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『末路の種子』
白鳥・瑞科8402

 白鳥・瑞科(8402)。人の世を護る“教会”、その盾であり、刃である武装審問官――その内でもっとも硬く、鋭きもの。平たく言うならば最強だ。
 かつて武装審問官だった彼はその艶麗たる背を見上げるどころか、影すら拝むことかなわぬ凡俗だった。そう、自らの魂をすげ替え、魔と成り仰せる術を見いだすまでは。
 魔へ堕ちることにためらいはなかった。密かに恋い焦がれていた瑞科へこの手を届かせるには、それしかなかったのだから。
「闇底へ堕ち、魔と成り果てたあなたを灰塵へと還してさしあげに参りましたわ」
 瑞科は赤い口の端を上げたまま、左に佩いた剣を抜き放つ。
 幾度となく夢に見た時が、ここに始まるのだ。

 瑞科の左手から撒かれた重力弾が、彼の周囲へこぼれ落ちる。
 わかっているよ、君の手は。しかし、ここはすでに私の“舞台”なのだ。
 張り巡らせた魔力の網が、地へと身を据えようとしていた弾を絡め取る。重力の結界陣で敵の動きを封じるのは瑞科の常套だ。おとなしく封じられてやるつもりはない。
 続けて投げ打たれた雷を盾でいなし、身構えると……予想通り、瑞科は彼の眼前にあった。
 盾をロングブーツに鎧われた膝で打ち上げた瑞科が、その勢いをもって反転。体勢を崩した彼の鳩尾へ剣を突き込んだ。
 だから、わかっているんだよ。
 彼は胸に生じさせた“口”でその切っ先を噛み止め、自らの指先を溶かして剣身へなすりつける。それは万物を穢す生きた毒だ。たとえ司祭どもの祝福が練り込まれた聖剣であれ、傷つかずにはいられない。
「わたくしのこと、よくご存じなのですわね」
 瑞科が笑みを傾げた瞬間、穢された剣身を雷が洗い、切っ先へまで突き抜ける。
 彼は胸の内へ電撃をねじ込まれる寸前、くわえこんでいた刃を放して跳びすさるが、唇を灼かれた痛みばかりは振りほどけなかった。
 振り抜いた剣から剣閃を飛ばして瑞科を追い払い、彼は顰んだ眉根を解いた。
 十二分に知っているつもりだったが、思い上がりだったようだ。
「ご謙遜より、それだけの傷で逃げおおせられた理由をお訊きできますかしら?」
 かすかに黒ずんだ剣を構えなおした瑞科が、歌うように問う。
 彼に奇襲を読まれていたわけではない。いや、読んでいたのだとしても、瑞科は先の膝蹴りで彼の体勢を縫い止めていたから、あのタイミングで動けるはずがないのだ。だから、咄嗟に逃げたということもありえない。
 追々に知れるよ。知れたときには終わっているだろうが。
「なら、楽しみに待ちますわ」
 笑みを翻し、瑞科は跳んだ。
 この場に張られた彼の魔力網の隙を正確に踏み、重力弾をひとつずつ撃っては足がかりとして次の隙へ、次の隙へ、次の隙へ。
 闇雲に剣を振り回し、瑞科を追う彼は、彼女の艶姿に見惚れてしまう。
 豊麗なボディラインをなぞる修道服は、彼女に滅される者への最期の手向けだと云うが、確かにそれを眼に焼きつけて逝けるのは魅力的だ。しかしそれ以上に、あの肢体を蹂躙したいという欲を掻き立てられずにいられなかった。なるほど、欲に我を忘れて突き動かされたあげく無様に屠られるが、あの女の敵に与えられしさだめというわけか。
 この力なくば、私も同じ轍を踏んだことだろうが――この力あればこそ、無様なる敗北は華麗なる勝利へと羽化する。
 一方、魔力網の隙を自らの重力弾で埋め尽くした瑞科は、一気にその力を爆ぜさせた。外ではなく、内へ。網を弾くのではなく、吸い取るために。
「踏み場がなければ踊れませんものね?」
 網の失われた場へ降り立った瑞科へ、彼は笑みかけた。ああ、もうそれはいらない。君のための網は、断った今張り終えたから。
 と。立ち止まった彼は自らの剣をかざし、ここまで編み上げてきた“網”を顕わした。
「あら」
 瑞科が唐突に跳び退く。次いで上体を倒し、滑り込み、上へ跳ね、地へ手をついて側転して……まるでなにかから逃げるように、いや、実際に逃げているのだ。次々と顕われる、彼の剣閃から。
 彼が得た力は“時間操作”。もちろん世界に及ぼせるほどのものではない。あくまでも自身と、自身の行動に限られる。しかしそれは、自らを絶体絶命から逃がし、あるいは飛ばした剣閃を押しとどめ、一気に解放することもできる。
 闇雲に振り回していた剣はこの“網”を為すがため。瑞科は思惑通りに踊り、程なく斬り裂かれるわけだ。
「たとえ万の剣閃がこの場に満ちていたとしても、意味はありませんわね」
 どこか裏切られた顔をして、瑞科がつぶやいた。
 からくりに気づくことなく追い詰められていながら、いったいなにを!? 苛立つ彼だったが、同時に疑問を覚えずにいられない。
 なせ、未だにあの女は無事を保っている!?
「あなたの剣閃が、飛ばした順に顕現している以上は」
 すでに瑞科は跳んでも駆けてもいない。それこそ踊るように足を繰り、優美に彼へと近づいてくるばかりで。
「あなたの力は加速かと思っていたのですけれど、どうでもいいことですわね」
 まさか、私の剣筋のすべてを記憶しているというのか!? 彼の問いすらもどうでもいいことなのだろう。瑞科は応えず、彼の剣を払い退けたと同時、重力弾をその足元へ撃ち込んだ。彼の力がなんであれ、読ませなければいいだけのことだし、縫い止めてしまえばこれ以上動きようもない。
「あなたの手はすべて見せていただきましたかしら? ならば、わたくしの番ですわね」
 それでも彼は抗った。剣と盾、魔法を尽くし、すべてを打ち退けられ、斬り払われ、がら空きとなった胸へ、瑞科が抜き打ったナイフを突き立てられて押し倒されるまで。
 地へ倒れ込んだ彼を見下ろし、瑞科は麗しい笑みを見せる。
「その魂にわたくしを刻みつけ、お逝きなさい」
 眉間へ突き立てたブーツのヒールをかるく捻り込めば、内に収められた聖杭が射出されて彼を穿ち――穢れた魂を霧散させた。

