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『これからを始める。』
リオン クロフォードaa3237hero001)&エリズバーク・ウェンジェンスaa5611hero001)&藤咲 仁菜aa3237)&九重 依aa3237hero002

「予想外の展開でしたよ王子様」
 東京の路地裏に古ぼけた看板を出す純喫茶、その一席に浅く腰かけたエリズバーク・ウェンジェンス(aa5611hero001)は、指をかけたカップの内にコーヒーを揺らして言う。
 力の抜けた声音ではあったが、注意深く聞き取れば抜ききれなかった苛立ちがざらついていることに気づくだろう。少なくとも“王子様”ことリオン クロフォード(aa3237hero001)にはそれが知れた。
「予想外って、なにが?」
「おひとりで負うと言われておいででしたので」
 彼女が目で指したのは、問いを発したリオンのとなり――藤咲 仁菜(aa3237)だ。
「リオンはそのつもりでした。でも、私が訊いたんです。もう独りで戦わせないからって。だからいっしょに来ました。あなたと決着をつけるために」
 エリズバークの視線を、仁菜は大きく開いた目で受け止め、言葉を返した。まるで突き込まれた切っ先を盾で押し止め、突き返すかのごとくに。
「決着つけるのは俺ひとりでやらなくちゃって思ってたんだ。でもさ」
 リオンの生真面目に引き締められていた顔が解け、ばつの悪い笑みが現われる。
「考えてみたら俺、ひとりでなにかできたことないんだよな! ニーナがいてくれたからこっちの世界でやってこれたし、元の世界でだっていっつもみんなに助けてもらってた」
 笑んだまま、さらりと言い放った。
「“魔笑”エリザベス・ウォードにもね」
 仁菜の突き返しは薄笑みでいなしたエリズバークだったが、さすがにこの一閃は流しきれず、目を見開いてしまう。
「思い出したのですか、私のふたつ名を」
 リオンは「全部ってわけじゃないけどね」。
 奥歯に乗せた動揺を噛み殺し、エリズバークは犬歯を剥いた。もしかすれば切り札になるかもしれないそのカード、勝負の開始直後に知らせてきたのは余裕ですか? それとも私を呼びつけたことへの贖い?
 もちろん、怒りや焦りに任せて問い質すような真似はしない。すでにエリズバークの心は冷えていたから。
 激情にまかせて引き裂いたって、達成感は得られませんしね。肉を裂いて、骨を砕いて、心臓を抉って、存分に味わわないと。そのためにこそ兎姫様、ご協力をお願いいたしますよ。
 エリズバークは口の端を上げる。いかなるときにも絶やさず、敵に絶望を、味方に勇気を与えてきた艶笑を作って。
「ずいぶんとお世話してさしあげたものと自負しておりますよ」

