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『完璧はきっと完全なんかじゃないから』
温羅 五十鈴aa5521)&沙治 栗花落aa5521hero001

 冬の静謐をひとつまみ振りかけたように、ひやりとやわらかな秋の風。
 頬をなぜられた温羅 五十鈴(aa5521)はきゅっと肩をすくめ、上着をかき寄せた。
[俺は、言ったぞ。今日は、寒い]
 横に並んだ沙治 栗花落(aa5521hero001)が、手の動きと表情とで伝える。
 対して五十鈴はぷぅと膨れてみせ、せかせかと両手を繰って。
[いいお天気だからちょっとだけ油断したの!]

 やりとりは日本手話である。なぜなら五十鈴は声を発することができず、千里耳という超常聴覚を有する栗花落は音を厭い、特殊な布で耳を塞いでいるから。
 誓約を結んだ能力者と英雄は、共鳴してしまえば重なった心を通して互いのすべてをやりとりできる。しかし、どちらからもそれを切り出したりはしなかった。理由は――互いによくわからない。強いて言うなら「なんとなく」。
 この「なんとなく」にも名前があるんだろうがな。栗花落はまだぷんぷんしている五十鈴を秋風から守ってやりつつ思う。
 そして。栗花落のさりげない気づかいを背に感じながら、五十鈴も思っていた。この「なんとなく」にも名前があるんだよね。……こんなふうに栗花落さんがしてくれることに私が感じてる「なんだか」にも、きっと。


 今日は栗花落の郷里の味を再現しようということで、都心の高級スーパーへお出かけだ。その移動手段は地下鉄、なのだが。
 五十鈴に買ってもらった切符を手に、栗花落は自動改札機をにらみつける。
 彼のいた世界の文明レベルは戦国後期といったところで、機械などというものは存在していなかった。そのため、これまで幾度も信じられないような失敗をしてきてもいた。行く手を改札に阻まれたことだって一度や二度ではない。
 五十鈴の前でこれ以上の失態は演じられない。俺は今日こそ、やり遂げる!
 というわけで。栗花落は慎重に息を整え、改札機との距離を測り、頭の内で歩数と軌道、切符を突き出すタイミングをシミュレートして――踏み出した。
 結果的にはなんなく通過できたわけだが、なんだろう、あっけなさすぎて物足りない感じ。俺は本当にやれたのか?
 そんな彼に続いて改札を抜けてきた五十鈴の手には、切符よりも大きな板があって、栗花落は混乱する。「五十鈴、なんだそのでかい手形は?」、思わず声を出してしまうほどにだ。
 見間違いでなければ、五十鈴はそれを機械に吸い込ませるのではなく、上に一瞬だけ乗せていた。いったい俺の手形となにがちがう?
[上級者用の手形だよ]
 ICカードについて説明する自信がなくて、五十鈴はとりあえずごまかした。そして改札を抜けたことですっかり気が抜け、栗花落が取り忘れた切符を彼へと渡す。
 打ちひしがれた顔で改札とICカードの間へ視線をさまよわせる彼を前へ押し出しながら、五十鈴は小さく息をついた。どうして男の子ってそういうつまらないプライドに拘るのかなぁ。


 高級スーパーに並ぶ食材は実に多彩で、そしてもれなくお高かった。
[鳩を、料理して、煮る]
 学び始めて間もない栗花落の手話は、細かいニュアンスの再現ができない。丸ごと一羽分の鳩の生肉が必要なのだろうと察して、五十鈴は精肉コーナーを目ざすが。
 その間に、栗花落がひょいひょいと買い物カゴへ野菜を放り込んでくるのだ。
[青菜が、要る。体が、よくなる]
 海賊のようなものをやっていたらしい彼にとって、野菜は栄養源として貴重で希少だったはず。魚ほど容易く手に入らなかっただろう野鳩と合わせ、馳走をこしらえたのだろうことも理解できる。だがしかし。
[栗花落さんの世界にほうれん草はなかったよね? 高いアスパラガスも高いパセリも高いブロッコリーも!]
 濃い緑の野菜は滋養に満ちている。それは栗花落が経験則によって得た持論である。そしてこちらの世界で見つけたそれらは、辺りに生えていた野草よりも食べやすい。
 味へのこだわりが薄いのはいかにも戦国民といったところだが、なにを食べても「うまい」しか言わず、滋養が、滋養を、滋養に、そんなことばかりを繰り返す彼に、五十鈴はなんとしても、心の底から「うまい!」と言ってほしかった。
 そうだよ。だから私、栗花落さんの世界のお料理作ろうって思ったんだから。
 ぐっと手を握り締めた五十鈴は栗花落をくわっと返り見て。
[お野菜は私が見るから! だってお味噌で煮るんでしょう!? 合う合わないだってあるし!]
 ……意気込む彼女の様に、栗花落は口の端を歪めた。どうして女はこう、細かいところに拘るんだろうな。


