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『メロドラマ 〜あなたが欲しい〜』
日暮 さくらla2809)&不知火 仙火la2785

 深夜の剣術道場。
 空にはか細い上弦月が浮かんではいたが、灯のない道場を照らしてくれるほどのものではありえない。だから。
「ふっ」
 日暮 さくら(la2809)は、眼前で爆ぜる“息”へ木刀を振り下ろした。
「っ!」
 押し詰まった悲鳴と木刀から返る手応え。
 眉根を顰めたさくらは木刀を正眼に構えたまま一歩退き、声音を苛立たせる。
「私は気配を隠してなどいませんよ。見えなくても感じられるでしょう?」
 なのになぜ、受けもかわしもせず突っ立っているのですか――我慢して噛み殺した言葉をわざわざ察し、不知火 仙火(la2785)は応えた。
「おまえが早く幻滅してくれればって、つい思っちまってよ」
 闇の先で、仙火が打たれた肩をさすっている。さくらは鎖骨から心臓までを斬り下ろすよう剣閃を整えていた。つまり仙火は、それを読んで肩を出し、打たせたということだ。
 それができていながら、なぜ!?
 詰め寄ってしまいたくなる気持ちを抑えつけ、さくらは息を吸って吐く。「気を鎮めるには深呼吸を」とは剣術の師である父の教えで、忍術の師である母のアドバイスだったが、まるで効果が得られないのは自分が未熟だからなのだろう。
 弁えなさい、私。仙火がどうあれ、私をかき乱すものはすべて私です。
 暗闇であることがありがたい。これならば未熟に揺らぐ己を晒す心配はないからだ。仙火の腑抜けた面を見て、さらに心を乱すことも。
「で、まだやんのか?」
 無気力に申し訳なさを添えて差し出してくる仙火へ、先ほどよりも激しい苛立ちを覚えるさくら。しかし、瞬間的に加熱した怒気を吹き抜いて、耐える。
「……常のあなたは懸命です。その剣をただ私に見せてくれればいいだけの話でしょう」
 仙火はひたむきに剣の修行へ打ち込んでいる。その誠実さは好ましいものだったし、彼が見せる剣の冴えは、さくらの気持ちを掻き立たせるものだった。
 ふたりでなら、届くかもしれない。
 そう思えたからこそ、仙火の父であり、この道場の主の言葉を受け入れる気にもなれたのに――

 この世界でさくらは、父母の宿縁の敵方(あいかた)である主と出会った。
 相手の正体はすぐに知れた。なにせ主自身が、八重の娘かと問うてきたのだから。八重がさくらの父の象徴であることは聞いていたし、それを語った相手が誰かもまた、教えられていた。
 父母の宿縁、私が断つ。
 いつしか宿願となった決意を胸に、さくらは父母より受け継いだ守護刀「小烏丸」を抜き放った。
 このときのために、自分は剣の技と忍の業(わざ)とを磨いてきて、世界を渡ってまで来たのだ。
『いざ、尋常に勝負!』
 かくて高揚に突き上げられるまま、彼女は主へと挑んだのだが。
 おそろしい剣だった。構え、足捌き、剣閃、すべてが型破りでありながら、結果としてさくらは型通りに打たれ、突かれ、払われる。
 そして一合すら打ち合うことかなわぬまま叩きのめされた彼女は、主に申し渡されたのだ。
 再び剣を交えたければ、俺の息子と合力してかかってこい、蕾。

 わかっているのですか、あの“頂”に挑むのですよ? 未熟な蕾である私と、腑抜けたあなたのふたりきりで、本来なら届くはずのない高みへ。
 すでに再戦の時は決められている。それまでに、今よりわずかなりとも強くなっていなければならない。
 焦りを押し詰めた目で闇を透かしても、浮き上がる仙火の気配はあいかわらず冷めたままで。だからこそさくらはさらに焦り、心を乱してしまう。
「どうしてあなたは本気を出してくれないのですか」
 思わず口を突いてこぼれ落ちてしまった言葉。
 対して仙火は、そこにあるのだろうさくらの目から自らの目を外し、口の端を吊り上げた。
「俺にその価値がねぇからだ」
 価値がない? 私と向き合うだけの? あなたは――仙火はさくらに言わせることなく言葉を重ねる。
「思い出せよ、俺たちが顔合わせたときのこと。俺はどんな有様だった? あのときの俺よりは今の俺のほうがマシだろうけど、だからって変わったわけじゃねぇんだよ」
 ああそうだ。なにひとつ、変わっちゃいない。俺は今も弱いままだし、天才の息子ってだけの凡才なんだよ。

