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『今ここにある幸福』
魂置 薙aa1688)&皆月 若葉aa0778

 揺蕩う意識を現実へと引き戻したのは小鳥の囀りだった。薄明かりが瞼を透かし、魂置 薙(aa1688)は愚図るように一度ぎゅっと目を瞑ってからまだ眠いと訴えるそれを緩々と開ける。視界に広がるのは向き合った形で眠る恋人――いや、婚約者たる皆月 若葉(aa0778)の顔だ。小さく開いた唇から寝息が微かに漏れ聞こえている。優しさと強さを秘めた瞳が覆い隠されていて残念に思うも、無防備な様子を横たわったままに眺める薙の顔は自然と綻んだ。若葉よりも先に目が覚めたときの特権。心臓が持つかどうかと葛藤したものの、シングル二つではなく、ダブルベッドに新調したいと申し出た甲斐があったものだ。
 ――可愛くて愛しくて仕方がない。今に限らず、別々に過ごしているときにも覚える深くて果てしない感情は布団の中の腕を慎重に動かして、しかしそうして抜き出した手は躊躇なく若葉の頬へと伸びた。構ってほしいと子供じみた悪戯心も込め、乱れている髪の毛をそっと整えてみる。すると睫毛が何度か小刻みに震えて、鮮やかなのに温かみのある紫が覗いた。
「……ん、もう朝?」
 常より少し低い、他の人はそう聞くことのないだろう声が零れて、じきに目が合う。すると若葉は嬉しそうにふわりと笑った。晴れて恋人同士となってからもう数え切れないほど見た表情。なのに胸の高鳴りも全く変わることなく、薙は自らの笑みが深くなるのを自覚しつつ、涙袋の下を親指の腹でなぞってから腕を下ろす。
「おはよう、若葉」
 と言えば、
「薙もおはよう」
 と笑い混じりに返る朝の挨拶。ベッドの中で笑い声が重なればベランダに留まっていたと思しき鳥が惚気に当てられまいと飛んでいく。
 ――薙以外じゃ嫌だと、離れないと言ってくれた。まるで昨日のことのように思い出せる声と顔つき。出会ってから友人になり、親友へ至り――恋愛感情と罪悪感の板挟みに苦しんだ片想い時代さえ今となってはいい思い出だ。勿論、それらも大切には違いないがやはり両想いになってから抱く想いは一際大きく薙の心中で息衝いている。だから若葉といると心がふわふわして暖かくなって、けれど同時にキュッとするような不思議な感覚になり、そして無性に抱き締めたくなる。この複雑な気持ちを言い表すとしたら“嬉しい”が一番近いのだろう。若葉もそう思っていてくれたらいい、もし違っていたら彼にも分けたいと考えてふと気付く。
(多分これが、「幸せにしたい」って、ことなんだ)
 自分が若葉に貰っているのと同様に、いや何倍何十倍と、いっそ世界で一番だと思えるくらいに。
 布団の中に引っ込ませた腕を伸ばし、もぞもぞ探ればすぐ若葉の腕に届いた。それで彼も察したようで、二人の間の決して広くはない空間、手を握ると指を絡ませ恋人繋ぎにする。付け根が少し痛いほど強く。――薙だってもう若葉を離せない。
「これからも、側にいるよ」
「うん、ずっと一緒だ……」
 まるでどちらの愛情がより深いかを競うように絡む指と指。眩しいくらいの輝きに臆することなく目を見つめ、声にありったけの愛しさを込めて率直な言葉を紡ぐ。それに応える若葉の声は夢見心地で、けれどまっすぐ見返している。弧を描いた瞳には仄かな熱が灯り、もしかしたら先程気付いたのと同じ願望が彼の中にもあるのではと思わせた。
「愛してる」
「俺も愛してる」
 思考を介さず溢れた言葉が二つ、二人きりの部屋に密やかに溶ける。薙は最愛の人を衝動のまま、けれど愛情の強さで壊してしまわないよう優しく抱きしめた。少しの間が埋まって、背中に回した腕のみならず、寝巻き越しに触れ合う胸からこの鼓動の速ささえも伝わってしまいそうだ。“ふ”とも“へ”ともつかない擽ったそうな声が若葉から零れて、鎖骨に顔を押し付けるようにしている為笑う度に微かな振動が身体と鼓膜を震わせる。早鐘を打つ心臓に気を取られている間に若葉の腕もまた薙を柔らかく抱き返してきて、更に湧きあがる愛しさに顎を引き、前髪越しに若葉の額にそっと口付けた。未だに照れや緊張の類が消えて無くなったわけではないけれど、それ以上に触れる行為の喜びを知った。
 何か手伝いをした際に頑張った、偉いと笑いながら頬擦りをしていた母。何度頑張っても上手くいかず愚図ったときにお前なら出来る筈だと励まし額を合わせ応援してくれた父。誓約が自身の生きたいという感情の発露だとも気付かず無茶を繰り返し、ボロボロになった自分に助かってよかったと少し寂しげな顔で言い、見た目は普通でも違和感の残る左頬を気味悪がることもなく撫でさすった英雄。薙にとっては姉のような人だ。様々な記憶が脳裏に去来し、人知れず息が漏れる。
(――若葉も、形は違うけど、家族だから)
 だからもうこの世にはいない両親のこと、若葉の第一英雄と結婚して家を出た彼女のことを思い出す。
 脈動は緩やかに落ち着きを取り戻し始め、同時にまだ冬の足音は遠いとはいえど、朝の内は人肌恋しく感じる気温になってきた今日この頃なので、全身で感じる心地良い体温がウトウトと眠りに誘ってくる。
(ううん、ただ単に、こうしていられるのが幸せなだけなのかも?)
 告白する前なんて、夢にさえ見れなかった現実が今目の前にある。若葉ともっと話がしたい、何も言わずとも顔を見ているだけでもいい。そんな欲求から抵抗を試みて重くなる瞼をどうにか開くも、起きようとする意思表示だと思ったらしく、一分の隙すら拒むようにますます若葉は密着してくる。
「行っちゃ、ダメだからね?」
 寝言のような甘える声が抗う気力を奪い去る。うんと頷いた自覚もなしに薙の意識は眠りの淵へ落ちていった。

