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『花と獣』
海原・みなも1252

 空想上の生き物は世界中にいる。
 神話だったり、伝説だったり。アピスのように宗教的な生き物もいれば、当時人々が恐れただろう獣を合成させたような生き物もいて。
 ――マンティコアはキリスト教の教義では悪魔の化身とされる合成獣だ。人間の顔、ライオンのようなタテガミと肉体をして、コウモリのような翼を持ち、サソリのような毒針の尾で人を襲う。


 いつものアルバイト先の特殊メイク専門学校で、生徒さんは言った。
「怖いものって、センス一つで変わるのよ。グロテスクで、怖くて気持ち悪いものにも出来るけど。怖くて美しいものにも出来るわ」
「それでマンティコア……ですか?」
 小さな声であたし(海原みなも・1252)は返す。抑えられない好奇心から訊いてみるけど、照れから声が小さくなる。
 あたしの手には写真の束。以前のアルバイトでワイバーンや馬になったあたしがたくさんプリントされている。そこには別の生き物にしか見えない自分が写っていて。ワイバーンの翼の質感がリアルで、興味をそそられる反面、それが自分の姿だと思うと気恥ずかしさもあるのだ。
「この前、特殊造形学科でコンペがあってね。それを私たち特殊メイク学科の生徒が、みなもちゃんで再現しようってなったの」
 楽しそう、と思った。

 メイク台に寝転ぶのは、いつまで経っても慣れないけど。
 頭の下に入れられた枕から、甘い花の匂いがした。チューベローズという小さな白い花の香りで、昔は男性を惑わす匂いの代表格とされていたと、生徒さんは言った。花言葉は、危険な楽しみ。
 甘い花の香りに、用意された素材から獣の匂いが強く混じってくる。
 むせかえりそうだ。
 冷たい指で、鎖骨を撫でられた。くすぐったい。さっきまで着ていた服が恋しくなる。
「ここから下を、獣に変えていくからね……」
 スルスルと、鎖骨から下へ、あたしの肌を指が滑っていく。
「でもその前に……」
 マンティコアの皮膚は赤みを帯びている。だから最初に、毛で覆わない手足の先と首から上を色付けして、それから獣の毛を植えていくそうだ。
 大きな刷毛や小さな刷毛があたしの肌を何度も通っていく。
 大きな刷毛は首を大胆に通って。小さな刷毛は耳の後ろを小刻みに動いていった。
 くすくす。
 あたしはくぐもった笑い声をいくつも零した。
 足の甲は感覚が鈍いみたいだ。全然くすぐったくなかった。
 でも足の裏を刷毛で塗られるのは拷問みたいだった。じわじわと遠慮がちに塗られても、ザっと一気に塗られても、物凄く痒い!
「これ尋問に使えそうねえ。……みなもちゃん、学校に好きな人っている?」
「いないです! ふふっ」
「………………………………」
「あはははは! 本当です! 嘘じゃないです! わざとゆっくり塗らないでぇ……ふふふ……」
 赤色に塗るといっても、茶色と赤色の中間の色だ。赤土の色にそっくり。それが今のあたしの皮膚の色だ。
 鏡で見ると、奇妙の姿の人間がいる。青い髪をメイクしやすいようにアップにして、赤土色の少女が写っているのだ。
「過程を見るのも、面白いでしょう?」
「はい。不思議です。人間なのは分かるけど、何だかあたしじゃないみたい……」
 以前と同じコードを身体に付けられた。それから肉付けをするそうだ。
「女性らしい凹凸を失くして、肉食獣らしくでっぷりした身体にしていくのよ」
 起き上がって胸の膨らみと合わせながら、獣らしい肉体を作っていく。赤土色に色づけされた、粘土みたいな粘り気のある柔らかな素材だ。少し温めてあるのか、体温に近いぬくもりがあった。
 まるで自分が建物にされた気分だった。セメントを何度も何度も塗られていくような。
 自分で胸を持ち上げるのが恥ずかしかった。両手でおずおずと胸を上げると、そのすぐ下から生徒さんが粘土のような素材を被せてくるのだった。あたしの肌より少し熱っぽい柔らかなものが、どんどんと重ねられていった。
 下から甘い匂いが立ち上ってきた。だんだんと、何が人間で、何が恥ずかしくて、何がおかしいのか、何が普通なのか、分からなくなっていった。日常のワンシーンなような気さえした。
 その錯覚を、生徒さんの冷たい指先が破っていく。
 手を離していいと言われたので、両手で塗料の乾いた頬を包んだ。
 ――頬は、掌より、粘土より、熱かった。
 
