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『心の音が響いて』
神取 冬呼la3621)&神取 アウィンla3388

 その日は何気ない物音がやけに耳に響くことが気になっていた。

 とある大学の図書館書庫内で、神取 冬呼(la3621)がリストを片手に本を物色していた。
「……っと……後は、確かあの棚に……」
 見た目は少女同然でもれっきとしたアラフォ……もとい、大学教授である。今日も午後からある授業と、自身の論文執筆に使う資料を準備するためにここへ来ていた。
 学生も立ち入れるとはいえ、書庫の人影はさほど多くなく、室内は静かであった。冬呼はひとり淡々と本を物色して歩く。カーペットの上を歩くとす、とす、という足音がやはり耳に響いていた。
 棚の下段に収められた本を取るために屈み込み、棚から本を抜いてタイトルを確認、立ち上がる。
 すると、くらりと来た。
「あっ……」
 軽い立ち眩みかと思ったが、すぐに脳味噌を直接掴んで回されたような強い目眩が襲った。上下左右がわからなくなり、大きく体が傾く。
(ぶつかる……!)
 本棚に囲まれた狭い場所だ。己を制御できなくなった冬呼は思わず目を瞑った。

 ──だが、衝撃は覚悟していたよりずっと優しいものだった。

 左腕と右の腰あたり、そして頭から背中にかけて人の体温を感じる。
「冬呼殿、大丈夫か!?」
 そして頭の上から聞き慣れた声が降ってきて、冬呼は倒れる前に助けてくれた人がいることと、それが誰なのかを察した。
「アウィンさん……ありがと」
「姿を見かけたと思ったら突然ふらついたから驚いた……気分が優れないのか?」
 アウィン・ノルデン(la3388)はライセンサーとしての同僚であり、飲み友達である。一方でここの学生というわけではないが、外部聴講生として冬呼の授業に参加もしているから、教え子でもあった。
 そんなアウィンは冬呼をゆっくりと床に座らせながら、いくらかあわてた様子で彼女の様子を伺う。
「ん……ちょっと休んだら平気、だから」
 アウィンを心配させまいと、冬呼は軽く微笑んで見せた。それから立ち上がろうとしたが、体に上手く力が入らない。
 何とか少し腰を浮かせたところでまた体勢を崩し、アウィンに支えられた。
「ご、ごめん」
「謝る必要はないが……しかしただ事ではなさそうだな」
 冬呼の様子を見て取ったアウィンは小さく「失礼」と告げると、冬呼の背中に右腕、それから膝下に左腕を差し入れ、そのまま立ち上がった。
 いわゆるお姫様抱っこである。
「ちょ、あ、アウィンさん!?」
「とにかく、保健室に運ぼう。それとも、救急車の方がいいか?」
 そう聞くアウィンの表情は真剣そのもので、また有無を言わさないものであった。
「で、では保健室……で」
 冬呼はおとなしくそう言うほかなかった。

   *

 冬呼の返事を聞き、アウィンはすぐに書庫を出ようとしたが。
「あ、本が──」
 先ほどまで冬呼が集めていた数冊の本がその場に散らばったままになっている。
「ふむ……では、これは受付に預かっておいてもらうとしよう」
 とアウィンが言った。



 アウィンは図書館の受付で司書に事情を説明した後、別棟にある保健室まで冬呼を運び、校医にも事情を話してベッドの使用許可を取ってくれた。

「…………恥ずかしかった……」
 もちろん、最後までお姫様抱っこのままで。
「すまない。だが緊急事態だとおもったのでな」
「あ、うん。もちろんありがとうなんだけど」
 今はベッドに横たわっている冬呼は、アウィンが神妙な様子で謝るのを見て打ち消すように手を振り、礼を言った。
「気分はどうだ?」
「う……ん。もう少し、かな……」
 灯りを遮るように腕を額に乗せ、目を閉じて呟くように答える。体全体に重く沈むような不快感が残っており、今は体を動かすのもつらい。
「やはり、医者に診てもらった方が……」
 だが、アウィンのその言葉にはゆるゆると首を振った。
 アウィンの眉が悲しげに下がる。心配はしても、具体的な症状も対処法もわからない以上、現時点では彼には何も出来ることがないのだ。
「えっとね……」
 驚かせてしまったこともある。事情を伝えなければいけないだろう──。
 冬呼は腕に力を入れて、ゆっくりと半身を起こした。短時間とはいえベッドの上で休んだことで少しは体も言うことを聞いてくれるようになったらしく、アウィンの助けを借りなくとも何とかなった。
「今日ね、薬を飲んできたんだけどさ」
 うつむき加減に出した声は、いくらか掠れた。
「元々体調が悪かったのか?」
 アウィンの問いにこく、と小さく頷く。
「無理をしすぎたのではないか……?」
 ライセンサーとしても活動しつつ大学教授として学生を指導し、自身の論文執筆も行う──。一般的には十分激務といえるだろう。
 だが、今度は冬呼は首を横に振った。 
「時々、なるんだ」
 うつむいたまま、アウィンにはその表情は見えない。
「前に問題なくとも、時々ダメで……原因も分からなく、て」

 下を向いて、背中を丸めて、弱音を吐いて。こんなの、見せたい自分じゃない。
 人前では──彼の前では特に、毅然とした大人の女性であるべきだと、そう思うのに。
 まだ体はずっしりと重く、視界は暗い。体調の悪さが枷となって、普段の自分でいることが出来ない。冬呼は胸が詰まる思いだった。