 ずっと父を追ってきた。
 剣に打ち込みさえすれば、いつかは見えるはずだと思い込んでがむしゃらに。きっかけこそ自分の身代わりとなった幼なじみへ償いたいからではあったが、シンプルなだけにその思いは強く、純粋で。だから彼は速やかに、健やかに成長していったわけなのだが……
 剣士としての格が上がったことで、見えてしまったのだ。天賦の才というものは、けして受け継がれるものではないのだと。
 それでも俺はあきらめたくない、その思いだけで剣を振り続けてきた。同時に母から忍の業と有り様を、祖父から剽げた余裕を学び、明るさを取り繕ってはいたが、心にはしる無数の亀裂が癒えることはなく……事件は起こった。
 母を攫われたあげく、自らも死を覚悟させられるほどの傷を負った仙火。そこへ颯爽と駆けつけた少女剣士こそがさくらだった。
 固さこそ目立てど、地道な鍛錬に支えられた技をもって仙火を窮地から救いあげた少女は、あろうことか誓約だのなんだの言い出して。腑抜け者だのなんだのとそしりながらも、こうして彼をかまい続けている。

 父さんの宿縁ってのは聞いた。おまえが両親の縁を引き継いだってのもだ。でもよ、父さんの縁は父さんだけのもんだし、俺はその父さんに引っついてるだけのおまけなんだから。
 いじけているのだということは自覚している。あの頂の剣に打ちのめされ、それでもなお逃げ出すことなく挑んでいけるさくらの強さに嫉妬していることも弁えていた。
 おまえも父さんもまぶし過ぎる。弱い俺じゃ、見上げることもできねぇんだよ。
「助太刀はする。それでいいだろ」
 なんとか言い置いて道場を出ようとした、そのとき。
「助太刀など要りません」
 ぎくり。肩が跳ね上がり、先にさくらの木刀で打たれた跡がずきりと痛んだ。いや、痛んだのは傷痕ではない。さくらに拒絶された、心だ。
 なんだよ、俺。まさかさくらに、すがっちまってんのか。
 元の世界へ還るまでの間、せめて失わずに済んだものを守り抜ければいい。そう思ってライセンサーになっただけの自分が、家族でも幼なじみでもない少女に。
「不知火 仙火」
 さくらが呼ばわった仙火の名が、闇に金色の軌跡を引く。もちろん幻であることはわかっていたが、仙火は思わず見惚れ、聞き惚れた。
 知らぬうちに振り向いていた彼を、さくらの次なる声音が揺らす。
「あなたの剣が欲しい」
 あなたが振るう、本当の本気の剣が。
 ぞくりぞくり。快さをまとった痛みが心を疼かせた。だめだ。すがるな。これ以上、あいつに関わったら俺は――
 どうなるってんだよ。
 すがっちまうか? 剣が欲しいって言われただけでこんなに喜んじまってる俺が、これ以上すがれねぇだろうがよ。って、やっぱり俺は、すがってんのか。
 自己嫌悪に突き上げられながら、それでも仙火はそれでいいと思い改めた。
 俺が弱いのは昨日今日始まったことじゃねぇ。言ってもらえんのはうれしいけど他をあたってくれって、笑って逃げちまえばいい。喜ばせてもらった礼だ。俺のメンツ潰すくらいなんでもねぇさ。
「……なぁ、剣を買ってくれんのはありがたいんだけどよ。俺はほんとに凡才で無価値な奴なんだ。父さん相手にできることなんてねぇんだって」
「思い違いもはなはだしいですね」
 さくらの気配が一歩分、近づく。暮れる日のやわらかな熱が、仙火の体を強ばらせ、心をほどく。
 やめろ。それ以上、来るな。これじゃ俺は……俺は。
「誰かの価値を決めるのは他人です。だからこそ、あなたの価値を決めるものはあなたではありえない」
仙火が退いただけ容赦なく詰め寄り、さくらは言い募る。
「見てきたのです、あなたの姿を。腑抜けているくせに剣を捨てることなく、その手に大事なものを抱え込んで、今度こそ守り抜こうとあがく無様を」
 そう、見てきたのだ。仙火の無力感と葛藤、それを引きずりながらも戦場へ向かう背を。腑抜けた心を隠せないのは負った傷が深いからだ。無様な有り様を繕えないのは、それほど必死にならなければ踏み出せないから。それをしてなお戦い続ける男が、無価値などであろうはずはない。
 あなたは明ける日。たとえ今は劣等感に苛まれ、打ちひしがれているのだとしても、日は昇るもの。私はあなたの内に在る光を信じます。いつか輝かずにいられないその魂を――こんなことは言いませんけれど。
 さくらは胸中で息をつき、あらためて言葉を継いだ。
「私の剣はまっすぐだと言われていました。それはつまり、型に嵌まった剣ということでしょう。でも、あなたの剣はちがいます。基礎はできているはずなのにどこかその太刀筋から外れていて、それが無二の技になっていて」
 とんだ買い被りだと思いながらも、仙火はふと考えてしまう。さくらの剣は綺麗だが、自分ならそうはしない、半拍ずらし、肩で峰を押し上げて――

