▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『花と獣2』
海原・みなも1252

「足の負担が大きそうね。肉球で衝撃を吸収させましょう」
 生徒さんの一言で、あたし(海原みなも・1252)の手足に肉球が付けられることになった。
 飼い猫のような柔らかいものではなくて、黒くて硬い。荒れた地を駆けるのに適したものだ。
 爪もつけることになった。黒い鉤爪。木に登れる獣の爪。でも、天井に向けると少し光を通す、シースルーのドレスのような艶めかしい黒の爪。あたしの身体を守る防具でもあり、武器でもある。
 四つ這いになって歩いてみると、確かに膝が楽だし、踵に感じていた衝撃がなくなっていた。
 
「どう?」
「はい、素敵です……」
 鏡を見せられて、あたしは目線を下げた。
 鏡には少女の顔をしているのに、四つ這いの獣になっている自分が映っていて。
 あたしが鏡をまっすぐ見つめると、向こうもじっとあたしを見ている。
 それが凄く、恥ずかしかった。
「恥ずかしいならいっそ顔も別人にしたらどうかしら。お化粧をしてみましょうか? ほら」
 生徒さんが見せてくれたのは、付けまつげだった。黒色のボリュームがあるタイプのもので、目尻側のまつげの先に紫色の宝石が付いていた。
「綺麗! 紫のアジサイみたいな色ですね」
「アメジストなの。……特別な日になるわよ」
 密やかに目元を彩る宝石。
 まるで戴冠式の女王の気分だった。最も高貴で美しい装飾品のような気がしたから。

 中学生のあたしにとって、お化粧は大人の女性の象徴で、憧れる対象だった。
 最初にざっくりとイメージを決めるために、いくつものアイシャドウがテーブルに並べられていた。まつげのアメジストが目立つよう、ブラウンのアイシャドウを選ぶことになった。
 下瞼には同じブラウンと、目尻のあたりに薄付けの赤を。
 アイラインは自然なブラウンではなく、黒ではっきりと。
 チークと口紅はブラウン系。
 眉毛は少し整えて、色は変えずに、凛々しくするため少し描いてもらうことになった。
 大体が決まったところで――。
 ファンデーションの上に光を乗せて、影を入れていく。顔にメリハリをつけて、西洋風の顔立ちに。
 光……ハイライトのパウダーにはラメが入っていた。おでこから鼻へふんわりとブラシで乗せると、鏡に映る自分の顔に細かなラメが控えめに光るのが見えた。鼻の周辺にシャドウを入れると、さっきより鼻が高く見える。
「絵みたいですね。影を入れるとより立体的に見えます」
「ふふっ。面白いわよね。フェイスラインにも濃い色を乗せていくの。シェーディングって言ってね、小顔に見えるメイクなのよ」
 ポーチから覗く様々なメイク道具も、あたしには初めて見るものばかり。白いパウダーが入った容器は宝石箱みたいに上品なものだった。
「見ているだけでワクワクしちゃいます! これは何の効果ですか?」
「お化粧を崩れにくくしてくれるの」
「そういうのもあるんですね! 凄いです……」
 ブラシも色んな大きさのものがいくつもあった。素材が違うものもあるらしい。
 生徒さんは絵描きみたいだ。あたしは描かれる絵。
(知らないことばかり……)
 例えば唇。口紅を塗れば終わりな訳ではなくて、まず唇の輪郭をペンシルで描くことに驚いた。こんなものがあるのも知らなかった。
(学校の友達も知らないのかなあ)
 眉と目の間の距離、眉と眉の距離、目と目の距離も重要で、それで大人顔にも童顔にも見えるらしい。今日は少し距離を狭めるように色を入れて、少し大人っぽくしてもらった。
 生徒さんがデジカメで撮影した写真を見せてくれた。
 そこには、いつもより大人びたあたしがいた。憧れの高校生に見える。
 伏し目がちになると、アジサイ色のアメジストがパラソルのようにあたしの瞳を彩っていた。ブラウンの上品な瞼に、薄い赤が華を添えていた。正面から見るよりグッと大人に見えて、二十歳のように艶めかしかった。
 それでいて、あたしは四つ這いで、尾を掲げると棘の花が大きく開いた。黒く透けた鉤爪が空気を裂いた。美しい獣だった。
「みなもちゃん、車に乗って。収穫祭に行きましょう」
「収穫祭って作物の……? どこへ……」
「秘密の場所よ。果実が無事実ったお祝いに行くの」