 冬呼が小さく肩を震わせたので、また気分が悪くなったのか、とアウィンは思い、彼女の顔を覗き込み──そして目を瞬かせた。
 その目の端に、光るものが見えていた。
「あっ……」
 冬呼自身もすぐに気がついたようで、あわてた様子で目をこする。
 急いで笑顔を顔に貼り付けたのが、アウィンにも分かった。
 それはあまりにも上手くいっていなくて、泣き顔のように見えたからだ。
「や、やだな。こんな顔見せたくないのに」
 それでも冬呼は気丈さを装い、アウィンを安心させようと努めて明るい声で言った。
 その言葉を聞いて、アウィンは──、

「ならば、こうすれば見えない」

 冬呼の肩に手を伸ばし、自分の胸へとぐっと抱き寄せたのだった。



「あ、アウィンさん……?」
 突然胸に抱き寄せられて、冬呼は戸惑いの声を漏らした。
 だがアウィンは普段の調子である。
「顔を見られたくないのだろう? ここには私の他に人はいないし、この姿勢なら私から冬呼殿の顔はどうやっても見えない」
 まるで、冬呼の言葉をそのまま解釈したらこうなりました──とでも言わんばかりの言動。
 でも、これが彼の気遣いのやり方なのだ。決して器用ではなくとも、暖かさがある。
 そう思ったら、冬呼の体から余計なこわばりが自然と抜けた。
 異性の胸の中にいるのに、緊張や不快感はない。むしろ──。

 とく、とく、とくと音がする。アウィンの心臓の音だ。
 今日聞いた音の中で、冬呼にとってそれはもっとも優しく響く音だった。

 そのままの姿勢で、冬呼は目を閉じた。新しい涙がつっと一筋、流れ落ちた。

「ごめんね、アウィンさん」
「うん」
「こうなる度に、周りにも迷惑かけるのが申し訳ないし──」
「うん」
「自分でどうしようもないのがくやしい──」
「うん」

 冬呼が胸の中でぽつぽつと言葉を紡ぐのを、アウィンは相づちを打ちながら聞いていた。
 抱き寄せるために肩にやった手はいつしか背中にあって、幼子をあやすような調子で優しくぽん、ぽんと動かしている。
 それ以外のことはせず、ただ彼女が落ち着くのを待っていた。
(……知っているからな)
 神取冬呼という女性が、いつも頑張り過ぎていることを。

 ライセンサーとして同僚であり、飲み仲間という友人であり、そして学業においては師であり──どんなときも彼女はその立場にふさわしい人物だ。
 もちろんそれは、並大抵の努力では成し遂げられないものである。
 出会ってからそれほど長い年月をともにしたわけではないが、アウィンは彼女の同僚として友人として教え子として、その様子を垣間見ていた。
 であるならば、当然その裏にある苦労は相当なものだろう。

 だから。
 自分に弱音を吐けるのならば、吐き出してくれていいのだ。今のように。

「俺は、迷惑ではないから」

 想像するしかなかった彼女の苦悩と弱さを少し知って、アウィンは冬呼との距離がまた少し縮まったような気がしていた。



 やがて、冬呼はアウィンの胸から顔を離した。アウィンは特に引き留めず、背中から手を離して彼女が身を起こすのを見守った。
「もう、いいのか?」
「うん……だいぶ、楽になった」
 言葉通り、倒れたときから比べるとだいぶ顔色も良くなっているようだ。アウィンも安心したように頷いた。
「授業はやれそうか? 休講にするなら、俺が伝えておいてもいいが……」
「ううん、この調子なら開始時間までには十分回復しそうだから」
 ずいぶん長い時間、そうしていたような気がしたが、時計を見ると倒れる前に確認した時間からまだ三十分程度しか経っていなかった。

 後は一人で平気、という冬呼を残し、アウィンは先に退出することにした。
「ではまた、授業で」
「うん……アウィンさん」
 立ち上がり背を見せかけたところで、冬呼がアウィンを呼ぶ。
「本当にごめんね、今日は」
 眉根を寄せ、本当に申し訳なさそうな改めての謝罪。
 少し置いて。
「では、詫びはおでんで」
 アウィンはそう言うと、お猪口を口に持って行く仕草をして小さく笑って見せた。
「ん、ふ……ふふ、ふ!」
 冬呼が思わず吹き出すようにして笑うと、アウィンは手を軽く振って、保健室から出ていったのだった。




   *



 一人になると、冬呼は壁により掛かって目を閉じ、小さく息を吐いた。
(今日は、アウィンさんがいてくれて……よかったな)
 彼の気遣いのおかげで、普段より回復も早そうだった。もっとも、気遣いの仕方は意外だったが。
 ただ、不思議なほど嫌悪感は無かった。
(弟のような存在……だから、かな)
 実年齢からすれば冬呼の方が年上なので、そういうことになる。
 ただ、冬呼にはかつて亡くした本当の弟がおり、だからこそ、不安にもなるのだ。

 彼に感じる親愛は、本当は己の弟に感じるものではないかと。面影探しをしてしまってはいないかと。
(だとしたら、彼に……申し訳ない、な)

 安らぎと不安がない交ぜになった不安定な気持ちは、その後もしばらくの間、冬呼の心にとどまっていたのだった。





━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼ありがとうございました。書庫と保健室での一幕をお届けいたします。
こういった関係変化のきっかけになるようなお話は、実はMS時代もあまり書いた記憶が無いものでして、さて上手く書けているかと……いかがでしょうか。
イメージに沿う内容となっていましたら幸いです。
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嶋本圭太郎 クリエイターズルームへ
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2019年11月15日

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