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『英雄と海』
ヰ鶴 文aa0626hero002)&ユエリャン・李aa0076hero002


「緊急事態であるからして――そう、来てはくれまいか? 少し遠いが」
 ユエリャン・李(aa0076hero002)からの電話は、唐突であった。
 少し早口で、呼吸が荒い。
 後ろには雑踏。車のクラクション。
 連絡を受けたヰ鶴 文(aa0626hero002)は、赤い瞳を伏せて「ああ」とか「うん」といった曖昧な音だけを返す。
「信じているよ」
 そうして一方的に、通話は切れた。


 十年経っても、変わらない。お互いに。




 泳ぐには、少しばかり季節が遅かった。

 綺麗な砂浜も今は遊泳禁止。手と手を繋いで波打ち際を歩く恋人たちの姿はいくつか。
 海を見下ろす立地にはリゾートホテルが並び、シーズンオフといえど観光客で賑わっている。
 電車とバスを乗り継いで小一時間ほどの場所に在る、ちょっとしたレジャースポット。

(いつものことだなぁ)
 連絡は住所だけを言い置いて途切れたが、検索で簡単に辿りつけた。
 文は銀髪を潮風に揺らしながら、こちらへ背を向けているユエリャンの後姿を眺める。
 毒のような、赤い髪。手入れされた長いそれは、最後の記憶から寸分も変わっていない。

 ――緊急事態だ、すぐに来てくれとにかくやばい
 ――きみはああ云わなければ出てこなかったろう?

 ユエリャンが文を食事へ誘った、初めての日を思い出す。
 あの日から、それがお約束であるかのごとくユエリャンは『緊急』を理由にする。
 文は真正面から受け止めて大慌てすることもなくなり、それなりに身なりを整え、時間に余裕をもって、待ち合わせ場所へ向かうようになった。

「……ユエって海、泳がなさそうだ。日焼けするし」
 ゆっくり歩み寄り始め、文は声を掛けた。
「美しい海であろう。遠からず近からず、この位置からこの季節に眺めるのが良いのだよ」
 驚く様子もなく、振り向かないまま赤髪の麗人が応じる。
「緊急事態と言ったであろう。ずいぶんとゆっくりだな」
「なーにが緊急事態だ」
 文はユエリャンのやや斜め後ろで立ち止まり、同じ海を眺めながら大げさに溜息をついてやる。
「……あんたはいつもそう。緊急じゃないってわかってる」
 緊急事態。今では、ある種の合言葉だ。
「久しぶりに会いたい、というのは緊急事態であろう?」
 低い岸壁へ腰かけていたユエリャンは立ち上がり、ようやく文と向き合った。
 真意の読めない銀の瞳が、カチリと文の姿をとらえる。それから意味ありげな笑顔を浮かべた。

 あれから十年。

 変わらないといえば変わらないし、変わったといえば変わっただろうか。




 流石に驚きもせんであろう。
 ユエリャンとて承知していたが、かつての初々しさを懐かしくも思う。
 少し早めに時間を伝え、予想通り予定通りの時間に文は姿を見せた。
 年下の友人はどこか危うげで、心の端で案じていた。
 うまくやれているだろうか。この世界で、やり過ごすことができているだろうか。
 『相変わらず』の姿に、ユエリャンが安堵したのも事実。
「さて、それでは行こうか。予約の時間ちょうどである」
「ほら見ろ」
 馬鹿正直に振り回されたりなんかしない。
 と、真面目に言葉を返す文に、ユエリャンは肩を揺らした。


 案内したのは、リゾートホテルの最上階。海を見下ろすバー。
 陽が傾き、美しいグラデーションが空から降り始めている頃。
 ユエリャンが姿を見せると、店員が恭しく2人を奥のカウンター席へ案内した。
 磨きあげられた木製のカウンターは年季が感じられる。
 良い雰囲気だ、と言うとはなしに文は感じた。
 今までユエリャンに連れてこられた店で、酷い場所などなかったけれど。
 逆に言えば、それ以外で『酷い店』を学んだとも言える。
「エインズワースを。……文は決まったかね?」
「……ピーチフィズ」
 わかっていて、聞いている。
 文が、この世界で初めて口にした酒。ユエリャンに連れてこられたバーで、お任せで作ってもらったもの。
 アルコールが強すぎず爽やかな飲み口のそれを、以降も彼は『始めの一杯』に選んでいた。
 ガラスの器に入ったナッツと、スクエアの皿に並んだチーズの盛り合わせがカウンターへ差し出される。
「…………ふうん」
 バーテンダーの所作は優雅で無駄がない。指の先まで神経を使っていることが伺える、丁寧な仕事だ。
 世界のあちこちで戦いがあって、命懸けの場面があって、そういう時にも彼らは最上の酒を出すことに腕を磨いていたのだろうか。
 ふと、文はそんなことを考えた。
 一朝一夕で身に着けられる技術ではなく、店ではなく。
 これが自分たちの守った『世界』の姿なのだと、妙に感慨深かった。

