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『女神人魚』
スノーフィア・スターフィルド8909


「姉さん、前世で結構な業とか積んでねぇか?」
 昼飲みできる酒場で焼酎を飲みながら、草間・武彦(NPCA001)は向かいを見やる。
「品行方正でした……とは、言えないような気がしなくもなく」
 あいまいに応えたのは、杏サワーをすすりつつ武彦から目線を逸らす、スノーフィア・スターフィルド(8909)。
 なにせスノーフィアには限定的ながらも前世の記憶があるし、それがそこそこよろしくない流れだったんじゃないかーくらいはここまでの経験で察せられる。
 きっと私、業が深いんでしょうね。
「ま、俺は前世なんてもんは信じないが、姉さん見てるとな」
 武彦はポケットから抜き出したなにかを中空へ撒いた。
 うぉぉぉぉん。音ならぬ響きが空気を震わせて――スノーフィアのとなりから、なにかが消えた。
 もちろんスノーフィア自身、最初から“なにか”が在ることに気づいてはいたのだが。
「思うとこも出てくるわけさ。で、そいつを放っておきゃ裏目に出ることもある」
「わかってはいるんです、けど」
 スノーフィアは歯切れの悪い言葉を返す。
 見ないふりをしていたせいで、武彦に手間をかけさせてしまった。
「ご心配おかけしてすみません。草間様」
 謝意を示すついでに、“私”ならぬスノーフィアの二人称である「〜様」へ戻す。これからはもう少しスノーフィアらしく慎み、その存在と向き合って生きていかなければ。
「うぇっ! そっちが様呼びすんなら俺もお姉様って言うからな!」
 おぞぞっと震え上がる武彦。
 こんな美人に様づけされるなんて男の夢だろうに。それこそ前になにかあったんだろうか? なんて思いつつ、スノーフィアは小首を傾げて。
「……一度持ち帰って検討させていただきます」
「リーマンかよ! 働かねぇことが姉さんのたったひとつの勲章だろ!?」
 そんな勲章を掲げたことは1秒だってないんだが、ともあれ。


 武彦との昼飲みを終え、自室へ帰ってきたスノーフィアは、待ち受けていた現実と向かい合う。
 いったいなにがスイッチだったんでしょう?
 今、バスタブには湯ではなく水が張られていた。というか、勝手に満たされているのだ、海水が。
 そして、のぞき込んでもバスタブの底は見えず、ただただ黒い深淵があるばかりである。

『英雄幻想戦記』マニアであるスノーフィアは、これが学園ものであるシリーズ5作めの、“学校の怪談”のイベントだと察していた。
 ただ、本来であれば風呂ではなくプールで起こる呪い(+恋愛)イベントだし、起こすためにも専用のアイテム集めと儀式が必要となる。
 そんなアイテムがここにあるはずないですし……。
 この状況が発生して一週間。見ないふりをし続けてきたスノーフィアだが、ついに普通の生活(飲み会)の内にもその影響が出始めているとなれば肚を据えるよりあるまい。
「原因を突き止めないといけません」

 スノーフィアはがっくり膝を落としてうなだれる。
 あっさり見つかってしまったのだ、儀式アイテムの数々が。犯人等々については割愛するが、とにかく!
 儀式が進めば、ヒロインであるスノーフィアは海底へ連れて行かれ、主人公が助けに来るまで待ち続けることとなる。そして主人公は、この世界に存在しない。
 どこまで儀式が進んでいるのかが問題ですね――!
 焦りながらアイテムを処分する準備を整えた、その2秒後。
 スノーフィアは自分が間に合わなかったのだということを、まさにその身へ思い知らされたのだ。

 苦しさに耐えきれず、スノーフィアはバスタブの海へダイブし、やっと息をついた。
 今、彼女は「プールが海と化し、人が人外に変えられる」という『5』の怪談イベント、それを再現する人魚となっていた。
 職業が女神のままである理由は知れないが、ともあれ海底へ行き、本来は主人公が見つけるべき“毒”を得て海の魔女を倒さなければ。