 ◆◇◆

 恋人になって半年余りの月日が流れ、忘れもしない五月五日、自身の誕生日から三日後の婚約からも既に幾らかの時間が経った現在。けれど、同棲をし始めてからはまだ日が浅い。だって薙に内緒で同じデザインの婚約指輪を渡したあの日だって、帰るのは別の家だった。それが今は起きたら大好きな薙の顔があり、意識が覚醒しきるよりも先に幸せな気持ちにさせてくれる。
 その眼差しや言葉に込められた想いの一つ一つが嬉しかった。抱き返した身体はとても温かくて、同じくらいドキドキしていて。それが落ち着いたらぽかぽかと幸せだけが残って、
(もう少しこのまま……おやすみなさい)
 と愛しさと共に染みる眠気に身を委ね。そして、薙に触れられたときとは違い、ジリリリとけたたましく鳴り響く目覚まし時計の音に起こされ、余韻もなく目が開く。反射的に上体を捻り、ヘッドボードの中央に置かれたそのボタンに手を伸ばして――小指が触れ合った。カチッという音を最後に静寂に包まれた中、ふかふかの敷布団の上で不精し、うつ伏せから上半身を反らしてアラーム音を止めた恰好のまま二人して顔を見合わせて、どちらからともなくふっと吹き出す。おはよ、と薙が優しく微笑んで言うのに若葉も、おはよと同じ言葉と微笑みを返した。二度目の挨拶は色気なく、しかし自分たちにはまだこの方がらしいのかもしれない。ここまできて三度寝を決めるわけにはいかず、やっと揃って起きあがることにした。

 顔を洗って歯磨きを済ませ、身支度も整えた後二人でキッチンに立つ。食器を用意して、今日は食材を切ったり茹でたりするのは薙の担当、その代わりに味付けは若葉が任されることになった。軽やかなリズムを刻みながら俎板の上でトマトやキュウリを食べやすい大きさに切り、かと思えば茹で卵を忘れずに引きあげ、スープに材料を加えていく。手際の良さに感心して見惚れてしまいそうになるも、役割を忘れまいと若葉は冷蔵庫から取り出した食材を邪魔にならない場所に置いて自分の作業に取り掛かる。と。
(俺は薄味が好きだけど……薙はどうだろう)
 とスープを煮込む鍋の前に立ち、少し悩む。付き合い自体は長い為好き嫌いは知っているものの、味の濃い薄いまでは訊いたことがなく、決められない。が本人は目の前にいるし余裕もありそうなので、教えてもらうのが手っ取り早いだろう。
「薙、味見してもらってもいい?」
「いいよ。スープ?」
「ちょっと薄いかもって思ってさ」
 コンソメがダマにならないよう、念入りにかき混ぜてからスプーンで掬い、ヘラで茹で卵の白身を適度な大きさに崩している彼の口元へ、持つのとは逆の手を下に添えつつ運んだ。薙の顔がこちらを向いて、一瞬目を丸くしたがすぐ口を開く。無造作に咥え、そっと離すと吟味するように若干の間を置いてから、こくりと喉が鳴った。
「……どう?」
「ん、おいしい。好きな味だ」
「そっか、よかった」
 綻ぶ顔に遠慮は見えず、ほっと胸を撫で下ろす。無事喜んでもらえ嬉しい。
「薙がどういう味が好きか分からなくて、俺の好みに合わせたから安心した」
「そう、なんだ。じゃあ、僕たちって好みが一緒なんだね。それは何か、嬉しいな」
「うん。すごく小さなことかもしれないけど、俺も嬉しい」
 違っていたとしても全然困らないというか、薙の好物なら自分も大抵は好みになりそうな気がするけれど。“好き”と同じように何かを共有出来るのは幸せなことだと思う。
「小さくないよ。毎日続くこと、なんだから」
 さらりと返された言葉に思わず顔に火がつきそうになる。朝と夜、休みの日は昼も、食卓を共にする。そう自覚すればその事実は確かにとても大きなことに違いなかった。