 時間をかけてコーヒーをすすり、カップをソーサーへ戻す。時間はただそれだけで、攻撃されるのを待つ敵に心理的なダメージを与えるものだ。さあ、身構えなさい王子様。その盾では守り切れないところから、私の毒は食い込むのですけれどね。
「それが朋友たる第三王女の願いでしたので」
 リオンの顔が歪む。
 ああ、よかった。これも思い出してくださっておいででしたね。私の同門にしてあなた様の姉君を。
 エリズバークの思惑どおり、リオンは思い出していた。追いすがる千の従魔から民とリオンを守るため、ひとり立ちはだかった彼女の笑みを。
 そもそも「大丈夫」は、姉上が俺の心に遺してくれた灯火だったんだ――
 さあ、あなた様に追撃を差しあげましょうか。兎姫様の支えの手も届かない、心の奥の奥へ。
 エリズバークの笑みが酷薄で歪み、悪意の毒したたらせる言の葉が紡ぎ出される。
「彼女ばかりではありませんね。兄上、姉上、父君、母君、皆様の命を使い潰して、あなた様は愛すべき民を深き絶望の淵へと蹴り込んだ。その中にはこの私も含まれていたわけですけれど」
 踏み越え、置き去ってきたはずの絶望が、再びリオンの心へ沸きだしてくる。
 そうだよな。当たり前だ。思い出した俺はもう忘れられない。俺が存在するかぎりずっと、“あのとき”は胸の中に居座り続けるんだ。
 と。
 リオンは傍らの仁菜の左手を握り締める。
 エリーさんは俺を抉りたいんだろ? だからニーナが知らないことを言って、関わらせないようにしたんだ。でも。
 仁菜もまたリオンの右手を強く握り返した。
 私はリオンの絶望を知らない。そんな私が横から手を伸ばしたって届かないかもしれない。でも。
 俺のとなりにはニーナがいてくれるから――私の手にリオンの手はかならず届くから――俺だけじゃない、俺たちは――私だけじゃない、私たちは――いっしょに立ち向かえる。
 ふたりの心が重なり、ひとつの意志を織り上げていく様を見やっていたエリズバークは笑みを深め。
「仲がおよろしいのですね」
 爪先を伸べるように声音を伸べ、ふたりの決意の端へ引っかける。どれほど美しく織り上げられた飾り布であれ、横糸を一本抜いてしまえばあっけなく解け、描き出された模様を歪めてしまうもの。
 そして眼前のふたりの横糸は、仁菜だ。
「でも、ご存じないでしょう? 私たちを守りたかったはずの王子様が、最期に見せたものは」
 芝居がかった手で自らの胸を抱き、エリズバークは言葉を継ぐ。
「私は拓きたかったのですよ、友に託された未来を。そのために笑い、殺し、笑い、守り、笑い、笑い、笑いぬいて」
 自らの努力を印象づけておいて言葉を切り、数拍の間を置いて充分に観客の注意を引きつけておいて、畳みかけた。
「でも、王子様はそれに応えてはくださらなかった。ご自身の小さな絶望に負け、最後の最後まで繋がなければならなかった命をあっさり捨てたのです。ええ、王子様とてただの人。よくぞあそこまで持ちこたえられたと讃えるべきなのでしょう」
 客観で持ち上げたのはもちろん、そこで話をまとめるつもりがないからだ。
 ええ、王子様がもう少し使えるお方なら、私の演説をここで打ち切るのでしょうけれどね。本当にあなた様は無能でいらっしゃる。
「それでも私には赦せはしないのです。友と交わした約束を放り出し、私よりも先に死んで異世界へ逃げだした王子様を」
 客観を主観にすげ替え、感情論を語りあげておきながら、死んでいった民を押し出すことでそれを正当化する。
 そしてそれはリオンを攻めたてるばかりでなく、事情を知らないくせにリオンを支えようとする仁菜への攻めでもあった。
 さながら王子様は嵐にあおられ、へし折れた木。兎姫様はそれをお赦しになられることはできましょう。しかしながら、折れて横たわる木を立ち上がらせることはできますまい。折れた傷痕をなで、慰めることがせいぜいで。
 ――しかしながら、それはただの欺瞞ですよ。民を置いて逃げ出した王子様を匿い、あまつさえ明るい未来などというものへ進む片棒を担いだあなた様です。なにを言おうと、なにをしようと、私はそれを指摘し、言い立てるだけでいい。
 唇を噛み締める仁菜に、笑みを傾げてみせて誘う。どうぞ、巻き取られて斬り返されるだけの反論を。
 待ち受けるエリズバークへ向かい、仁菜が口を開いた。

