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『非日常ドレスアップ』
松本・太一8504

 胸が揺れる。
 これはもう仕方がない、と松本太一(8504)は思う事にしている。
「だ、だって揺れちゃうんですから……」
 身を捻る。
 艶やかな黒髪がさらりと弧を描き、凹凸のくっきりとしたボディラインが柔らかく捻転し、やや育ち過ぎの果実を思わせる胸が横殴りに大揺れする。
 その近くを、人魂のような光球が高速で通過して行く。
 こうして、少し大きめの回避行動を取るだけで揺れてしまう胸。最初は、自分でも気になって仕方がなかった。今も慣れたとは言い難いところがある。
 サラリーマン松本太一48歳から、うら若き『夜宵の魔女』にこうして変身すると、どうしてもこの体型になってしまう。情報改変能力は自分自身に対しては何故か無効で、スリーサイズのひとつも変えられはしない。
揺れてしまうものは、仕方がないのだ。
 自分が『夜宵の魔女』として戦わねばならない敵たちの中には、しかしそれすら許さないという者がいる。
「ねえ気付いていないんですか。貴女はね、存在そのものがセクシャルハラスメントなんですよ」
 よくわからぬ姿形をした敵であった。おぞましい肉塊のような全身各所が、常にぐねぐねと蠢いている。
「何なんですか、その格好は。外を出歩くのに、そんな格好をする理由があるんですか。男性に注目される、男性に媚びる、以外の理由があるんですか」
 そんな言葉と共に、蠢く全身から無数の光球が乱射される。
 人魂のような光球。この怪物の、憎悪の念の塊だ。
 それらを、ことごとく回避しながら太一は、
「知りません! しょうがないじゃないですか、変身すると自動的にこれ系のコスチュームになっちゃうんですからあああっ!」
 胸を、揺らし続けた。
 肌の露出がない裸。太一は今、そんな装いである。紫系統の薄い戦闘服が、全身にピッタリと密着して、豊麗な曲線をごまかしなく際立たせている。
 それが、この敵は許せないようであった。
「公の場で、そんなに胸を強調する必要があるんですか。貴女の胸を見て嫌な気分になる人も大勢いるんですよ。配慮が必要だと思わないんですか」
 光球の乱射が、激しさを増す。
 綺麗にくびれた胴を捻り、むっちりと形良い太股を若干はしたなく躍動させ、ひたすらに光球の嵐を回避しながら、太一は途方に暮れた。
「どうしましょう……この人が何を言っているのか私、全然わかりません」
『安心なさい。私もよ』
 太一の中で、1人の女性が会話に応じた。
 平凡な熟年サラリーマンを『夜宵の魔女』たらしめている存在。悪魔族の女性、であるらしいが詳しい事を太一は知らない。知ってはならない、という気もする。
『でもまあ、意味不明な事を喚きながら襲って来る敵なんて珍しくもなし。さっさと黙らせてしまいなさい』
「だけど何か、相手してあげなきゃいけないような気がしませんか。それに、戦う前にはとりあえず口論して論破するのがお約束と言いますか」
『ふふふ、論破。それはね、この宇宙で最も無意味な行いよ』
「……ですね」
 胸と尻と太股を誇示するが如き回避を行いながら、太一は片手を舞わせ、綺麗な指先で空中に情報を書き込んだ。
「ああもう、私だって恥ずかしいですよこの格好! そりゃ動きやすくて快適だし、銃撃も斬撃も攻撃魔法もレーザーや荷電粒子ビームも宇宙怪獣のぶちかましも防いでくれる最強装備ですけど、羞恥心は防いでくれないわけで……ま、言ったって意味ないですね。まさしくそう、論破は時間の無駄なんです」
 会社勤めを続けながら、太一が肝に銘じている事が1つある。
「取引先の人をね、論破するつもりで営業やったら……絶対、失敗しますから。まあ、これは営業じゃなく戦闘ですけど」
 書き込まれた情報が、様々な兵器として実体化を遂げた。
 光子魚雷。テラボルトレーザーキャノン。重金属粒子ビームランチャー。魔力砲。ブラックホール射出装置。
「何であれ……論破するのが目的になっちゃ、駄目ですよね……」
 それらが一斉に、火を噴いた。
 意味不明な事を、なおもぶつぶつと口走りながら、怪物は跡形もなく消滅した。


 羽化の、逆である。
 きらびやかな蝶が、時を巻き戻されて地味な蛹に、みすぼらしい毛虫や芋虫に変わってしまうかの如く。
 艶めいた衣装の似合った夜宵の魔女は、平凡なスーツの似合った熟年サラリーマンに変わっていた。あるいは、戻っていた。
「今更、言う事でもありませんが」
 周囲の通行人に聞かれぬよう声を潜めて、太一は不可視の相手と会話をした。
「こちらが私・松本太一の、本来の姿ですからね」
『ふふっ。揺るぎない日常があるからこそ、非日常が際立つと。それを楽しむ事も出来る、と』
 戦いが終わり、時の流れも正常に戻った。
 人々の行き交う、昼間の路上である。外回りの途中で、太一は襲撃を受けたのだ。
「私が……あの非日常を、楽しんでいると?」
『そう見えるわ』
 太一は、言葉で否定はしなかった。
 少なくとも、この女性は楽しんでいる。
 あの夜会の面々も、どこからか覗き見観戦をしながら楽しんでいる事であろう。
「……まったく。人が、恥ずかしくて死にそうな思いをしている時に」
『まだ恥ずかしいの? あの格好』
「あれだけではありませんけどね。今までさせられてきた、あんな格好こんな格好……恥ずかしがらなくなったら、おしまいだという気がします」
『わかっているじゃないの。そう、恥じらいとは即ち自制。世界を幾度も滅ぼし作り直す力を持った貴女が、恥じらう心をなくしてしまったらね……宇宙が、終わるわ』
「なるほど。羞恥心がストッパーとなっているからこそ、夜宵の魔女は邪悪な破壊者にならずにいられる。貴女は、そうおっしゃるのですね」
 太一は言った。
「あれらの格好は、全てストッパーであると……もちろん建前ですよね? 建前は、とても大切なものですからね。会社勤めをしていると、それがよくわかります」
 語りに入りかけた太一を、通行人の1人がちらりと見やる。
 咳払いをしながら、太一は足を速めた。
「……揺るぎないはずの私の日常まで、非日常に揺さぶられているような気がしますよ」
『なかなか、ほのぼの日常系とはいかないものねえ』
「おかげ様をもちまして」
 太一は腕時計を見た。
 もう1軒、得意先を回る時間はありそうだ。
 自分は今、日常の中にいる、と太一は思う。
「あの格好も、あれら格好も……非日常の象徴、と思う事にしますよ」


東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年12月04日

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