 肉食獣らしく、太くて硬い質感の毛だった。赤土色に染められている。
 毛の長さにばらつきがあり、短いものを手足に、長めのものをお腹に使うとのことだった。
 そして、サソリの尾と、コウモリの翼。
「これが翼よ。天井に向けてみて」
 両手に持ったそれは、とても軽くて薄かった。繊細に出来ていた。
 天井に翳して、あたしは息を呑んだ。
 蛍光灯の青白い光を受けて、黒くて薄い飛膜は透き通って見えた。
 翼の間をいくつも通る赤い血管が、細くほそく、煌めいていた。生々しい造形美がそこにあった。
「……サソリの尾はメイクを終えてのお楽しみね」
 あたしは台の上でうずくまった。お尻を突き出して。
「体勢辛くない? 枕とクッションで調整するわね」
 ……濃厚な花の甘い香りがする。何故だか今は食欲をそそられる匂いに感じる。唾液が溢れてくる。
(まるで獣みたい……)
 俯いていると涎が出そうだ。ジュルジュルと唾を飲み込んだ。
 お尻をトントンと小刻みに刺激される。
 あたしの尾てい骨に続くように、ナニカが伸びていく感じがした。まだ見ていない尾だ。
 お尻にごく小さな重りをつけられたみたいな感じがする。今までやってきたメイクでは感じたことのない感覚だった。
 鋭い牙を三本つけて。
 一度下した髪を再びまとめる。視界に入った青い髪はすぐに見えなくなった。
 鏡は見せてもらえなかった。前後にいる生徒さんたちが「もうちょっと毛先出して」とか「ここどうする?」とか声をかけて調整しているようだった。
 あたしは昼に日陰で伏せをしているライオンのオスのように、動かずにいた。
「ライオンのタテガミの代わりにね。髪をアクセントに使うことにしたの」
 綺麗よ、と生徒さんは褒めてくれた。


 大きな鏡の前で、あたしは目を見開いた。
 四つ這いの、赤土色の生き物。
 頭の上に空色の花が咲いていた。大輪の花はあたしの髪だった。アップにまとめた髪の毛先を出して、一束ずつ花びらとして咲かせていた。
 凹凸のない、太い肉体。むっちりした身体を覆っている毛。お腹のあたりはフサフサと輝く赤土色の毛が、手足は短くて太い毛が。
 口から零れる鋭い牙。赤い舌が見え隠れする。
 黒い翼は蕾のように仕舞われていた。
 お尻から、尾が生えていた。指三本分の太さの尾から、視線を流し、先を見た。
 そこにはあたしの髪色と同じ、醒めるような青い花が咲いていた。
「綺麗……」
 お尻を鏡に向けて、観察していると、あることに気づいて。
 あたしは小さく声を漏らした。
「棘」
 花びらは尖っていて、全てが毒針だった。
 鮮やかな武器だった。赤ではない、相手を安心させるような青。ひとたび敵に向ければ、花びらの先を紅に染めるのだろうと思った。
 
「隣の部屋に行きましょう」
 と生徒さんが言った。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
 ご発注ありがとうございます。
 怖いけど美しい。生々しいけど、幻想的。
 そんなイメージで書かせていただきました。楽しんでいただけたら嬉しいです。
 このお話はおまけノベルに続きます。
東京怪談ノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年10月23日

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