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『夢から醒めても続く夢』
夢洲 蜜柑aa0921)&アールグレイaa0921hero002)&ヴァレンティナ・パリーゼaa0921hero001


 頼りないスリッパの足音が、廊下を近づいてくる。
 ヴァレンティナ・パリーゼ(aa0921hero001)はコンロの前から身を乗り出して、ダイニングから続くリビングのほうを見る。
 そこに夢洲 蜜柑(aa0921)がぼんやりと立っていた。
「大丈夫なの? 起き出したりして」
「……喉が渇いちゃったの」
 焦点の定まらない目のままで答える蜜柑は、真っ昼間だというのにパジャマ姿だ。
「呼べば水ぐらい持って行ってあげてもいいのよ」
「……そうね。次はそうする」
 たぶん、反射的にそう答えただけ。言葉が頭を通っていない、という風情だ。
 蜜柑は夏休みに入ったというのに、かなり深刻な夏風邪をひいてしまったのだ。

 よろよろとキッチンに入ってくると、コップに水を入れて、そのままふらふらとリビングに戻る。
 自分が何をしているのかすら、よくわかっていないようにも見える。
「大丈夫? 飲める? こぼすんじゃないわよ?」
「うん、大丈夫」
 そう答えて水を口に含んだ瞬間、傷んだ喉が水の刺激に反応し、蜜柑が盛大にむせる。
「ああほら、やっぱり! しっかりしなさいよ」
 ヴァレンティナは顔をしかめて飛び出してきた。
 蜜柑はどうにか水を飲み、ソファに背中を預けると、見るともなしに天井を見上げた。
「なにを黄昏てるのよ。風邪を引いたのは自分でしょ?」
 ヴァレンティナがからかうように声をかけた。

 そのとき、不意に蜜柑の目から一粒の涙が零れ落ちる。
「……何? 泣くほどのこと?」
 ヴァレンティナは腕組みしたままで見下ろす。
 実は蜜柑が風邪をひいてから、ずっと家にいるのだ。
 しかも蜜柑がベッドにいる間は、何度もドアの前まで様子を見に行き、そのうちの何回かはそっとドアを開けて様子を窺ってみたり。
 つまりは、かなり本気で心配している。
 だが本人はそれを絶対に認めない。普段の蜜柑であってほしいという願望も少し混じり、口調はいつもと変わらず容赦なかった。
 蜜柑はぽろぽろと涙をこぼしながら、首を横に振る。
「ううん。違うの。えっと、身体もちょっと痛いけど、そんなのぜんぜん大丈夫」
 ヴァレンティナは大きなため息をつくと、わざとらしい声を上げた。
「ま、誰かさんが帰ってきたら、慰めてもらえばいいんじゃないの」
 不意に蜜柑が、キッとヴァレンティナを睨んだ。ついさっきまでぼんやりしていたのが嘘のようだ。
 一瞬身構えたヴァレンティナだったが、蜜柑はそれ以上何も言わず、何もしてこなかった。
 ただプイと顔を背け、ソファの上で膝を抱えている。


 ヴァレンティナはキッチンに戻り、自分の分の紅茶を用意する。
(ま、そりゃちょっと気の毒だとは思うけどね)
 蜜柑の部屋を覗いたときに、とっておきのお出かけ服がかかっていることに気付いたのだ。
 しかもカレンダーの今日の日付には、可愛い花のシールが貼ってあった。
 それが全部、風邪でだめになってしまったとなれば、涙も出ようというもの。
(それにしても、最近ちびっこのくせに生意気に色気づいちゃって)
 ヴァレンティナの口元に笑みが浮かぶ。
 少女らしさを損なわない程度のお化粧や、部屋に増えていく気の利いた小物。
 そういったことはいつか、ヴァレンティナが教えることになるだろうと思っていた。
(どこかに師匠がいるのね)
 ちょっと背伸び気味ではあるが、趣味は悪くない。
 大人っぽい『女性』ではなく、『レディ』になりたいと思っているのは、わかる。
 だがヴァレンティナから見れば、蜜柑にはまだ早いと思ってしまう。
 戦いも終わった今、自由な時代に生きているのだから、蜜柑の年齢でしかできないことを思い切り楽しめばいいのだ。
(だからちびっこだっていうのよ)
 ヴァレンティナはそう結論付けて、鼻を鳴らした。