「あなたは今も私を捕まえて離さない絶望を、知らないですよね」
 あまりに唐突な言葉で虚を突かれたエリズバークは、言い返すこともできずに喉を詰める。
 仁菜はそれを確かめることなく、ただ言葉を継いだ。
「同じことで、私はウェンジェンスさんの絶望はわかりません。想像してわかったような気にはなれるでしょうけど、そんな失礼なことはしたくないですから」
 そのとおり。わかった気になられるのは実に不快だ。あの苦痛はエリズバークだけのもので、誰に分け与えてやるつもりもない。
 では、どうしてこれほど自分はリオンに執着するのか?
 ……あのときを知る私以外の唯一の存在だから、なのでしょうね。
 結局のところ、自分は安心して嘆き、憤り、恨みたかっただけなのかもしれない。同じ地獄で果てた約束破りの王子には、エリズバークに打ち据えられなければならない責がある。
 そのくらいはもう甘んじて受けていただきませんとね。無二の朋友を亡くし、守りたかった国も約束も喪って流れ流れ、ようやく出逢った運命の人をも奪われた私にはもう、救ってくださいと泣きわめいてすがりつける相手もいはしないのですから。
 エリズバークは自らの境遇を顧みて、小さく息をつく。
 本当にまったく、身勝手な話ですよ。思いながら、エリズバークは仁菜へわずかに尖らせた声音を向けた。
「あなた様は絶望しておられて、誰にもわかった気になられたくなくて、されどおとなりの王子様だけは別だと?」
 仁菜は竦まず息を吸い込んで。
「答える前にお聞きします。ウェンジェンスさんは絶望して、誰にもわかった気になられたくなくて、だから独りでうずくまってるんですか?」
 なにが言いたいんですか、この小兎は。苛立ちを隠しきれず、エリズバークは舌を打つ。しかし、仁菜の手札が読めない以上、それをオープンさせる必要があった。
「そうとも言えるでしょうね。あの日あのときを忘れられない私は、この絶望の淵から抜け出しようがないのですから」
「絶望してうずくまるなんて甘えたこと、私は赦さない」
 反射的に目を剥くエリズバーク。なにも知らない小娘が賢しげに!
 しかし、彼女へ向けられているはずの仁菜の目はけして彼女を見てはおらず、エリズバークは困惑する。小兎はいったい、なにを――
「そんなこと、私は私に赦さない」
 突き放したのはエリズバークならぬ、仁菜自身。
「兎姫……そもそもあなた様は、今も絶望に囚われていると言われましたよ。赦す以前に踏み出せてすらいないではありませんか」
 エリズバークはとまどいを映した疑問を浴びせかける。ああ、私は動揺している。兎姫の意図がまるで読めなくて。
 かくもうろたえるエリズバークへ。
 仁菜は静かにかぶりを振った。
「今もあのときの絶望は私を捕まえて離さないけど、でも」
 今までよりもさらに強い光を湛えた目線が、まっすぐに射貫いた。
「私は――私たちは、全部抱えたまま今日の先に進むんです。あのときリオンが大切な人たちに届けられなかった手と、あのとき私が大切な人たちに届けられなかった手を、今度こそ誰かへ届けるために」
 重なり合ったリオンの右手と仁菜の左手の間に熱が灯る。それはライヴスでも体温でない、思いの熱だ。
「前に言ったよな。俺はエリーさんの悲しみからも苦しみからも逃げない。その代わりエリーさんのそれを抱え込んだりもしないって。それ、少しだけ訂正するよ」
 ニナの熱がリオンの熱に溶け込んで、文字通りに加勢する。勢いを増した熱はリオンの内を轟々と流れ巡り、弱気を灼き尽くしてさらに加速していった。
 俺は踏み込む。そのせいでエリーさんに斬り刻まれたってかまわない。
 俺はニーナと、
 俺とニーナを、
 突き通すんだ。
 果たしてリオンは、自らの胸を叩きながら唱える。
「“くしゃみ”、“樽蓋”、“歌い屋”、“編上”――」

『ここまで死にもしないで戦い抜いてきた俺たちは、誰にもケチのつけようがない歴戦の英雄だ! だったらふたつ名くらいなきゃカッコつかないだろ!』
 リオンの発案で、最後に生き残った47人の民はそれぞれを象徴するふたつ名を考え、仲間と付け合った。ちなみにリオンは、満場一致で“王子様”。そしてエリズバークの“魔笑”もまた、皆の意見によってつけられたものだ。
 あんたの笑顔は……もし化物全部追っ払えたら、そんときゃさ……あたしら女もあんたの笑顔が好きなのさ……笑っててよ……笑おうぜ……笑って……
 リオンの語るふたつ名の隙間を駆け抜けていく仲間たちの声にしばしその心を預け、エリズバークは自らを思いの淵から引き上げる。
 果ての知れない苦境で皆と笑い合ったあのとき、私は一条の希望を見ていたのですよ。王子様、あなたの背中に。

