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『仔犬と妖精』
夜城 黒塚aa4625)&智貞 乾二aa4696


 一歩踏み込めば百歩後ずさる。
 一歩踏み込んできたと感じたので振りむけばそこにはいない。
 妖精でしょうか。
 否。断じて否。




 賑やかな表通り。
 ファッションビルの間を通り、奥へ抜けると一転して静かな街並みになる。
 古書店や個人ギャラリー、アンティークショップなどが並ぶ。
 歩く人々の年齢層も、それなりに。
 睦まじく手を繋いで歩く老夫婦。小型犬の散歩をしながらショーウィンドウを覗く男性。
 この空間だけが、ゆっくりと時間が流れているように思える。
 通りを東へ進むと、やがて豊かな珈琲の香りが漂ってくる。
 その先には、落ち着きのある小洒落たカフェバー。
 赤髪をラフに後ろへ流している青年――夜城 黒塚(aa4625)が、その店でバイトを始めて3ヶ月ほど経過しようとしていた。


「黒塚さん、Aランチ2つ、3番テーブルへお願いします」
「りょーかい、っス」
 バイト先での先輩である智貞 乾二(aa4696)との関係も、当初こそぎこちなかったが今となっては随分と相手の緊張もほぐれて――いるように、見えるが。
(普通に会話できんの、仕事中だけなんだよなぁ)
 スラリとした長身、穏やかな物腰の乾二は、穏やかを通り越して不器用で口下手な人物だった。
 黒塚は初対面からこっち、怯えられ続けている。
 店内の雰囲気や乾二を過剰に怯えさせないことも加味して、カフェでは黒塚は髪を降ろしピンで留めるようにした。
 サングラスから、視線の鋭さを幾分か和らげるアンダーフレームの眼鏡へ変えてみた。
 努力の甲斐あり、仕事にも店の空気にも慣れてきた黒塚だが……乾二については、なかなか難しい。
「あっ、すみません。ごめんなさい、ごめんなさい、おケガはありませんか!」
(あーあー……)
 必死の声が聞こえたので振りむけば、乾二はデザートと珈琲を運ぶ途中で柱に足を引っかけて零しかけている。
 直近の客席に被害はない模様。
「俺が拭いときますから、智貞先輩は珈琲を淹れ直してもらってきてください」
「は、はいっ! ごめんなさい、黒塚さん……ありがとう……いたっ」
 振り向きざま、再び柱にぶつかる乾二。
 彼の不器用さは常連客もよく知っていて、それをフォローする黒塚の姿もすっかり定着していた。
(いや、定着するのもどうだよ)
 かといって乾二の不器用さは一朝一夕で治るようなモノでなし、それを責めても仕方ない。
(悪い人じゃ、ねェし)
 仕事は丁寧、真摯。人柄は温厚、真面目。
 バイト初日に、乾二から渡された珈琲とクッキーは最高に美味しかった。
 そういう人物なのだ。
(うーん……何かねェかな)
 黒塚の存在が乾二にプレッシャーを掛け、ミスを誘うことがあってはならないし、少ない人数で回している店なのだから、せっかくだからもう少しは打ち解けたい。
 さて、どうしたものか。




 昨日の失敗もこれからのミスも、朝が来ればとりあえずリセット。
 乾二はカフェの開店準備を進めながら、店長が焙煎しているコーヒーの香りで気持ちを落ち着けていた。
 人の通りもまばらな時間帯。静かで薄暗い店内。
 接客業をする身ながら、誰の目を気にしなくていいこの時間が、乾二にとっては最も心やすらぐ時かもしれなかった。
「おはようございまーっス」
「お、おおおはようござい、ます……。黒塚さん、ランチタイムからじゃ?」
 従業員入口から、何やら紙袋を抱えて入ってきた黒塚へ、乾二は吃驚して振り返る。
「えーと、店長に買い出し頼まれまして。試作で使いたい材料があるからーって」
「そ、そうだったんだ、ね……。朝からお疲れ様。て、店長も人使い荒いんだから。はは……」
「開店前の一杯で手を打ちました」
 その朝一番の、淹れたて珈琲。それはスタッフ限定のお楽しみ。
 子供のように笑う黒塚へ、つられるように乾二も微笑する。
(良い人なのに、僕がこんなだから申し訳ない……)
 開店前の珈琲タイムの用意を始めながら、乾二は心の中でしょぼくれた。
 なかなか会話が続けられない。楽しい話を振れない。ヘマをしてはフォローしてもらってばかり。
 『先輩』と彼は呼んでくれるけれど、飲み込みの早い彼の前ではすでに教えられることもない。
 自己嫌悪の雪ダルマになってしまう。