 一方の蜜柑は、膝を抱えて黙って前を睨んでいる。
(人が風邪ひいてるときになんて奴なのかしら!)
 わかっている、ヴァレンティナはそういう奴なのだ。
(傍若無人でわがままでだらしなくて家事能力ゼロで大人ぶってるのにガキっぽくて……)
 いつもの蜜柑なら、それをもう少し洗練された表現にして相手にぶつけている。
 だが熱で全身も頭も痛くてだるい。
 視界はぼやけて、考えもなんだかループしている。
 とてもヴァレンティナ相手に口喧嘩できる状態ではなかった。
(ううん、ヴァレンティナのことなんかどうでもいいの)
 蜜柑にとっては、それどころではない悲しい事態だったのだ。

 ぼんやりしている蜜柑の耳に、玄関ドアの開く音が聞こえてくる。
 しばらくはそれが何を意味するのかすら、わからなかった。
 だがすぐに控えめな、心地よい足音が近づき、リビングにアールグレイ(aa0921hero002)が入って来た。
「あ……」
 蜜柑が顔を上げる。
 その視界の隅で、ヴァレンティナのニヤニヤ笑いがすうっと消えた。
「え? ちょっと、どうして」
 アールグレイと入れ替わるようにして、幻想蝶に引っこんでしまったのだ。
 つまり、蜜柑は愛しの君アールグレイとふたりきりでリビングに残されたというわけだ。

「起きて大丈夫だったのですか?」
 アールグレイが形の良い眉を顰める。
 その様子さえ、この上なく素敵だ。蜜柑は熱にうかされてぼんやりする頭で、そう思った。
「失礼」
 いきなり、大きな手が優しく蜜柑の額に当てられる。
「まだ熱がありますね。ちゃんとベッドに入ってください。悪くなったら大変ですよ」
 ――熱なんて、こんなことされたらもっと上がっちゃうわ!
 蜜柑は目が回りそうになりながら、こくこくと頷いた。


 蜜柑がベッドに入ってすぐ、部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」
 ドキドキしながら返事をすると、やはりアールグレイだった。
「ミルクを温めてきました。少し口に入れられますか」
「ありがとう」
 起き上がり、アールグレイからマグカップを受け取る。
 熱すぎない程よい温度のミルクは、蜂蜜の風味がここちよく、水よりも優しく喉に流れ込んでくる。
「……おいしい」
「それは良かった。熱は体力を奪いますから、できるだけ栄養をつけなければ。食べられそうなら果物もありますよ」
「色々と買ってきてくれたのね。後で食べるね」
 蜜柑の不調を知って、アールグレイは外出した。
 どうやら風邪でも口にできそうなものを、かきあつめてきたようだ。
 その優しさは嬉しかったが、同時に苦しくもあった。
「ではゆっくり眠ってください。カーテンも閉めましょうか」
 立ち上がったアールグレイの服の裾を、蜜柑は思わず手を伸ばして握ってしまった。
「行かないで。……もうちょっとだけでいいから」
 アールグレイは微笑んで、そのまま元の場所に置いてあった椅子に腰かけた。

「ごめんね」
 蜜柑は涙をこぼさないように精いっぱい頑張って、そう言った。
「構いませんよ。蜜柑が眠るまでここにいますから安心してください」
「そうじゃないの。あ、それもだけど、そうじゃなくて」
 ベッドの中で蜜柑は弱々しく首を振った。
「だって、あたしが行きたいって言いだしたおでかけで、アールグレイは予定を開けてくれていたのに。おでかけできなくなっちゃった」
「ああ、そのことでしたか。風邪が治ったらまた行きましょう」
「いいの?」
「ええ、もちろん。楽しみに待っていますから」
 アールグレイの返答に、嘘は欠片も見当たらなかった。
 誰をも魅了する感じの良い笑顔も、今は蜜柑だけに向けられている。