 再び、地下鉄。
 空いている時間を選んできたから乗客はまばらで、ふたりはふたり掛けのシートに並んで座ることができた。
 音は五月蠅いが、この揺れはなつかしいな。
 栗花落は耳を覆う布と、その上からかぶせたヘッドフォンの位置をなおし、かるく目を閉ざす。
 こうしていると思い出すのだ。関船を揺らす波を。波をかき消す戦の喧噪を。喧噪を貫く銃声を。銃声を追いかけてくる仲間の声音を。
 すべてをわずらわしく感じてきたはずなのに、遠のいてみれば繰り返し思い出す。なんとも身勝手なものだ――と、彼は傍らの五十鈴へ目をやって。
 五十鈴は、思い出したくないだろうな。忘れられないあの日のことは。
 栗花落が彼女と出逢ったあの日、それは五十鈴が声ばかりでなく、大切にしていたものすべてを喪った日だった。
 この世界へ顕現した彼にできたことは、彼女ひとりを戦火の淵より連れ出すばかりのことだったが、果たしてそれは正しかったのか。
 今は穏やかな顔を彼の肩へ預け、うたた寝に沈む五十鈴。しかし夜の眠りの内、幾度となく声なき絶叫をあげて跳ね起きていることを、栗花落は壁に伝う残響から知っていた。
 あのまま死なせてやるべきだったんじゃないかと、俺は今でも迷うんだ。
 五十鈴を救ったのは、生を望む彼女の心が栗花落を引き寄せたからだ。そして彼は、ひとりの少女を飲み込もうとしていた運命の津波に憤った。あんたらのご都合なんぞに巻き込ませるかよ。
 義憤だったとは言わない。自分にこの耳を与えた運命への恨みを五十鈴へ重ねただけの、ただの反抗心だ。わかっている。しかし、それでも。
 ……いや、なにも言えない。俺は五十鈴に差し出せる“言葉”を持ち合わせていないから。
[栗花落さん?]
 栗花落の肩の強ばりで目を醒ましたらしい五十鈴が顔を上げ、のぞき上げてきた。
 気づかせたくない。栗花落は窓の外へ振り向いた体を装い、ごまかしたが。
[大丈夫だよ]
 ぽんぽん。肩をあやすように叩かれて、余計に気まずくさせられた。
 なにが大丈夫なんだよ。なにもわかってないくせに。
 胸中に吐き捨て、そして。
 でもまあ、それでいいんだろうな。そう思う、なんとなく。


 キッチンで食材の下ごしらえを済ませた五十鈴は、鍋を火にかけ、出汁を取る。
 使うのは鰹節。日本では奈良時代に“堅魚”と呼ばれ、すでに旨味の素として認識されていたらしいが、栗花落は主に保存食として用いていたという。出汁に使うのはそれこそ特別な日だけだと。
[そういえば、どうして鴎じゃなくて鳩なの?]
 問われた栗花落はわずかに眉をしかめ。
[鴎は、不味い]
 付け加えて言えば、肉食の鳥獣は肉に酷い臭みを持つ。鳩は雑食ながら動物性の食物を好まないため、うまい。そういうことなのだが、さておき。
 出汁が取れたら綺麗に濾して、野菜と鳩肉のぶつ切りを加えて煮込む。
「味噌は貴重だったから、手に入るものをなんでも使っていたな。初めて米味噌を食ったときは驚いたが」
 手話では表わしきれず、言葉で伝えてきたあたり、相当にうまいと感じたのだろう。味噌の色を見せて当たりをつけた五十鈴は、とっておきの越後味噌を用意していた。
[味噌、まだ、入れないのか?]
[お味噌は沸騰させちゃうとおいしくなくなるんだよ。栗花落さんに作ってくれた人も絶対後から入れてたはず]
 栗花落なつかしの味を再現する料理ではあるが、これだけは譲れない。
 多分、作ってくれてた人もそんなこと考えてなかったと思うけど。でも私、少しでもおいしくしたいから。どうして? うん、なんとなく。
 ……待つことしばし。肉に火が通ったことを確かめて、五十鈴は味噌を溶き入れる。
 味をみて、よし。節の旨味に肉と野菜、さらに味噌の旨味が合わさって、実にいい味わいを成していた。