 最適ルートを辿って必要なイベントフラグを回収しにいく。
“毒”は本来、人魚を人へと変化させるためのものだが、その精製工程を逆にすることで人ならぬものを侵す代物となる。
 たとえ女神の力を封じられていても、数千時間分のプレイで得てきた装備は健在。イベントエネミーをオーバーキルで瞬殺し、素材を集めてポーションを精製する。
 紫。これで完成ですね。
 そしてスノーフィアは、生徒を人魚に変えて捕らえたあげく喰らう“魔女”と対峙した。

 装備の力で魔女の全体攻撃を凌いだスノーフィアは、すかさず泳ぎ出す。
 思った以上に動きにくいのは、これまでの戦闘で手間を惜しみ、ほとんど移動することなく瞬殺してきたせいだ。ああ、もう、やらかしてしまいました!
 こうなれば――歯を食いしばって魔女の攻撃を受け止め、悶えるように前進し続ける。それしかできることはないのだ。今の魔女に、スキルを含めてこちらの攻撃は一切通らない。だから、我慢して、我慢して、我慢して。
 ついに射程内へ入った瞬間、毒を投げつけた。
 海水を押し退けて伸びゆく一条の紫光が魔女を打ち、その体を包む魔力の壁を剥ぎ取った。これで魔女は2ターンの硬直が確定し、完全無防備となる。
 ここです!
 スノーフィアはステータス画面を呼び出して装備の変更を選択、魔女殺しの力を持つ海神の三叉槍を――
 装備できません!?
 理由はすぐに知れた。三叉槍は主人公専用装備であり、ヒロインであるスノーフィアにはが装備不可能だ。
 その間にも魔女は毒の効果から回復しつつある。立ち直られてしまえばもう、どうすることもできない。

「貸せ」
 聞き覚えのある男の声がして、自分の内側――所持アイテム欄をかき回される。
 くすぐったさに思わず身悶えしそうになりながら、スノーフィアはすぐに思い至った。ヒロインのアイテムや装備を変更できるのはゲームの主人公ただひとり。そして声の主は。
「草間様!?」
「ご名答だぜお姉様。ったく、面倒なんて、飲み過ぎて吐くくらいにしとけよ」
 渋面をやれやれと左右に振ってみせた武彦がスノーフィアに告げる。
「あいつまで運んでくれ。なんせ俺、初期装備なもんで移動力超低いんだよ」
 どうしてここに!? このイベント、ゲームの後半に起こるもののはずなのに、初期装備でどうやって!? などと訊いている暇などあろうはずがなかった。
 とにかく武彦の体を抱えて魔女へ突撃するスノーフィア。
 果たして硬直した魔女を武彦の構えた槍が貫き。
 スノーフィアと武彦は、水の抜けたバスタブの中で再会したのだ。


 服を替えたふたりは、そのまま部屋飲みへと移行する。
「あの……今回のことは」
 おずおず切り出すスノーフィアに、武彦は手を振ってみせた。
「お互い言わねぇほうがいいことも、聞かねぇほうがいいこともあるだろ。ま、飲み友は大事にしましょうってことで」
 いいんじゃねぇの? 言いながら梅干しサワーを呷る武彦に、スノーフィアはうなずいた。
 この東京は普通じゃない。
 普通じゃないから、普通じゃないものが棲んでいる。
 私も草間様じゃなくて草間さんもきっと、そのひとりということですね。
 そんなスノーフィアの視線に気づいた武彦は眉根をしかめ。
「惚れんなよ? なんかこう、姉さんとはそういう感じじゃねぇしさ」
 この体の内に在る“私”を見透かされたような気がして――スノーフィアは思わず何度もうなずいた。
 とりあえず、この恩はちゃんと返そう。
 大事な飲み友を喪ってしまわないために。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年10月21日

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