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『Papilio protenor 4』
水嶋・琴美8036



 夜の屋上には強い風が吹き付けていた。重たい雲が垂れ込めてはいるが雨の気配はない。容赦なく顔を覆おうとする長い黒髪を無造作に掻き上げて琴美(PC8036)はそこに待機していた小型のヘリに乗り込んだ。ヘリと言ってもドローンに毛が生えた程度のものだ。
 間髪入れずテイクオフ。琴美は腕時計型の端末に表示されている光点を見つめていた。同様のものがヘリの操縦席にも映し出されている。ナイトクラブでターゲットに付けた発信器からのものだった。
 ご多分に洩れずターゲットは海に向かっている。いや、ご多分にというのは少し違うか。必ずしも人身売買のマーケットが国外であるとは限らない事は、前回の一件が物語っている。ナイトクラブで琴美が派手に暴れた事で、彼らは国内にもあるだろう拠点への逃亡を諦めたのだろう。
 一路、東京港中央防波堤区。石炭や鉱産物を扱うバルカーが並んでいるエリアだ。
 光点が動きを止めた。車から降りたのだろう。スピードを落として近くのバルカーへ乗り込んだ。琴美はヘリからのリペリング降下でくだんの甲板に降り立つ。快適な船旅とはほど遠いだろう、こんなもので人を運んでいるのか。ハッチカバーは閉じているが喫水が浅いから積み荷は降ろされた後、出港は近いと考えるべきか。
 とりあえず客船とは違い船の大半が積み荷で居住スペースは小さく大型船でも15人程度しか乗らないような貨物船だ、フロア階層も少ないから2Dでしか位置を捉えられない発信器にはありがたい。ポイントにたどり着いたが上の階か下の階か、では面倒が増えるだけだった。
 相変わらず風は強く荒れた海が大きな波音をたてていた。
 琴美は再び腕時計型の端末で目標の位置を確認し夜陰に紛れて船尾にある操舵室を目指した。ロボットによる自動操舵が当たり前になって久しく操舵室には人影もない。ドアの前で一旦身を伏せて時を待つ。程なく同部隊からセキュリティシステムのハッキングが完了したとの連絡に琴美はドアを開いた。ロックはもちろんはずれている。同時に届いた船内図を確認して操舵室の奥にある船内へと続く扉を開いた。
 廊下に人影はない。
 窓の外の月明かりだけを頼りに暗い廊下を進み階段を下りた。機関室がフロア2つ分を占拠している。その下にキッチンとダイニング。乗組員の個室は更にその下だった。
 ダイニングルームの扉についた小窓から漏れる明かりに琴美は近寄った。磨り硝子になっていて中を伺い見る事は出来ない。
 ドアに耳を欹てると話し声が聞こえてくる。
 琴美は右手の人差し指を腰の後ろに仕込んだクナイのリングにひっかけて、左手で勢いよく扉を開いた。
 もっと無機質で事務的な食堂をイメージしていたが、そこは毛足の長い絨毯が敷かれ広い室内に木製のダイニングテーブルが3つと椅子が並んでいる他、ローテーブルにソファーが並ぶスペースまである事実に琴美は内心面食らった。貨物船と侮るなかれ、どうやら思いの外快適な船旅と豪華な食事が用意されているらしい。
 そして、ソファーに座っていた3人の男が突然の闖入者に腰を浮かせていた。その内の1人は先ほどナイトクラブで女性を連れ去った派手なスーツの男だ。
 その男の後ろに1人のボディーガードらしい男が立っている。浮き足立つ3人とは裏腹に男は胸の拳銃を抜き、銃口を琴美に向けていた。
 琴美が床を蹴るのと銃声はどちらが先だったか。
 慌てふためく3人に「下がってください」と指示を出して前に出る。おかげで琴美の鞭のようにしなった美脚が空を蹴った。男はその間に2発撃ったがどちらも琴美にはかすりもしない。もちろん、当たらない事など百も承知だろう、単なる牽制だ。主をこの部屋から逃がすための。