「……あ。これ、美味しいですね店長。新作ですね」
 お茶請けの焼菓子は、一口サイズのタルト。
 薄いクッキー生地にローストしたナッツを数種類のせて、キャラメル掛けで焼いたもの。
 香ばしくてホロ苦く、珈琲を飲むとほどけるように甘さが広がる。
「キャラメルの甘さが珈琲とちょうどいいんですね」
 乾二は感心しながら、菓子の構造を観察している。
 その様子をじっと見て、黒塚が何か言いかけた。
「智貞先輩は――……」
「はっ、はい! すみません!?」
「いや、まだ何も言ってねェスけど……先輩は何も悪くないでしょ」
「……だよね、アハハ……」
 髪を降ろして、眼鏡に変えて。黒塚の雰囲気は、バイトスタート当初より柔らかくなったと思う。
 しかし乾二にとっては、まだまだ強面範囲内であり反射的にすくみ上ってしまうのだ。
 本当に申し訳ないし、どうにかしないと……。




「そんじゃ、またバータイムに」
「……え。黒塚さん、休憩していかないの」
 怒涛のランチタイムの後は、店長が用意した賄いつきの休憩時間、なのだけど。
 乾二は、店を出ようとする黒塚を反射的に呼び止めた。
「今日は朝が早かったんで。その分、少し外に出てきます」
「……あ、わかり、ました……」
(ゆっくり話せるかなって思ったけど……僕が上手く話せる保証はないし……仕方ないかな)
 今朝の雰囲気の延長で、何かこう。変化を。と思ったけれど。
 肩を落とし、乾二は2階の休憩室へ向かう。
 
 扉を開けると、カレーの良い香りが広がっていた。
「わ、美味しそう。パングラタンだ」
 丸型フランスパンをくりぬいて、詰め込んだキーマカレーをチーズで閉じ込めている。
「店長が黒塚さんに頼んだ試作のって、これだったのかな」
 1人1つパンを丸ごと使うから、かなり贅沢になりそう。
 数を出すランチより、バータイムの食事メニュー向きだろうか。
「熱っ、美味しい……。食べ応えあるし、うん……好きだなぁ」
 半熟卵がソース代わりになっていて、味に変化を与える。


「店長、ご馳走様でした。美味しかったです。隠し味、最後までわかりませんでしたよ」
 体がホカホカ暖まる。
 休憩を終えた乾二がキッチンへ顔を出すと、店長は「そうか」とだけ返した。そっけないのも、彼らしい。




 古来より『人の心を掴むには、まず胃袋から』という。
(智貞先輩の好みは聞けなかったから手探りだったが……第一弾は成功、か?)
 店長の協力のもと、黒塚は『餌付け大作戦』なるものを試みることにしたのだ。
 第一弾が、キーマカレーのパングラタン。
「一味違った美味い飯となると、簡単なモンじゃねェな……」
 基本的なものであれば、黒塚も不得手なわけではない。
 が、胃袋を掴むまでとなると。
 そこで料理が得意な自分の英雄からレシピを教わり、一通り叩き込んだ。
 店で作るため、材料費や時間に制限を考慮して、前日に仕込み・休憩直前に仕上げるといった手順も考えてある。
「まあ、甘い辛いの極端な味付けは避けて無難だろうな」
 そこで、初日はキーマカレーを選んでみたが……反応は上々。
 実は店を出るふりをして、料理を用意してから気付かれない場所で様子を伺っていた黒塚である。
「店長の料理に慣れてるだろうし、ハードルは高いほど燃えるってな……」
 『店長の料理ではない』と、どこで気づくだろうか。