 朝食を机に並べ終え、一足先に若葉は椅子に腰を下ろし、キッチンの薙を見つめる。本当は横で眺めていたいくらいだけれど、恥ずかしくて手元が狂うと真っ赤な顔で言われれば控えざるを得ない。真剣な手つきで作業を進める薙の表情は俯き気味の為前髪に隠され、少し見え難いのが惜しい。それでもつい微笑が浮かぶ。豆を挽く音ももうすっかりと聞き慣れたものだ。
 料理はその時々だが、珈琲を淹れるのは薙の仕事と決まっている。喫茶店開業を志して、夢に向かい日々上達していく彼を見ているとまるで自分のことのように嬉しく、毎朝のこのひと時が楽しみで仕方がなかった。
(これからも一番側でずっと応援しているよ)
 とそんな純粋な気持ちが半分、淹れたてのそれに口をつける際の、隠しているつもりだろうがほんの僅かな違いすら見逃さないというように反応を窺う薙を愛おしく思う気持ちがもう半分。中細挽きの粉をフィルターに入れ、しっかりと蒸らしてからハンドドリップで丁寧に抽出する。サーバーを持って薙は食卓に近付いてくると若葉の前に置かれた赤いハートのマグカップに先に注いで、それから自身の青いハートのものも同じようにする。立ちのぼる湯気と共に食欲をそそる匂いが漂った。
「今日のもいい香りだね」
「うん。結構自信はある、かな」
 そっかと頷き、薙が対面に座るのを確認してからいただきますと声を合わせる。今日のメニューは玉子スプレッドとハムチーズの二種類あるホットサンドに野菜サラダとコーンスープ、蜂蜜とミックスナッツを混ぜたヨーグルトに薙お手製の珈琲。早速口に運べばすぐに彼の視線が注がれた。自分の喜ぶ顔が見たいと日々研究しているのを知っている。正直薙が作るものなら全部おいしいのは内緒だ。思いつつも楽しさが溢れ出てくる。
「おいしい! 店を開いたら俺以外の人も飲めるのが悔しいくらい」
 心からの笑みを浮かべてのコメントに薙は大袈裟だと笑いながら、その声音は嬉しそうに弾んでいた。
「若葉」
「ん?」
 不意に呼ばれて首を傾げる。
「一生、大切にするから、ね」
 ベッドの中で愛してる、そう言ったときの込みあげる愛しさを隠さない微笑み。世の中に絶対はないとそんな常識を引き剥がしてしまうくらい自信を満ちた顔で薙は言う。愛してるとか幸せだとか、伝わりきらない想いを自然と口に出来るようになって。それでも不意打ちに、当然のように告げられた一生という言葉の深さが嬉しすぎて返す言葉に詰まった。代わりに幸せ一杯な笑顔で応える。こちらを見つめ返す薙の表情もまたほろりと蕩けた。
「大好き」
 率直な愛に満ちた言葉。それにどう返そう。ストレートど真ん中、それとも意表を突いた変化球? 何れにせよ薙は喜んでくれるに違いないと、きっと自惚れではない確信を抱いて若葉は口を開く。
 これからも続いていく幸せな朝の風景。そこから今日という一日が始まるのもまた、当たり前のことになっていくのだ。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
薙くんと若葉くんの最後のノベルが自分でいいのだろうかと
思いながらも、糖度高めのつもりで書かせていただきました。
しかし内容がそうであるように、短い間ながらも何度も縁が
あった思い入れ深い二人なのに、これでもう終わりなんだと
いう寂しさではなくて、この先にもし大変なことがあっても
絶対絆は続いていくんだろうと、そんな希望を感じるような
お話だったので書いていてひたすら純粋に楽しかったですし、
すごく気持ちのいい最後だったのがとても嬉しかったです!
いつまでもラブラブな姿が目に浮かぶようで幸せでした。
今回も本当にありがとうございました!
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2019年10月04日

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