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『楽しみなのはおやつよりも……?』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 シリューナ・リュクテイア(3785)が営む魔法薬屋はその性質上、人目に触れにくい場所に存在し、また一見してどちらかといえば、若干こじんまりとした感じに見える。しかしその実、中に足を踏み入れれば思いのほか広いことに驚く筈だ。初めて訪れた際のファルス・ティレイラ(3733)もそうだった。ただ、火の系統以外の魔法は初心者を脱した程度の反面、なんでも屋を生業とするティレイラは飛翔と空間転移という移動特化の能力を持ち、この世界にやってきたのも後者を用いた結果だ。なのでシリューナが魔法を使い、空間を広げていることにもすぐ気付いた。そしてそれは店内や倉庫のスペースを確保する目的以外にも、魔法修行場の形成の為に利用されている。
「――そこまでよ」
 知らない者が聞けば冷ややかにも思える澄んだ声音が響き、ティレイラは身体の力を抜いた。すると、実体はないが、それと全く同じに機能する氷塊――もどきがべちゃべちゃの水になって溶けて、床を濡らすことなく消える。元々の好奇心の強さが悪い方向に作用し、魔法の師匠であるシリューナからは注意力散漫を度々指摘されるティレイラだ。集中力は十分ほど前には既に切れていたが、いざというときの為に粘れるところが見たかったのだろう。しかしこれ以上は無駄だと彼女は判断した。師匠として全幅の信頼を置いているし異論を挟む気はない。実際ギリギリのラインを見極めつつ順を追って課題を出してくれているのだとティレイラは知っていた。
「いい頃合いだし、そろそろ休憩にしましょうか」
「う〜、もうお腹ペコペコです……」
「それで気が散っていたのかしら?」
「……えーっとぉ、それは……」
 口元に手を添え、淑やかさの中にどこか意地悪な色を混ぜた笑みのシリューナを見返し、言い淀んだ。身長差がある上に、お腹を押さえているので更に姿勢が低くなって自然と上目遣いになる。彼女の指摘も間違いではないが、それはこの三十分ばかりの話。途中別の部分で集中が削がれていた自覚があるティレイラ的には認めて怒られたくはないけど、かといって嘘をつくのも気が引けるので曖昧な反応になってしまう。しかしシリューナも深く追求する気はないようで軽く肩を竦めてみせると、
「まあいいわ。折角だから、休憩ついでにおやつの時間にするわね」
 と監督する立場なのも大きいだろうが、今が何時か正確に把握しているようで、そう提案をしてくる。踵を返し出ていきそうな師匠の姿を見て、ティレイラは慌てて挙手した。
「あ、それなら私もお手伝いしますっ!」
「ティレ、貴女は疲れているでしょう。私の教え、忘れたとは言わせないわよ?」
「英気を養い、出来る限り万全の状態を保つべし……ですよね」
「――宜しい。準備をしてくるから大人しく休んでいなさいね」
「はーい」
 理知的で優しいお姉さまも師匠の顔を見せるときは厳しい言動が多い。それは正論かつ自分のことを心配し、成長を促すが故の叱責なのだとちゃんとティレイラも解っている。すぐに引き下がって、今度こそ空間から出ていくシリューナの背を見送った。……それにお茶でも何でも彼女が淹れてくれる飲み物と、目利きの腕は食事に対しても発揮されるのか、出すお菓子も全て絶品だ。美味しい物を食べれば落ち込んでいようが拗ねていようが機嫌が治る現金な性質のティレイラにとって、おやつはまさに至福のひと時である。早くも鼻歌を歌いたくなるほど上機嫌になりながら、しかしその視線はまっすぐに己が頭上を振り仰ぐ。
 シリューナの問いに対し、言い淀んだ理由。それは彼女がこの魔法薬屋の一室に修行用にと作った神殿風の建物、宗教画が描かれていそうな天井近くに浮遊する謎の物質がずっと、視界に入って気になっていたからだ。更にいえば、金属質にも見えるそれからは不思議な魔力が発せられていて、この特殊な空間を創造したシリューナのそれに近くも、触媒の魔力も混じっているようで違和感がある。例えばシリューナのそっくりさんに見守られているような感じ。
 ――好奇心は猫を殺すということわざを知っている。現に痛い目を見たことも数えきれない。大抵は姉のように慕っているあの美しい師匠によるものだけど。ただその好奇心と冒険心があったから、この世界に来て充実した日々を送れているのもまた事実であり。つまり過ぎたことは気にしない主義だ。
