているようで、ほろほろと賑々しい。
 雨音に飾られた黒を見るともなく見やりながら、薙は右手で左肩――今も残る傷跡を包み込んだ。
 英雄との誓約を顧みることなく、戦ってきた。愚神を滅ぼせるならどうなってもいいと、ただ大太刀を振るい続け、突き進んだが、しかし。
 道の半ばで、友と出逢った。
 肩を並べ、背を合わせて戦場を駆け抜け、そしてそればかりではない世界で向き合って、笑い合った。
 英雄はそんな彼を、なにを言うこともなく笑みながら見ていてくれた。
 彼女の笑みが示したものを、今の薙は理解している。英雄は伝えてくれていたのだ。生きるとは、それを楽しみ、喜ぶことに他ならないのだと。
 復讐のための生は、その先へ進むための道のりへと変じていき、彼の歩にはいつしか大切な人の歩が重なって、さらに強く踏み出されていく。
 これからもいっしょに歩いて行こう。その想いを先に告げたのはいったいどちらからだったろうか。多分、どちらも自分から切り出したと言うだろう。自分のほうが相手を想っているのだと主張したいばかりに。
 人から見ればどちらでもいいことなのだろうが、薙としては譲りたくなかった。なにせ婚約指輪を贈られた身だ。気持ちくらいは上回っていたい。
 ……指輪が左手の薬指を包んだそのとき、初めて赦せた気がする。
 自分が生きる楽しみを。
 自分が生きる喜びを。
 自分が大切な人との、ありたい先を願う我儘を。
 なによりもたった今、あるがままの自分を。

 すべてが終わった後、薙は胸の内に在る家族へ報告した。
 僕を護ってくれてありがとう。繋いでくれた命が尽きるまで生きてみるよ。彼といっしょに、笑って泣いて、精いっぱい騒々しく。


 と。
 スマホがメールの着信を告げて身震いする。
 薙は送信者が恋人であることを確かめ、本文を確かめた。
 外に注目。
 それだけの内容で、思わず苦笑してしまった。こんな時間に起きているイレギュラーは知らないはずなのに、当たり前のようにこんなものを送ってくるなんて。
 繋がってるんだね。僕たちはしっかりと。
 思ってみたらさすがにくすぐったくて、薙はベッドの上で肩をすくめ、跳び降りた。
 カーテンはいつの間にか薄黒から薄白へと染め変えられていて、雨が通り過ぎたことと、夜が明けつつあることを教えてくれる。
 なぜか厳かな気分になって、彼はしずしずとカーテンを引き開けた。

「あ」

 空に残された雨を地平から伸び出す明けの白光が照らし、七色のアーチを描き出す。
 虹だ。
 けして鮮やかな彩ではないけれど、ほんのりとやわらかく、目をあたためてくれるような光の道。
 ながめているうちに思い出した。生を終えたものは虹の橋を渡り、彼の岸へ行くのだという。
 だから――薙は託すことにした。自分の中に縛りつけていた家族を、大切な人が導いてくれた、あの虹へと。
 復讐も悔恨も、僕は今度こそ置いていくから。これからは幸いだけを目ざして行くんだ。


 思いを噛み締める薙へもう一通届いた恋人からのメールは、もうすぐ帰るというコールだった。浸らせてくれた気づかいもうれしいけれど、それよりもうれしい知らせ。
 薙はベッドに戻らず、キッチンへと向かった。
 今日はずっと特別な時間にしよう。思い出を彼に話して、彼とのこれからを語り合おう。眠い目をこすりながら付き合ってくれるだろうから、せめてコーヒーを用意しておきたい。とっておきの豆を挽いて、濃いめに淹れたやつを。
 よし、もののついでだ。軽くつまめる軽食も作ってみようか。
 喫茶店を始めたいと、なんとなく思うようになってから、コーヒーの淹れかたを工夫するだけでなく、サンドイッチやパスタメニューも試作するようになっていた。すぐに頭の内に収めたレシピを捲り、朝にぴったりの、あっさりとしていながら滋味の深い貝出汁のスープパスタにしようと決める。

 手際よく準備を進めながら、薙は虹を返り見た。
 ああ、虹が消えていく。省みた自分の姿と、顧みた過去の様とを共連れて。
 胸にさす感慨は少しだけ寂しくて、でもなにより優しくて……薙は笑みを翻す。
 踏み出した歩が向かうのは、これからの先。
 明るい光に満ち満ちた、未来。


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2019年09月30日

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