 琴美は2発の銃弾を宙に避けてソファーの背もたれに着地していた。既に左手にも得物を携えて仁王立つ。何というバランス感覚か。こみ上げてくる歓喜を噛み殺し琴美は、尚も銃を構える男を見下ろしている。
 男は主等が部屋を出ていくのを背中で確認して溜息を1つ吐くと銃を投げ捨てた。この至近では狙いを定めてトリガーを引く銃の方が不利だ。軍隊あがり、か。
 琴美は舌なめずりしたくなった。任務は扉の向こう側に逃げ去ったが、それを即座に追おうという気にはならない。男のファイティングポーズに応えるように琴美もクナイを胸元に構える。
 ほぼ同時に2人は動いた。互いに互いの攻撃を紙一重でかわしていく攻防。もしこの場を見ている者があったなら呼吸も忘れたであろう緊迫感。それをどこか2人は楽しんでいるようにさえ見えた。そして少しづつわずかづつ2人のスピードが増していく。
 琴美の膝蹴り。しかし男には届かない。いや、それはフェイクか。2連撃の蹴りが男の前腕のガードをぶち破る。攻撃は最大の防御とばかりに男の拳が琴美を襲った。反射的に掌を翳した琴美に、しかし男は拳を振り抜かず、ダイニングテーブルの上にあったペーパーナプキンの束を琴美に投げつけていた。間髪入れず琴美が傍にあった椅子を蹴り上げると宙に舞ったナプキンは椅子と共に上空へ。その下を抜けるように間合いを詰めて琴美がクナイを繰り出す。男の頬に血が滲んだ。男の腕が琴美の伸びた腕を捕らえようとする。琴美は上体を捻ってそれを避けるとまるでダンスのターンでもするかのように軽やかに回し蹴りを男の鳩尾へ叩き込んだ。蹴りの後を追うようにプリーツスカートの裾が舞う。
 男が腹を押さえながら数歩よろめき咳込んだ。琴美はゆっくりと間合いを詰める。
 フィニッシュまでの時間はそれほどかからなかった。
 琴美は任務対象を追うようにダイニングルームを出た。つい戦闘を楽しんでしまった事をほんのちょっぴり反省して、廊下を抜け発信器の位置情報を確認し目標を追いかける。
 足を止めた。
 虚ろな目をした男が2人廊下に立っていたからだ。先ほどダイニングルームにいた3人の内の2人だ。
 厭な感覚が琴美の背を駆け上がる。先日感じたものと同じだ。目の前の男は生きているのか。操り人形みたいな動きで琴美を襲ってくる。前回の目標だった“あの男”は殺した筈なのに。
 派手なスーツの男が2人の後方でその理由を教えてくれた。“あの男”の血から採取され開発された薬の事を。なるほど。前回の事件と人身売買組織と今回の事件はそんな風に繋がっていたのか。
 そうだ。最初からそうだった。
 誘拐事件など、警察か、場合によっては公安が動くものだろう、それを自衛隊のしかも非公式の特殊部隊にお鉢が回ってきたのだ。そもそもが、ただの案件、なわけがない。これはまだ氷山の一角でしかないのだ。
 琴美は息を吐いて床を蹴った。
 薄暗い廊下にクナイの閃き。
 あの時、1階で出会った警備員よりは容易かった。所詮、模倣品。
 最後の1人を叩きのめして琴美は目標の女を確保した。
 任務完了を報告し船を下りる。
 未だ意識を手放したままの女を後処理専門の部隊に任せ琴美は埠頭の端に立った。
 潮を含んだ海風に長い髪を舞わせながら琴美はこれからの事を考え期待感に胸を膨らませる。
 この事件にはまだ奥深い闇が連なっているのだろう、そして深奥に向かえば向かうほど任務は困難を極めるに違いない。

 願わくは、その任務が自分に課せられん事を――。





 END


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。


東京怪談ノベル(シングル) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年10月28日

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