 清と濁は表裏。清の鋭さは濁の鈍さを補い、濁の強かさは清の脆さを支える。どちらが欠けても剣は、誰かを生かす一条を成さぬものだ。

 ――それは唐突に思い出した、父の教え。
 俺は腐って濁りきった泥水みてぇなもんだ。でも、清いばっかりなさくらの剣の支えになら、なれるんじゃねぇか。
 それが大それた過信でないとしたら。
 この濁りに、わずかでも価値があるのだとしたら。
 だからこそさくらという少女に見出されたのだとしたら。
「俺の価値を決めるのは、さくらか」
 仙火は一歩を進む。さくらとの間合が一歩分、詰まる。
 さくらはそれを感じ、唇を引き結んだ。
 清と濁は表裏。あなたの父上の教えです。私の剣は清く、脆い。でも、濁っているからこそ強かなあなたの剣と併せられるなら、その鈍さを補うこともできるはず。
 ……いいえ、こんなものはただのごまかしですね。
 暗闇であることに、再び感謝した。仙火の顔が見えてしまったら、思わず言ってしまっていたかもしれないから。言ってはならない、言えはしないセリフを、あらん限りの熱を込めて。
 私が欲しいのは、もしかすれば濁の剣などではなくて――
 胸中で濁しておいて、さくらもまた一歩、間合を詰めた。
「私の価値を決めるのは仙火、あなたです」
 私はとうに決めている。あとはあなたが決めるだけです。
 互いの距離は一歩分。すでに剣の間合は失われていた。逃げることもいなすこともできぬ先で待つさくらに、仙火は低い声音を投げた。
「気がついたらすがりついちまってたってくらい、高く買ってる。俺の全部を払っていい価値がある剣士だ」
 剣士。そうですね。あなたが買ってくれたのは、私の剣。最上の答です。でも。
「では、せいぜい気と身を入れて稽古をしてください。剣を補うことはできても、あなたを守れる余裕はありませんから」
 言い置いて、さくらはするりと道場を出て行った。

 仙火は後を追わず、立ち尽くしたまま深いため息をつく。
 なんかイラついてたみてぇだけど、なんだよ、俺の全部じゃ足りなかったか?
 胸中でぼやいてみたが、なんとなく、気づいてはいた。さくらは俺って男を高く買ってくれたのに、俺はさくらの剣を買っちまった。そこが引っかかったってことだよな。
 これまで幾度か女子ともお付き合いをしてきたが、いつも彼女らは仙火にとってはわけのわからない理由を突きつけ、離れていった。このあたりは多分に幼なじみのせいとも言えるのだが、ともあれ。
 でも言えるはずねぇだろ。俺の全部を払うからおまえが欲しい、なんてよ。
 誓約とやらを結んだ仲とはいえ、けして三世の契りを結んだわけではない。必要以上に縛りつけたくも、勘違いでやらかしたくもなかった。来る者は基本拒まずの仙火だが、だからこそ線引きだけはしっかりとしておかなければと、思い定めているのだ。
 ってか、俺の全部を払ったら売られてくれんのか、さくらは。
 もし彼女がうなずいたなら、仙火は買ってしまうのだろうか。
「わかんねぇよ、そんな“たられば”はよ」
 意思に逆らい、勝手に答えようとする自我へ歯止めをかけて、仙火は木刀を正眼に構えなおす。
 やると約束したからには、やらなければならない。
 雑念に靄めく己の心を断ち斬るように、仙火は木刀を鋭く振り下ろした。


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2019年12月02日

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