 食卓のあちらとこちらで向き合ったふたりは手を合わせ、塩むすびと鳩鍋へ向かった。
 鳩肉は鶏肉よりも身が締まっており、強い噛み応えを返してくる。青菜は結局ほうれん草を主にしてみたが、これはこれで正解だ。
「うまい」
 鳩肉を噛み締め、栗花落はほろりと漏らした。ただ、心からの言葉ではあったが、どこか遠慮がちというか、煮え切らないというか。
[味、ちがってた?]
 おそるおそる尋ねる五十鈴から、栗花落はためらいながら視線を逸らした。
[ちゃんと教えて!]
 それでも五十鈴は詰め寄って……だから栗花落はしかたなくうなずいてみせる。
「これはきっと俺が食っていたものよりずっとうまい。この握り飯もだ」
 突きつけられた。五十鈴は息を詰まらせ、うつむいた。
 実際のところ、越えたいと思っていたのだ。栗花落の記憶の内にあるなつかしい味を。それで「うまい」と言わせたいというところで企みは尽きていたから、その次にどうしたいかは考えていなかったのだが。
 栗花落さんがなつかしいって思えたらよかったはずなのに、「なんとなく」だけで意地張って。結局あんな顔させちゃうなんて、ぜんぜん私のしたかったことじゃない。
 じゃあ私、なにがしたかったの?
 自分のことがわからなくてうろたえる五十鈴に、栗花落はまた肉声で語りかけた。
「でもな、これ以上にないくらいうまい」
 そして彼はたどたどしく手話を繰り。
[五十鈴が、俺に、作ってくれた、飯だから]
 必死で伝えようとする栗花落の姿を見て、わかった。
 私、栗花落さんに喜んでほしかったんだ。
 ……正直、会話できない不自由さに嫌気が差し、ずっと共鳴していられたらと思うこともあった。それをしなかったのは、けしてなんとなくではなく、自分のために手話を憶え、この世界に順応しようと学び、ライヴスリンカーとしてできることをしたいという五十鈴の淡い志を支えてくれる栗花落へ贖いたいから。
 完全なひとりになっちゃったら不自由も不便もなくなるかもしれないけど。私は栗花落さんとちゃんと向き合いたいから。
 そして栗花落もまた同じように思っていた。
 共鳴していたならこんなすれ違いもなくなるんだろうがな。なにもかもわかり合えるなんて、それはもうどうしようもなくつまらないだろうさ。神仏って連中が退屈そうな顔をしている理由が知れる。
 不完全な人間同士だからこそ理解しようと努力する。喜んでほしくて頭をひねる。それが実を結ぼうと結ぶまいと、尽くしてくれた思いが曇ることなどありえない。
 後に彼は思うこととなる。惜しむことは喪うことだと。だからこそ惜しまず伝えようと。このときにはまだ思い至らぬことではあったが――意を決して彼は喉を押し広げ。
「五十鈴の飯が好きだ。昔食った飯なんて比べものにならないくらいな」
 自分の発した音が骨をきしませ、脳を掻きむしったが、かまわずに強く、言い切った。
 果たして、言われた五十鈴は。
“う”の形で固定された口をぎぎぎと“い”へと変じ、一気に赤面。ちがうちがうとかぶりを振って熱を追い払って、ようやく顔色を取り戻した。
[料理、私、得意]
 なぜ手話がたどたどしいのかはともかくとして、彼女は栗花落の手から椀を引ったくっておかわりを山盛り、荒々しく突き返すのだった。


 夜。
 自室のベッドへ潜り込んだ五十鈴はうんと体を伸ばした。
 今夜はあの日を夢に見なくて済む、そんな気がするのだ、なんとなく。
 でも、見なくて済むじゃなくて、見ないって言い切れるようにならなくちゃ。栗花落さんに心配かけたくないもの。

 同じとき。栗花落は自室から月を見上げていた。
 もしかすれば今夜も五十鈴が夢に苛まれ、跳ね起きるかもしれない。
 そうなったら、余計なことを考えずに飛び出す。察することができない不完全な俺にはそれしかできないんだからな。

 夜は更けていく。
 不完全なふたりの完璧にはほど遠い、だからこそ純粋な思いを、新しい明日へと運びゆく。


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2019年11月07日

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