「だって、気になるんだもの!」
 開き直るように呟き、シリューナが呼びに戻ってくる前にと、この短時間で幾分か回復した魔力で以て本性の一端を思わせる翼を背に生やし硬質の床を蹴ってティレイラは飛び上がる。吊るされているでもなく宙空に浮かんでおり、近付けば鏡のように磨かれた表面に歪んだ自分が映った。睨めっこでは飽き足らずに、吸い寄せられるように下からその物質に手を伸ばす。人差し指でつーっとなぞると、見た目通りにつるつるとした触感で、少し熱を持っているのが分かった。しかしこれを使ってこの空間を作ったのは分かるが何で出来ているのだろう。ティレイラにも理解出来るのは魔法物質であることくらいだ。習ったことがあっただろうかと考えつつ興味本位に触り続ける。ふと動かせるのか気になって、両手で球体のそれを包むように手に取る。――と。
「ええっ、ちょっと待って!?」
 それまで何の反応もなかったのが、触り方のせいなのか何なのか、手のひらから指先まで触れている箇所が熱くなる。修行中にヘマをして、シリューナに回復をしてもらうときと似ていた。要するに魔力が注がれる感じだ。当然謎の物質からだろう。本能が危機感を駆り立て、慌てて手を離そうとするが何故かピタリとくっついていて離れない。単に力を入れるのは勿論、目一杯翼を羽ばたかせようが全身を思いっきり振り乱そうがビクともしない。きゃあきゃあ騒ぎながら、逃れようと奮闘している間にもどんどん魔力が流れ込んできて、違和感を覚えて振り返り、恐る恐る視線を下げれば、広げた翼や尻尾の先が徐々に掴んだそれと同じく、金属質な輝きを持つ物質に変わっていっているのが分かって、ティレイラは頬を引き攣らせた。断言出来ないが余剰分の魔力を取り込んでしまっているのではと思う。が思うだけで解消出来ないまま、知ったらかえって混乱は膨らんでいき。焦りで空回る間にも、お尻の感覚がなくなってきた。と思えば次の瞬間には、胸の辺りまで痺れて感覚が薄れてくる。更には変化と共に重みが増し、少しずつ下へと落ちてきていた。
「像になるなんてイヤ〜! 助けてお姉さま!!」
 叫ぶが当然シリューナに届く筈もない。懸命に名前を呼んでいる内に、ティレイラの意識は遠く霞んでいく。

 ◆◇◆

 ダイニングルームで一通り準備を済ませて、ティレイラを呼びに戻ってくればそこにいる筈の彼女はおらず、部屋を出る瞬間までなかった筈の物がある。豪奢には程遠いが雰囲気から神秘性と荘厳さを感じ取れる、自らの趣味を色濃く反映したこの神殿の中。ティレイラの意気を高める目的もあり今回そうしてみたが、空間を作るにあたって触媒とした魔法物質を掲げ持つように存在する像は、まるで最初から意図してそこに配置したかのよう。しかし、その姿は紛れもなく、愛弟子であり妹のように可愛がっているティレイラそのもので、格好からしても、無闇に触った結果空間の一部と化したのだと容易に想像がついた。神殿を思わせる建材が大理石のように見えるのはシリューナがそう企図した為で、素材自体は魔法物質をコピーしたものだ。ティレイラは何も知らず、何の念も込めなかったからそれと全く同じ見た目になっている。
「はぁ……仕方のない子ね」
 状況を把握し嘆息するが、しかし性懲りのなさを師匠として嘆きながらも、美術品鑑賞が趣味の一個人としてはこうなることを密かに期待して手伝いの申し出を拒んだ部分もある。人間という生物には限界が存在しており、一から十まで想像で生み出した芸術なんて絶対に有り得ない。そこにはどうしても作り手の意図が込められるものだ。自然物には逆にそれはないが、同時に、受け取り手に語る言葉もないのでシリューナの好みとは異なる。――その点、こうやって生きた者が物になった美術品は双方の長所を兼ね備えているともいえるだろう。
 シリューナの目の前には狙ったが直接手を加えてはいない美しい像がある。それを見つけて湧きあがったのはどれだけ追い求めようが滅多にお目にかかれない掘り出し物を見つけたときの、あの喜びだ。逸る想いは早く短くなる足取りにも表れ、興奮に胸を高鳴らせながらティレイラの元へと近付いていく。知識はあれどもかけられたことはないが、魅了の魔法を受けた人間はきっとこんな気持ちを抱くのだろうと思った。
