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『ある幸福な女の話』
エル・ル・アヴィシニアaa1688hero001

 ありふれたマンションだ。豪勢でもないし、かといって貧乏臭いボロ家でもない。
 それは英雄としてこの世界に顕現したエル・ル・アヴィシニア(aa1688hero001)が、誓約者と共に借りた一室であった。エルの誓約者は家を失い、英雄であるエルもまた家なんて持っていなかったから、住む場所が必要だったのだ。

 その家から、エルは去ることとなった。
 けれどそれは悲しい理由にあらず。その真逆、エルは結婚をすることになったからだ。

 ――ダイニングの一角がエルの書斎。
 少ない私物は少ない数のダンボールに収まった。エルの私物がなくなった一角はガランとしていて――来たばかりで何もなかった時は、ここもこんな風景だったなぁとエルは最初の記憶を思い返す。窓からは昼下がりの過ぎた黄色さを帯びた光が差し込んでいて、淑女は穏やかに目を細めた。

「さて」

 残る荷物はアルバムだけだ。エルはしなやかな指をそれに伸ばし、手に取って――思ったよりもズシリと重たくて、少しだけ目を丸くした。

 ――こんなにも、思い出が積もっていたのか。

 どこかセンチメンタルなノスタルジックのまま、エルはアルバムの表紙を見る。豊かにうねる黒髪をそっとかき上げ、手元の思い出を伏せ目に見れば、長い睫毛が瞬きに震えた。
 ページを開く――思い出を開く。最初の1ページ目から。
 それは誓約者と出会ってからの写真だった。ああ、懐かしい――忘れた訳ではないけれど、写真を見れば心の中に鮮やかな色で当時の情景が蘇る。
 こんな日もあった。あんな人もいた。こういう任務があった。答え合わせのように、エルは心の中の思い出と写真達とを照らし合わせていく。

 ふと目に留まったのは、プール遊びをした時の写真だ。珍しくハシャぐ誓約者の姿に、エルは柔らかな笑みを浮かべ、写真を指でなぞった。

(この時はまだ、こんなにも幼かったのだな)

 ページをめくっていく。次に目に留まったのは、贈り物を抱きしめて幸せそうに眠る誓約者の写真だ。これは皆からの誕生日祝いがあった日の出来事である。

(ああ――……)

 エルは今でも思い出せる。あの子は、昔はよくうなされる子だった。そんな時は、エルは彼の様子を見守りに来て、寂しくないよう明かりを点けて起きていたものだ。
 けれど、そうだ――この誕生日祝いの日。彼の幸せそうな寝顔を見て、エルはどれだけ嬉しかったことか。だからエルはこの写真を撮ったのだ。

(この辺りからかの。よく笑うようになった)

 ページをめくっていく。未来へ進むほどに、友人達と一緒の写真が増えていく。
 一緒に食事をした時のこと。綺麗な風景を見に行った時のこと。お出かけをした時のこと。H.O.P.E.で撮った写真。任務先での出来事。春、夏、秋、冬――……いろんな日々、いろんな思い出。
 写真の中、思い出の彼らは誰しも笑顔だ。やがてアルバムには恋人の姿も写るようになり、その枚数が増えていった。

 エルは目を閉じた。結婚式に向けて、ウエディングドレスを試着した時のことを思い返す。黒い服をまとってばかりだった彼女が、真っ白なドレスを着た。あの時の感動は鮮烈で、きっと忘れられそうにない。
 結婚を決めて、祝福してくれた誓約者のことや、友人達のことを思い出す。幸せを祝福してくれる人がこんなにもいたこと――「おめでとう」の笑顔。

 エルが思い浮かべる大切な人達は、みんな笑顔なのだ。

 それを、エルは心から幸福に思う。
 護りたいものが増えたこと、それは決して重荷なんかじゃない。
 降り積もった幸せが、紡いだ絆が、今という未来に繋がっている。

 エルは誇らしく思うのだ。
 今を護り抜けたこと。
 今、ここにいること。
 今に辿り着けたこと。
 苦難を乗り越え、未来を掴み獲れたこと。

 目を開く。顔を上げる。壁かけ時計が視界に入る。時計の針は進んでいる。今、ここはゴールなんかじゃない。時が止まった『おしまい』なんかじゃない。これから始まるのだ。自分達の新しい物語が。エル達は、これからも『生きて』いくのだ。

 ――「生きろ」。

 それが、エルから誓約者への誓い。
 あの子は生きることを嫌がっていた。なのにいつからか「早く大人になりたい」と、未来を語るようになった。生涯を共にするパートナーとも結ばれた。弟のようで、良き友のようで、どんな時も慈愛と共に見守ってきた――だからこそ、こんなに嬉しいことはない。

 生きている。あの子は今を生きているし、未来へと生きていく。
 しわくちゃのおじいちゃんになって、安らかに眠るその時まで、あの子は誓約を護り続けることだろう。

(ああ、だったら――)

 誓約は「生き抜け」に変えた方がいいかもしれない、とエルは口元を綻ばせた。悔いのないように、幸せを謳歌するように、最期のその時に「幸せな人生だった」と笑えるように。

 ――ゆっくりと、エルはアルバムを閉じる。

 楽しかったこと、幸せだったこと、そんな瞬間を切り抜いて集めた――このアルバムはエルの幸せの証明であり、エルと誓約者が生きてきた証である。
 淑女はアルバムを優しく抱きしめ、ソファに腰を下ろした。秒針の音、窓の外で車が通り過ぎていく音、ありふれた青空、変わらぬ日常のひとひら。

 誓約者は、隣に立つ人とこれからここで暮らしていく。新しい道を見付け、前を向いて、希望を胸に、歩いていくことだろう。そこにはきっと困難もある、けれどきっと大丈夫だ――あの子は強くなった。あの子を支えるのはエルだけじゃなくなった。転んでも立ち上がる勇気と力、立ち上がらせてくれる絆と縁を、あの子は手に入れたのだから。

 そして――エルもまた、新しい生活が始まる。
 これから、いろんなことがあるのだろう。
 楽しいことばかりじゃなくて、大変なこともあるんだろう。
 でも、大丈夫だ。不安はなく、憂いもない。
 きっと大丈夫だ――「私達は生きているのだから」とエルは口にした。

 エルはアルバムを愛おしむように撫でる。
 辛い過去もあるけれど。苦しい時もあったけれど。
 エルはこの世界が好きだ。この世界に来て幸せだ。
 大切な皆がいるこの世界が、皆のことが、大好きだ。
 そして、世界を皆を愛せることを、幸福に思う。

 ――生まれてきて、良かった。

 英雄が言うのも、少しおかしな表現かもしれないが。
 存在できること、それはそれだけで奇跡なのだ。

 ――生きていて、良かった。

 エルはこれからも生きていく。
 生きて生きて、最期の時まで生き抜いていく。
 そこには多くの出会い、多くの別れがあることだろう。

 だから、これからも写真に収めよう。
 一秒一秒が、エルにとってはかけがえのない宝物なのだから。
 アルバムをたくさん作ろう。本棚に入りきらないほどに。
 そうしてまた見返そう。今度は大切な人と一緒に。
 エルは静かに笑みを浮かべた。


 ――これは、ある幸福な女の話。



『了』

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。
リンブレでもお世話になりました!
リンブレは終わってしまいましたが、エルさんの物語は、これからも鮮やかに続いていくことでしょう。
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2019年10月15日

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