 カクテルグラスに、ベルガモットの香るエインズワース。
 コリンズグラスには、薄桃の底から透明へグラデーションのピーチフィズ。グラスの縁にはカールしたレモンの皮が香りづけに留まっている。

 同じカクテル名でも店によって提供の仕方や味に違いがあることを、文も知っていた。
「それでは、再会に」
「……乾杯はしない」
「ほう」
 グラスを持ち上げたユエリャンに対し、文はわずかながら不機嫌に見えた。
「『緊急事態』なんだろ?」
 やれやれ素直じゃない。
 互いにグラスを持ち上げるだけの乾杯を。
「さて。久しいな、文。最近はどうであるか?」
 エインズワースは、ドライ・ジンとドライ・ベルガモットの組み合わせ。シンプルであり、なかなかの辛口だ。
 グラスに唇をつけ香りを楽しんで、ユエリャンが『緊急』たる案件を話題にした。
「最近、って言っても……。そうだな、写真をよく撮られる」
「写真?」
 文は今もエージェントの仕事を続けている。
 それ自体に変化はないが、数年前、街中で声を掛けられたことは一つの転機だったかもしれない。
「……僕なんか撮って何が楽しいのかわからないけど、あとでお金が貰えるから、小遣い稼ぎにはいいかなって」
「……」
 じゅうねんたってもかわってない。
 ユエリャンが、信じられないモノを見るような顔をしたのは一瞬。
「少々、失礼を」
 マナー違反を詫び、スマートフォンを取りだす。
(これは見せるわけにはいかない)
 そして手荷物へすぐに戻す。

 『ヰ鶴 文』で検索を掛けたところ、雑誌モデルであること・SNSで密やかな人気が出ていることがすぐにわかった。

「文はモデルをしていたのか。それはすごいな……いや、案外向いていそうか」
「モデ……ル?」
 やはり、当人に自覚はなかったらしい。
 ユエリャンはSNSのことを伏せ、幾つかの質問をして「それをモデルというのだよ」と伝えてやる。
「そうだったのか……」
「良い仕事と思う。次の一杯は奢ろう。良く生きている褒美である」
 言われて、文は互いのグラスが空になっていたことに気づいた。

 2人へ揃いで出されたカクテルの名は、エル・ディアブロ。
 悪魔の名を冠する赤い飲み物。

 身構える文に、ユエリャンは悪戯っぽく笑う。
「なにも取って食いやしないである、安心して飲むが良い」
 青年は香りを確認し、恐る恐る唇をつける。
 癖の強いテキーラベースだが、カシスやレモン、ジンジャーエールの炭酸で飲みやすく仕上がっている。
「へえ……」
 甘いピーチフィズから、さっぱりとした酸味へと。チーズとの相性もいい。
「……そういうあんたは? そっちも、色々とあるんじゃないの」
「ふふ」
 文から問われることが嬉しくて、つい笑いが零れる。
「我輩の生活は今もあまり変わらぬな。AGWの研究を手伝いながら、必要とあらば戦場へ出ることもある」
 研究というからには、製造にも携わっているのだろうか。
 『万死の母』は、どこまでも『母』ということか。枷か業か、どこまでも己の意思で選び続ける道か。
「あんたらしい」
 そっけないが突き放すでもない声に、ユエリャンは目を細める。
「今も皆、ばたばたと賑やかに過ごしているよ。……そうだ」
 相変わらず、なんて言葉で片付けてはいけないとっておきの報告もある。
「おチビちゃんが結婚したのだよ。我輩の見たところ、遠くなく母になるのではないかな」
「……。…………え!?」
 結婚。あの少女が。
 文の記憶では、10歳辺りで止まっている。
「そういう歳か……そうか、そうだな……不思議じゃない」
 大人にも子供にも、英雄にも人間にも、等しく時は流れているのだ。
 外観が変わらなくても内面は変化していたり、時相応にどちらも変化していたり。
「見るかい?」
 ユエリャンは、成長した少女の姿を見せようと、スマートフォンを取りだし――
「あ」
「あ」