 かくて魔を討ち滅ぼした瑞科は戦場を後にする。
 彼女が求めるものは戦いであり、敵だ。それらを喪った場に欠片ほどの興味もなかった。
 次こそは出逢えるのでしょうか。わたくしの魂を震わせ、奮わせてくれる強敵に。
 願いながらも、きっとそれが果たされることはないのだろうとも思う。幾多の敵を討ってきたが、彼女を傷つけるどころかその髪先へ触れられた者すらいはしないのだから。
「?」
 ふと瑞科が面を傾げ、視線を横へ流す。
 頭を覆うヴェールの端が斬られていた。
 今、自分が無意識に回避したのだと思い至り、これが彼の遺した最後の剣閃であったことに気づく。
 彼の岸でお喜びになられていますかしら? ヴェールの端とはいえ、わたくしに追いつけましたこと。
 果たして艶やかな苦笑をこぼしたが……瑞科自身も気づいてはいない。置き去ってきたはずのものに追いすがられたという事実へのとまどいに。
 敵の攻めをあえて切り抜けてみせる姿勢も、強敵を求めるその心も、結局はよりスリリングな勝利を味わいたい彼女の欲が生み出した産物。言い換えてみれば、敗北に追いつかれたことがないからこその慢心だ。
 そして慢心こそは、無敗の英雄の足を滑らせ、頂から滑落させるきっかけ……名もなき雑草となりうるもの。
 彼女の足に慢心が絡みつくときがくるものかは知れないが、植えられた種はいずれかならず芽吹く。
 それに気づかず、彼女が常の通りに戦場へ在り続けるならば、あるいは――


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年11月28日

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