 床から十センチほど浮いた状態で静止しているティレイラは翼を生やしていた。邪魔にならないよう、天井付近に浮遊させておいたのをわざわざ触りに行ったからに違いない。異空間生成は触媒を使わずとも可能だが、維持する為には集中し続けなければならず、しかしそうすると修行の様子を見守ることすら難しくなる。なので空間保持を魔法物質に委ねることで、その欠点を解消していたというわけだ。魔と名のつくものはいずれも扱いが難しいというのに、何故こうも軽く触るのか。
 ――何か言おうとしたらしい半開きの口に、元々つぶらなのが更に大きく見開かれている瞳。予想だにしない事態に慌てふためいた様子が目に浮かぶようだ。その反面で空を飛んでいる際の躍動感もそのままに大きく広がった翼と、同じ色艶を持つ魔法物質を天に掲げた様は宗教的な美術品を思わせる。ティレイラの均整の取れた肢体も同様で、真逆の要素が描き出す不完全性が倒錯感と共に美しいという感慨を抱かせた。興奮というよりも最早感動に近いかもしれない。暫くの間じっくりと愛おしげに眺める。
 四方から見尽くしてもこの情動は高まる一方であり、僅かな理性を押し流して、シリューナはとうとう像へ手を伸ばした。金属に見えて金属には非らず、自らの顔をその凹凸に歪ませ映しながら同時に不思議な光を放っており、触れれば硬質だが指先が食い込むと錯覚するほどに滑らかだ。低めだが形のいい鼻梁に浮き彫りの鎖骨、上下に開かれた唇と、僅かな盛り上がりが作る曲線もつるつるとして気持ちが良く、何度も往復させては熱い吐息を零し、頬はどうだろう、艶やかな髪束はどんな感触かと実験するように、一つ一つ確かめていく。見た目も質感も無機質なのに、身体の芯まで温めるような熱を帯びている為に、生身に触れている感覚を覚えた。石のひんやりとした冷たさと、肌のきめ細やかさが伝わるあの感触もいいが、これはこれでティレイラのありのままの美しさを引き立てていて実に良い。徹底的に可愛がらずにはいられない。そうしなければ美術品を愛してやまない者として失礼というもの。頬を撫でさすりつつ顔を近付ければ、息がティレイラの唇にかかって一瞬曇りすぐまた輝きを取り戻す。
「――ずっと、ずっと、いつまでも……このまま永遠に撫でていたいくらいだわ」
 あまりの心地良さに身体を捩れば、ついあげた感嘆の声さえ興奮に打ち震える。梳くように髪を撫で下ろし、苦しいというよりも困ったふうに下がった眉をなぞって、丸を描く目の縁を辿った。そして本来は紫がかった赤色の眼の、鮮やかさを損なった代わりに得た硝子玉にも似た煌めきを愛でる。くるり弧を描く睫毛に守られていて、生身では絶対触れられない瞳。それが一番にシリューナの興奮と背徳感を煽り、視覚と触覚の両方で感じる美しさにうっとりと酔い痴れた。偶発的な事態にしろお仕置きの結果にしろ、ティレイラはこうして嘆いたり動揺をしたりと喜怒哀楽を即座に顔に出すがその剥き出しの感情がまた、彼女の魅力を存分に描き出していて堪らない。顔以外にも、手に翼、尻尾と――服に覆われていないところは一つ残らず丹念に愛でたい。とはいえど、その内に元通りにしてやらなければならないが。後少し、もう少しと思っている間にも時は過ぎていく。
(戻したら新しい茶菓子を用意しなくてはね)
 今日はかなり頑張っていたし、出来るだけ美味しい状態の菓子を食べてほしい。そんなふうに思いながらも、使命感に駆られるように時間を忘れて、ティレイラに触れながら鑑賞し続けるシリューナだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
前回までの話もそうですが、魔法の仕組みについて
想像が至らない部分もあるかもしないと思いつつも、
好奇心やうっかりで酷い目に遭ってしまうティレイラさんと
意地悪なところもあるけど色々な意味で彼女のことが好きな
シリューナさんの描写に焦点を当てて書いているつもりです。
普段字数の都合もあり、外見の描写を書く機会が少なく
ティレイラさんの魅力を上手く書けているか不安ですが、
喜んでいただける内容に仕上がっていたなら嬉しいです!
今回も本当にありがとうございました!
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東京怪談
2019年11月06日

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