 SNSの検索結果画面がそのままであった。

「今までの写真、燃やしてくる」
「まぁまぁまぁ。落ち着きたまえ」
 今から行って、何がどう変わるわけでなし。
 表情が消え、スッと席を立った文の袖をユエリャンが掴む。
「走ると酔いの回りが早くなる。酔っ払いが出版社へ駆けこんだところで、門前払いが関の山であろう?」
 そういう問題でもないが、イメージしやすい光景を与えることで、文は納得したようだ。無言でチェアに座りなおす。キシ、と不貞腐れたような音が鳴る。
「雑誌モデルと言うならば、契約書があるはずだ。きちんと確認したまえ。決して悪いことはないと思うがね」
 文が掲載されている雑誌・出版社が善良であることも、検索時にユエリャンは把握していた。だから、穏やかに彼の背を押せるのだ。
 タイミングを見て、続いて生ハムのピッツァがカウンターへ置かれる。
「……美味い」
 炭酸で程よく刺激された胃袋に、肉の旨味が沁みてくる。

 自分を中心に見ると、大きな変化はないように感じたけれど。
 少しだけ輪を広げれば世界は何と目まぐるしいことか。
「そういえば――……」
 ぽつり、ぽつり。
 他愛ないと思っていたこと。
 少し驚いたこと。
 友人知人の伝手で聞いたこと。
 互いに、ゆっくりゆっくりと語り合った。時間の許す限り。




 夜の帳が下りて、海に月の光が映っている。穏やかな波。明るい夜。
「君も良い飲み方を覚えたなぁ」
「……うん?」
 時折り水を挟み、程よく食べ物を入れながら、文はカクテルをオーダーしている。自身の体に合う、アルコールを楽しんでいる。
 酔いつぶれも悪酔いもしない姿に、ユエリャンは時の積み重ねを感じていた。
 もともと酒の強いユエリャンにとって通ることのなかった道だが、飲み方を学習しない者の存在はいくつか覚えがある。
 文はモデル業を把握していなかったようだが、それなりの人付き合いはあったのだろうと察する。
(しっかり、世界に馴染み初めているな……)
 親心のような安堵と、学習中の失敗を見ることができなかった残念感とが去来する。
「……必要な、事だから」
 カラン、と文の手にするグラスで氷が鳴った。
「あんたの、緊急事態に……いつでも駆けつけないと、いけないだろ」
 緊急なんだから。
「……もっとも、ここしばらくはご無沙汰だったけど」
「文……、君は…………」
(酔っているね?)
 アルコールと一緒に言葉を飲み込んで、ユエリャンは友人の横顔を凝視した。
 酔っている。確信に変わる。
「……ふ」
 まるで少年のような表情に、結局は声を出して笑ってしまう。
「緊急事態が起こるのは、我輩だけでは無かろう」
「……?」
「文。君に緊急事態が起きたなら、迷わず連絡してくれて良いのだよ?」
「……、…………だ、れが」
「ふふふふふ」
 自分が口走った言葉の意味を理解し、ユエリャンの言葉も理解し。
 酒のせいではなく、文の顔が一気に赤くなる。
「さ、デザートの時間である。バニラアイス、好きであろう?」
「……」
 熱くなった顔面を冷やすには、ちょうどいいタイミングか。
「……あっという間だな」
「あっという間であるな」
 楽しい時間というのは。気が付くと終わりがやってくる。

「しかしだ。これが最後ではないよ。我輩たちが生きている限り、季節は移ろい変化は生まれる。死したとしても、撒いた種が花を咲かせることであろう」
「……詩人みたいなことを」



 この世界は、終わらない。
 自分たちが生き続ける限り。
 自分たちの残した種が、花を咲かせる限り。
 季節は巡り、命は生まれる。
「機嫌が直ったのなら、今日という緊急事態に乾杯を」
 ユエリャンは話をスタート地点へ戻し、バニラアイスとウエハースの乗ったグラスを手にした。
 呆れた表情で、今度は文も付き合う。

 カクテルグラスよりは少しだけ鈍い、乾杯の音が小さく響いた。




【英雄と海 了】

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご依頼、ありがとうございました!
10年後。再会のエピソードをお届けいたします。
泳がぬ季節の海を見下ろし、時の流れと語らいを。終わらぬ世界の話を。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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2019年11月27日

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