 カルボナーラソースのエッグベネディクト。
 鶏のトマト煮とサフランライスのプレート。
 およそ、この店では出ないような小洒落た品々が数日続く。
 そのどれもが美味しい。
 美味しいけれど……
「黒塚さん、今日も休憩は外なの?」
「あー……ハイ」
「最近ね、店長が凄く力を入れてるみたいで。ごはん、美味しいんだ。だから……」
 つっかえつっかえ、乾二が言葉を続ける。
 しょぼくれた仔犬のような眼差しをしている。
「……」
「い、いっしょに食べれたら、ぼ、ぼ、僕としては嬉しいんだけど……一人で食べるのはもったいなくて」
「……いースけど、驚きませんか」
「え?」


 おどろいた。


 種明かしをされて、素直に乾二はそう口にした。
 今までの料理は全て、黒塚が作っていただなんて……。
「手が込んでるなぁとか、原価は大丈夫かなぁとか、不思議に思っていたけど……」
 野菜と煮込んだビーフシチューは、とても優しい味がする。
「すごく美味しい……。すごいなあ……どうやったらこんな風に作れるのかな」
(あー……なんか、アレだな、警戒心強い小動物が、やっと近寄ってきてくれた、みてェな……)
「黒塚さん?」
「や、何でも無いっす」
 ゆっくりゆっくり食事する乾二を眺めて、黒塚は漏れかけた心の声を慌てて引っ込める。
 すごいなあ。美味しいなあ。作り手が黒塚と解かっても、乾二は何ひとつ警戒することなく料理を味わっている。
 普段の会話では見せない、安心しきった表情で。
(食い物は偉大だ)
 数日かけての作戦は、成功したといえるだろう。
「智貞先輩は家で料理とかしねぇスか」
「……ぼ、僕!?」
「珈琲に合う菓子のチョイスできるくらいだから、センス悪くないと思うんすけど」
「え!? え!! ……いえ、あの、その、す、すいません!」
「……だから悪ぃ事してる訳でもねェのに謝るなっつってんでしょ……」
「すみません……、あ」
 染みこんでしまっている。
 あまり強く矯正を促すものではないのかもしれないと、黒塚は微苦笑した。
 ここまでがワンセット、智貞 乾二という人間だというなら。
「嬉しかったです……妖精さんの正体がわかって」
「妖精?」
 ほくほくと笑顔を見せる乾二へ、黒塚が小首をかしげる。
「店長の作るものではないなぁって感じてましたけど、だったら誰がこんなに美味しい料理を? って。そっと置いて姿を消すなんて、妖精さんみたいでしょう」
(智貞先輩の方が、よっぽど妖精サンだとは言えねェ……)
 謝ってお辞儀して、自分と大差ない身長なのに姿が見えないこと多々だなんて。
「正体がバレたんで、俺は妖精の国に戻りますけど。……気が向いたら、また何か作りますよ」
 他愛ない会話のきっかけになるなら。
「智貞先輩の手料理も楽しみにしてるッスから」
「え」
 ニコリと黒塚が笑う。
 サーッと乾二の顔から血の気が引く。


 その日、最大ボリュームの「すみません!」が休憩室内に響き渡った。




 一歩踏み込んだ分、距離が縮まる。
 一歩踏み込んだけれど、一歩下がられる。
 そんなことを、繰り返して積み重ねて。
 ひととひとが結ぶものを、きっと『絆』と呼ぶのだろう。

 ――いつか。
 いつか、もっと、たくさん、普通に黒塚さんと話せるようになれたら。乾二は願い、今日のなんてことない会話を暖めて。
 いつか、怯えられない日が来るといいなと、黒塚はしみじみと願った。


 この世界に存在するからには、きっと理由がある。
 出会ったことには、きっと意味がある。
 だから、この先も失敗と挽回を、繰り返し繰り返し。




【仔犬と妖精 了】



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼、ありがとうございました。
カフェバーでの日常となりはじめた風景、ちょっとした一幕をお届けいたします。
どちらが仔犬で、どちらが妖精かというと。
どちらも仔犬で、どちらも妖精かもしれません。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
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2019年11月22日

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