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『女神人魚 再び』
スノーフィア・スターフィルド8909

「よりによって、ですか?」
 エレメントたちの雇用主であるスノーフィア・スターフィルド(8909)は、それはもうげんなりと加工物を指差したわけだ。
 なぜなら、ふんすふんすと胸を張る親方たち――彼女に雇用され、錬金反応路で働くエレメントたちのまとめ役。火、水、風、土、それぞれから選出された1体である――の前に置かれたものが全身タイツだったから。
 いや、ただの全身タイツならいい。脚の部分が分かれておらず、どう見ても足先がヒレになっているのはつまり、そういうことじゃないか。
 スノーフィアの暗い顔に、親方たちがわなないた。だって気を利かせたつもりだったのだ。以前、雇用主は海の底に捕らわれて大変な思いをしていたから、今度はそうならないようにしてあげたいと。
「いえ、お気づかいはありがたいんですよ? ただ、あれはもう、思い出したくない過去といいますか」
 バスタブが『英雄幻想戦記5』の“学校の怪談”イベントで使われた海と繋がってしまった事件は、スノーフィアにとって実に辛い思い出だった。飲み友だちの怪奇系探偵の助けがなければ、今もあの深海へ捕らわれたままだったかもしれない。
 なので、スノーフィアのげんなり顔は当然のものだったのだが、雇用主が喜ぶことを確信していたエレメントたちにとってはそうじゃなかった。
 やっちまったのか? やらかしちまったのか? 炉を預かる親方なのに、期待を裏切っちまったのか!?
 顔を見合わせた親方たちは、ざっと横に並んで正座し、一斉に脇差的な刃物を腹(?)へあてがって――
「あーSEKININはいいですから! そうですよね! 私だって過去の傷は乗り越えていかなくちゃいけませんよね! ナイスアイテムです! すぐ試さないと!」
 親方たちをあわてて止めて、スノーフィアは全身タイツを手に取った。
 銀にも金にも見える、この世のものならざる金属糸をもって織り上げられたそれは、まだ身につけていないというのに強力な魔力を放っている。
 ああ、腕によりをかけちゃったんですねー。こんなもの着ちゃったら、それはもうなにかアレなことが起きますよねー。できれば見なかったことにして、クローゼットへしまっちゃいたいですねー。あーもー、今すぐお酒飲んで寝ちゃいたいですねー。
 どうにもならないことを考えながら、スノーフィアはタイツの内へ体を通していく。素材が金属だけに肌触りは悪く、皮をこそげ取られるようなひりついた痛みが全身を駆け巡るが……ちょっと待ってください! ほんとに私、こそげ取られてませんか!?
 ただし、こそげ取られているのは皮ならず、スノーフィアという存在すのものだ。親方たちが無駄に発揮した錬金の秘術により、置き換わっていく。スノーフィアの体が、全身タイツに記録された“あるべき姿”へ。

 びりびりとした激痛がようやく引いた後、スノーフィアは気づいた。
 息ができません!
 本能に突き上げられるままバスルームへ向かうが、こんな“異世界”では満足に動けない。苦しい苦しい苦しい!
 やっとのことでたどりついたバスタブは当然、空。急いで魔法を発動し、バスタブをそれで満たした彼女は一気にその身を躍らせた。
 なんの意外性もなく、人魚になってますね、私。
 思いながらも、首筋のエラに呼び出した海水をくぐらせて酸素を取り込み、ようやくひと息つく。不思議なもので、呼吸はエラで行っているはずなのに鼻はちゃんとあり、呼気はそこから吐き出されていた。
 それにしても困りました。
 海水の内でなければ呼吸ができないので、ここから動くことができない。しかも人魚としての衝動があることをスノーフィアへ強要しようとしていて、それがまたどうにもならないことだったりなんだり。
 私、美しい歌を歌って船を沈めたいのですがっ!
 人魚の歌は人が乗る船を魅了して誘い、そのまま海底へと沈めてしまう。もちろんこれは本物の人魚の性というものではなく、“怪談”で語られているだけのものだ。『英雄幻想戦記』を元に生まれたスノーフィアだからこそ与えられた性なのだろう。
 しかし、真実に思い至ったところで彼女にはどうすることもできず、歌って沈めたい欲はいや増すばかりで。
『船を持ってきてください! あと、魅了できる誰かを!』
 人魚語で親方たちに無茶振りをすると、彼らはなにやら甲高く相談し、そして。

『私の歌はうーつーくーしーいー♪』
 美しいか美しくないかはともあれ、スノーフィアの歌に引き寄せられた水のエレメントが、土のエレメント謹製の泥船に乗ったままずぶずぶバスタブに沈んでいく。
 泥船ならいくらでも作れるし、水のエレメントならバスタブの底に沈んでも滅んだりしない。完璧な作戦だと、スノーフィアも思ったものだが。
『息が!!』
 限られた量しかない海水に泥が混ざれば、当然濁る。そこへ魅了された水のエレメントが泥船でバスタブに漕ぎ出し、沈み続けているのだ。
『次の方は待機してくださいー♪ って、これも歌になってますね!? ちょ、待っ』
 すでに魅了されたエレメントたちが待つことはなく、魅了されないよう親方や他のエレメントたちは耳を塞いでいたので異常事態に気づくものもなく、スノーフィアはひっそりと死にかけたりしたんだった。

 なんとか一命を取り留めたスノーフィアは、退屈のただ中でため息をつく。
 バスタブを海に繋いでしまえば、本能のまま深海を目ざして戻って来られなくなるだろう。だから狭苦しいバスタブに嵌まっているよりなかったし、浸透圧等々がどう作用するか知れないので、酒も飲めやしない。
『生きづらいですね、人魚』
 ぼやきながら、スノーフィアはバスタブの横に置かれた洗面器の内へ糸を垂らした。
 この洗面器は魔法によって深海と直結していて、糸の先にはルアー代わりの火のエレメントが縛りつけられ、風のエレメントが張った結界の内で光を放って魚を引き寄せている。
『あ、釣れました』
 とれとれぴちぴちのグロテスクな深海魚を、親方から借りた脇差でさばいてぱくり。さすが人魚に最適な食物、ぬるっと美味である。
 おいしいんですけど、グロテスクです……。
 多くを望まなければ、このまま生きていくことは可能だろう。しかし、誰も魅了できず、船も沈められないのでは生きている意味がないし、酒が飲めないのは死ぬより辛い。
 どうにかして元に戻らないと……
 前に人魚化したとき同様、女神パワーは使えなかった。そして今回は、倒すべき海の魔女がいない。
 となれば、あれしかないですよね。

 親方たちがそれをスノーフィアへ差し出すまでに、3回の食事が必要とされた。
『うう、もうゲンギョは見たくないです』
 深海魚は目が大きいので普通に怖い。ゲンギョは小魚で、空腹が満たされるまで幾度となくその目を向き合う必要があったから、それはもう怖かったわけで――と、それはさておき。
 スノーフィアは錬金の秘術で生み出されたそれを呷る。人魚を主人公に据えた童話に語られる、「声を失う代わりに地上で生きられる足を得る薬」をだ。『英雄幻想戦記』も童話も同じ創作話、かならず効力はある。果たして。
「……!」
 音ならぬ歓喜の声をあげ、スノーフィアはバスタブから抜け出した。声は出ないが、体は元通り。船を沈めたい欲も誰かを魅了したい欲もない。ならば後のことは後でなんとかするとして、今はそう。
 お酒で乾杯です!!


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年11月26日

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