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『Papilio protenor 3』
水嶋・琴美8036



 そのナイトクラブに1人の女が入ってきた。薄暗い階段をヒールを鳴らしながら降りてくる。入口付近に立っていた男どもは女の身を包むレザーのドレスの大きく開かれた胸元から覗く豊満な双丘に固唾を呑み、女どもは括れた細い腰と張りのあるヒップに嫉妬と羨望の溜息を漏らした。
 誰もが振り返りながらも声もかけられず、かといって目も離せずにいる中、その女は大して気にした風もなくスカートの右側にだけあるスリットから黒いガーターベルトと艶のある白い太股をチラ見せしながら奥へと進み、スタンディングタイプのバーカウンターにゆったりと肘をついた。
 そこで漸く呼吸を忘れていた客どもが一斉に一息吐きだす。
 客同様見惚れていたバーテンが自らの仕事を思い出しハッとしたように注文を尋ねると、その言葉をのんびりと待っていた女は初めて口を開いた。赤いルージュの濡れた唇が「ギムレットを」と短い言葉を紡ぐ。
 彼女がグラスを手にカウンターを離れた後、同じ者を注文する客が増えたとか……それはさておき。
 暗い店内を切り裂くように閃くカラフルなレーザー光とアップテンポな音楽にダンスを楽しむ者達の溢れるホールを横切る。奥のアイランドテーブルには初対面とは思えないほど親しげに会話を楽しんでいる者達が群がっていた。
 女はそれらの視線を集めている事を自覚しながら、長い睫をそっと伏せて辺りをゆっくり見渡した。
 これは人身売買組織に誘拐された女性の奪還任務であると同時に組織の捜査でもあった。この手の潜入捜査は適材適所とも呼ぶべきプロが行い、琴美(PC8036)は奪還に伴う敵の殲滅が専らなのだが、世の中はどこも人手不足という事らしい。
 怪しい人物は今のところ見あたらない。本当にここなのか、という疑念を奥歯で噛み殺す。忍びとはただ只管に主命を全うするものか。前回、ビルの最上階で行われていた酒池肉林、そこにいた女達の大半が人身売買によるものだったらしい。そして、そこに残されていたのがこの店の名刺だった。名刺と組織の繋がりについては琴美の知るところではなく上層部の判断だ。
 大きく開いた背中の艶やかな肩口と揺れる髪の合間から見え隠れする肩胛骨と美しい背中のライン、そこに連なるきゅっと持ち上がった魅惑的な尻に男どもの視線を感じて琴美はそっと髪を束ねると前に流した。
 誘うような仕草で頬を緩める。
 そうして出来るだけ隙を見せ気軽な風を装い、店の客と他愛のない会話を交わしながら情報収集。グラスを3つほど空にして漸く有用なそれに行き当たる。
 ホールの中央にある大きな円柱。そこには隠し扉があって2階のVIPルームへ通じているという。
 他に2階に上がる手段はないのか。琴美は注意深くホールを見渡し、歩数を数えながら外観からの間取りを計算した。ここは1階というより半地下である。天井は高いが外からの感覚だと中2階くらいの位置にVIPルームがあるのだろう。窓はなかった。レストルームの換気扇を覗いてみたが配管や通気口はたくさんある代わりにどれもねずみが通れる程の広さでしかない。
 円柱の隠し扉にはテンキーによる暗証番号の入力が必要。柱を覆うようにプロジェクションマッピングでその場所はにわかにわかりづらい。一番の問題はVIPルームが一般にも開放されているネット予約制。つまり、今現在目標の商談が行われているかは不明。場合によっては毎晩ここに通うことになる。
 琴美はわずかに肩を竦めて柱の前に立った。まるで酔いでも冷ますように柱に手をついて俯く。指で柱をなぞりながら隠し扉を探しつつ、熱っぽい眼差しをホールに向けて柱に背もたれてみせた。潜入出来ないのであれば1つしかない出入口で待つほかないというわけだ。
 夜は一層更け、店内の客はほろ酔いからしたたか酔った者が多数を占め始める。琴美に声をかける者も増え、それをあしらうのも段々面倒になってきた頃、わずかな振動を感じて琴美は俯いたまま視線だけをそちらへ向けた。マッピング処理されているため見た目には柱は変わらず柱のままだが、そこには確かに大きな口が開いていた。
 派手なスーツの男がぐったりとした女を半ば抱えるようにして出てきた。酔って眠っているかのような女に琴美はシレッと声をかけながら、女の腕を掴んでみせる。
「大丈夫ですか?」
 派手なスーツの男は琴美を一瞥しただけだ。
 男の後ろにいた巨漢の1人が琴美の3倍くらいありそうな太い腕を伸ばして琴美の手首を掴もうとした。
 持っていたグラスの中身を巨漢の顔にぶちまける。それから1つ息を吐いて、巨漢の鳩尾を一蹴。片側しかないスリットに踏み込んだ白い生足を惜しげもなく晒したのは一瞬。思わず振り返った男どもの視線の先でひしゃげた蛙みたいな音を発して巨漢が悶絶していた。ハイヒールのそれはそれだけで凶器になる。
 だが派手なスーツの男はそんな事には目もくれず、女を抱えて店の入口へと進んでいた。それを琴美が追おうとする。別の巨漢が陳腐な恫喝と共に拳銃を抜くが早いか発砲した。
 店内にいた客が突然の騒ぎに悲鳴をあげ瞬く間に叫声が伝播するとその場は狂乱に彩られた。
「動きにくいですわねっ」
 琴美は独りごちる。ドレスのおかげで右往左往する客の合間を縫って派手なスーツを追うことも、巨漢2人を相手取って戦う事もままならない。
 おかげで阿鼻叫喚となったナイトクラブからようやく琴美が外に出た時には、とっくに派手なスーツの男も彼が連れていた目標の女も姿を消していた。
 しかし慌てるでもなく琴美は近くのタワービルに入った。無人のエントランスを抜けて奥のエレベーターホールに向かう。エレベーターの中にはボストンバックが1つ置かれていた。中を開いて黒いハンカチを防犯カメラのレンズにひっかけると、最上階のボタンを押してエレベーターの扉を閉める。
 琴美は躊躇いもなく無造作にドレスを脱ぎさった。エレベーターが最上階まで到達するには2分半。バッグから黒のインナーを取り出す。ほんのり汗ばんだ肌にぴったりと密着するそれは大きな胸に阻まれ、何度も摘んで定位置へと促し着込む。スパッツに足を通すと、こちらもスムーズに太股を滑ってはくれず、壁に足をついて丁寧にあげていく。丸い美尻を覆ったところで動きの確認。時間には限りがあるが重要な事だった。
 エレベーターはノンストップに45階から46階へ。
 ミニのプリーツスカートに着物に似た上着を羽織って帯を巻く。戦闘服に身を包んだことで安堵と高揚感が琴美を包んだ。膝まであるロングブーツをはいて手早く編み上げ、グローブをはめて腰帯の後ろに得物を仕舞ったところでエレベーターの到着を告げるベルが鳴った。
 最後に腕時計型端末を装着してエレベーターを下りる。端末の画面には発信器の位置情報が白い点で示されていた。それが動くスピードから察するに車で移動しているのだろう、この時間だ。さすがに渋滞はない。発信器は先ほどナイトクラブで目標の女性に触れたときに付けておいたものである。
 階段を登り突き当たりのドアを開くと夜の風が琴美に強く吹き付けてきた。
 眼下には不夜城の街。
 さぁ、追走劇の始まりだ――。





 END


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。


東京怪談ノベル(シングル) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年10月28日

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