 広いパーティー会場だった。
 照明は暗めに設定されていて、人がふんわりと浮かび上がって見える。
 ドレスを着た女性と、スーツの男性。それから。
(あたし、こんな格好で大丈夫なのかな……)
 周囲と自分の違いが気になって、唇から尖った牙が零れることにも躊躇してしまう。
 ペタペタと肉球が床に吸い付く音。感触。
 床と擦れてカツンと無機質に音を立てる鉤爪。
 小さく畳まれたコウモリの羽。
 空色の花のような髪、宝石を揺らしたお化粧、ずんぐりした赤土色の肉体に、毒針の花を咲かせた尾……。
 今のあたしは人からどう見えているだろう。
 ――と。
「…………!」
 ハッとして、前足を少し後ろへ引っ込めた。奥から狼の姿が見えたからだ。
「大丈夫、特殊メイクだから」
 生徒さんがあたしの毛並みを撫でながら耳打ちした。
「上を見て」
 四つ這いのまま、天井を見上げた。大きなシャンデリアが吊るされていた。
 羽のある白い馬の形の。
「ペガサス……」
 ピクリ、と白い塊が動いた気がした。
 ――視線が重なった。
 ペガサスの姿をした銀色のショートカットの女性が、あたしを見ていた。
「ヒト……」
「そうよ。ほら、みなもちゃんステージを見て」
 低く作られたステージには、水の入った大きな透明のグラスがあった。
 グラスには女性が浸かっている。長い栗色の髪を水に濡らし、こちらに向かって微笑んでいた。
 足はなかった。
 鱗で覆われた巨大なヒレをしなやかに折り曲げて、グラスの外へ出していた。
 真っ赤な唇から、艶めかしい象牙色の歯が見えた。
「本日実ったばかりの人魚の果実です。盛大な拍手を!」
 喋ったのは黄金色のドレスを着た女性だった。
「もう一つ新鮮な果実をもぎました。さあ、あなた、こちらへいらして」
 生徒さんに促され、あたしはステージに上がった。
(これは……夢?)
 ステージは木で出来ていて、あたしの鉤爪で小さな悲鳴を上げていた。
 ギイ、ギイ、ギイ。
 胸が高鳴る。高揚する気持ちを抑えることが出来ない。
 高い天井に吊るされた幾つものペガサスが、光と自身の影を落とす。
 光と影を縫って、あたしはステージの上に立った。
「新鮮なマンティコアです」
 紳士と淑女が拍手をするのを見た。
 狼が耳をピンと立ててあたしを見ていた。
「この拍手はあなたのものです」
 司会の女性はそう言って、あたしの前足を取ってキスをした。
(ああ、なんだか)
(蕩けてしまいそう……)
 美酒に酔うってこんな心持ちなんだろうか。
 無意識のうちに、あたしは羽を広げていた。
 黒く透けた薄い飛膜を伸ばし、尾を立てた。
 青い毒針の花びら一つ一つを大きく振り上げた。
 ――獣としての強さを誇示し、最も美しい姿を見せるように。
 一際大きな拍手が会場に響き渡った。
 歓声に包まれるステージ。
 この世もあの世も現実も架空の世界も。
 ここには関係ない。
 収穫祭は始まったのだから。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
 ご発注ありがとうございます。
『花と獣』の続きのお話です。
 特殊メイクとの区別で、普通のメイクのことはお化粧と書いています。
 このお話はおまけノベルに続きます。
 楽しんでいただければ幸いです。
東京怪談ノベル(シングル) -
佐野麻雪 クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年12月09日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.