「……なつかしい名を聞きました。ただ、あなた様がなにをおっしゃりたいのかは見当がつきませんけれど」
 彼女にしてはひどく素直に疑問を口にした。
 対してリオンは「俺の胸にみんなを迎え入れたかっただけ」、そう答え、眉根を引き下げる。
「俺はみんなのこと忘れてた。思い出せないのはすごく苦しいことだったけど、思い出したらもっと苦しくなったよ」
 46のふたつ名を唱え終えたリオンは、胸から拳を外して見下ろした。その目は遠くを見透かしたいように細められ、声音は万感を吸って低く、重い。
「でもさ、もう二度と放り出したりしない。あのとき守り切れなかったみんなも“魔笑”の痛みも苦しみも、全部」
「は?」
 エリズバークはもう、それ以上なにを言うこともできなかった。思考は完全に停止して、怒ることすら思いつかない。
「俺ひとりじゃムリでも、俺の右手はニーナがやってくれるから」
 仁菜が強くうなずく。
「私ひとりで抱えられないものも、リオンの左手が支えてくれる」
 リオンもまた強くうなずく。
「絶望と後悔しかないあのときから俺たちは逃げない。ふたりがかりで、あのときの先に運んでくんだ。だから」
 リオンの左手が、仁菜の左手が、エリズバークへ伸べられて。
「エリザベス・ウォードの悲しみもエリズバーク・ウェンジェンスの苦しみも、俺たちに全部預けてよ。そしたらエリーさんはどこへだって行けるだろ」
 世迷い言を。胸中でつぶやいてはみたが、エリズバークに激昂する力は沸いてこなかった。それよりも、だ。
 私があなた様を苦しめるには、いったいどうしたらいいのですか?
 あのときのことをせっかく思い出してくださったはずなのに、あなた様はそれに潰されることなく、すべてを抱えて行くと言い切られた。それどころか私の憎悪すらも預けろと――
 エリズバークは袖の裏から抜き落とした刀子の柄を手の内へ握り込み、ひゅっ。呼気に乗せ、刀子を仁菜の喉目がけて投げ放つ。
 なんとしてもあなた様に贖っていただかなければ! この私を行き場なき亡者へ堕としたあなた様から兎姫を奪いさって!
 しかし。刀子は仁菜の喉には届かなかった。
 リオンの左掌と、その裏に重ねられた仁菜の右掌に止められて。
「俺は逃げないけど、殺される気も殺させる気もないから。みんなとの約束、果たさなくちゃいけないしね……って、ニーナなにやってんだよ。刺さったら痛いだろ。だって俺、すごい痛いし」
「狙われたの私だもん。リオンが勝手に手出さなきゃよかっただけなのに。でもリオンが狙われたんじゃなくてよかったぁ」
「俺だってニーナが無事でよかったけどさ。とにかく1、2の3で抜くぞ」
「動かすと痛いってば。合図は私がするからね」

 周囲に気づかれぬよう小声で言い合いながら店を出て行くふたり。
 その背にエリズバークは声なき声を投げかけた。
 こんなにあっさりと置いて行きますか、兎姫様の命を狙った私を。
 先にリオンと会ったときには、どこへ向かえばいいのかと悩んだ。その果てに、あのときへ戻る以外にないのだと思いを定めた。
「――あいつらはもう肚を据えている。殺したいならおまえも覚悟を決めてかかるんだな」
 いつの間にか、今までリオンたちが座っていた席へ滑り込んでいた九重 依(aa3237hero002)が、仏頂面を傾げて言葉を投げてくる。
「ご到着がもう少し早ければ、かわいらしい兎姫様にも中がよろしい王子様にも傷をつけずに済んだのではありませんか?」
 気の抜けたエリズバークの問いに、依は口の端をかすかに上げてみせ。
「最初から見てはいた。が、あいつらにも証が要るだろうと思ってな」
「証?」
 依はうなずき、静かに答える。
「あんたの思いを受け止めた、そう思い込めるだけの証がな」
 抜けた気が、かすかに戻り来る。苛立ちを込め、エリズバークは眉根を引き下ろして。
「もちろん納得などしていませんよ。思いを預けたつもりなんて毛頭ありません。私の怨嗟も憎悪も、変わることなく私の内に在る」
「なら、いつでも晴らしに来いよ。もっとも、あんたに今日の負けをなかったことにできる厚顔さがあるとも思えないんだがな」
 これまで二度、エリズバークは凶器を使う機会を逸している。それを放つことはすなわち、自らが完敗したあげくのことであると、彼女自身が知っていたからだ。
 そして今日、追い詰められたあげく、彼女は放ってしまった。
「私をここで殺しておかなくてよろしいのですか?」
 プライドさえ捨ててしまえば、あとは失うものなどない身だ。闇に紛れて這い寄るくらいは容易い。
「俺は兵士だ。王子と姫の意に背いて勝手を働くわけにはいかないんでな。それにさっき言ったろう。いつでも来いと」
 意外すぎるセリフに眉根を跳ね上げたエリズバークへかまわず、依はさらに。
「だがな、再会よりもあんたがあんたの先へ進めること、俺たちは願ってるよ」
 そうして姿をかき消した依の残り香に、エリズバークは虚ろな息をつく。
 私の先、ですか。
「余計なお世話ですよ」
 吐き捨てて、エリズバークも席を立った。
 向かう先は未だ定まらなかったが、ここより少しでもましな場所を探して歩き出す。

「終わったか」
 後ろから追いついた依がリオンと仁菜へ声をかけた。
「終わってないけど、始まったかな」
 左手を振ってリオンが応える。
「うん、これからだよね」
 こちらは右手を振る仁菜。
 どちらの手もケアレイで癒やされているようだが、傷痕が残されていた。
 そうか、それも連れて行くのか。依は苦笑し、気づかなかったふりをして促した。
「じゃあ行くか」
 3人の先にある、これからを始めるために――


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2019年11月08日

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