 蜜柑の胸が苦しくなる。
 これは風邪のせいではない。
 アールグレイが微笑みかけてくれるのは、蜜柑が彼のパートナーだから。
 運命が結び付けた相手であるのは間違いないが、逆にいえばアールグレイの心とは全く関係ない、強制的な繋がりだ。
 愚神との闘いは終わり、闘うためにリンクする必要性が薄れた以上、全くの他人といってもいいかもしれない。
 契約者には英雄と歩むこれからの未来を模索している者も多い。
 蜜柑は、この先もアールグレイに一緒に居て欲しかった。
 だがきっとこの優しい青年は、蜜柑が願えばはいと答えるだろう。
 それはアールグレイの心からの願いなのか? 本当は他に何か、望みがあるのではないか?
 ――そんな風に考えていると、蜜柑は苦しくなるのだ。
 アールグレイの心なんか気にせず、自分といっしょに居て欲しいと言えばいい。
 そんな風に考えられたら、どんなにいいだろう。
 そして蜜柑自身、これが自分のわがままだと知っている。
 アールグレイが心から、蜜柑と一緒に居たいと思ってくれることを望んでいるのだから。

 風邪の熱が、蜜柑の頭の中のぐるぐるをいつもよりもっと酷くしていた。
 何も考えられない。考えようとすると、ぐるぐるはもっとぐるぐるになる。
 だから蜜柑の考えとは全く違った場所から、ぽろりと言葉が零れ落ちたのだ。
「あたしと一緒のお出かけで、本当にいいの?」
 それは貴方の心からの願い?
 ずっと問いたかったことが、とうとうあふれ出してしまった瞬間だった。


 いつも通りの蜜柑の言葉。そうともいえた。
「蜜柑……」
 アールグレイは、熱に潤んだ蜜柑の瞳に、いつもより切実な感情を読み取った。
 だから、心からの言葉を口にする。
 もちろん、アールグレイはいつだって本当のことしか口にしないのだが。
「蜜柑、もちろんですよ。私はあなたと共に居ることが嬉しいのですから」
 蜜柑の目が大きく見開かれた。
 その素直な反応に、アールグレイは思わず微笑んでしまう。

 アールグレイの元居た世界では、14歳で戦いに赴くこと自体はそれほど珍しいことではなかった。
 このぐらいの年齢になれば、冒険の旅に出る者、騎士として初陣を飾る者も多かったからだ。
 だが蜜柑は、素晴らしい資質を持つ少女だった。
 心優しく素直でありながら、愚神と戦う特別な才能を与えられていたのだ。
 平和な時代に生まれたにもかかわらず、普通の人間が恐れをなすような敵に対して一歩も引くことなく、最後まで戦い抜いた。
 だがその力を驕ることはなく、あくまでも普通の少女としての「常識」を持ち続けていた。
 アールグレイは、かつて沢山の高貴な女性を見知っていた。
 だが本当の意味でノブリス・オブリージュの精神を持った、本物のレディと出会ったことはなかった。
 蜜柑は平凡な少女だったが、本物のレディとして尊敬に値する本性の持ち主だと、アールグレイは思ったのだ。

「ですからあなたに捧げた剣を取り戻して去る気はありませんし、これからもずっとともにありたいと願っています」

 それは蜜柑が心から聞きたかった真実の言葉。
 蜜柑の視界にあるアールグレイの顔がぼやけてくる。
 これからもずっと、一緒に居たい。
 蜜柑の想いは、一方的なものではなかったのだ。
 今はそれでいい。それだけで充分、心は満たされる。

「ありがとう。じゃあ、元気になったらまた一緒におでかけしてね」
「もちろんですよ。いろんな場所に行きましょう」

 蜜柑が目を閉じる。
 さすがに疲れたのだろう。あっという間に寝息が聞こえてきた。
 その顔は熱のせいで少しやつれていたけれど、とても穏やかに見えた。
 アールグレイは上掛けをそっと直し、改めてパートナーの少女の顔を見つめる。
 あと何年かすれば、少女は蕾が花開くように艶やかに、美しくなるだろう。
 心には困難にも毅然と立ち向かう剣を持ち、優しくたおやかに、けれど毅然と立つ、本当の淑女に。

「そのとき、あなたの傍に立てるなら――騎士にとってこれ以上の名誉はありません」
 あなたに剣を捧ぐ。
 その誓いを自分から破ることはない。
 アールグレイは改めて、眠る少女に誓う。

 だから今は、安らかな眠りをあなたに。
 夢から醒めたそのときに、未来に広がる新たな夢を語りあうために。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

いつもご依頼いただき、ありがとうございます。
ようやくここまでたどり着いたおふたりに、私も安堵しました。
でもヴァレンティナさんは相変わらずで。それも良い関係だからこそかもしれませんね。
今回の内容がお気に召しましたら幸いです。ご依頼、誠にありがとうございました。
イベントノベル(パーティ) -
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2019年10月04日

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