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『メロドラマ 〜賢者の贈り物〜』
不知火 楓la2790)&不知火 仙火la2785

 正眼に構えた木刀を、不知火 仙火(la2785)はまっすぐに振り下ろす。
 その落下力と重さで前に出した膝を折り、上体を下へ。額が地へ着く寸前、左足を前へと出して踏みしめ、後ろへ送った右足の爪先で半円を描くように体を回す。果たして独楽のごとくに巡る手が横薙ぎを放ち、おう――空を太く鳴らしてみせた。
 縦一文字からの水面斬り。正道から邪道へ転じる、掟破りの剣だ。
 もちろん、言うだけならば容易い。しかしそれを為すには、振り下ろした剣先を止められるだけの握力と腕力が必要であり、同時に下へ向かった体を横へ巡らせられる膂力と体軸の強さが求められる。たいした身体能力だ。
「形にはなってるけど、重たいね」
 庭の端で仙火の型を見ていた不知火 楓(la2790)がさらりと評した。
 体を引き起こして息をついた仙火は、あえて楓が言わなかった続きを口にする。
「鈍いだろ。父さんは軽々やるってのにな」
 苦い笑みを作り、楓はうなずいた。
 嘘をついたところで結果は変わらない。だから素直に認めるよりないのだが。
「……どうしてあの人の剣を真似るの?」
「真似てるわけじゃねぇよ。でも俺の剣は濁りだからな、綺麗に澄ましたところでたかが知れてんだろ」
 だから濁りきってやるって決めたのさ。言い添えた仙火から、楓はすがめた両目を逸らす。
 仙火が濁ることを思い切ったのは、あの夜、あの子と向き合ってからだ。

 あなたの剣が欲しい。

 そう“あの子”に言われた仙火の顔は、道場の外から窺っていた楓には見えなかったけれど、それでもわかる。
 うん、わかるよ。仙火は奮えたんだって。きみは初めて見いだされたように感じたんだろう? 最強の父っていう頂の影に埋もれて、でもそのまま死んでいくもんかっていうあがきを、初めて認めてもらえた気になったんだ。
 たとえ天賦の才なくとも剣士として生きたい。その願いを受け容れられ、さらにその剣に助けを求められた感動が、あれほど慕い、あれほど忌んだ父の剣を仙火に振るわせるきっかけとなった。
 僕は仙火にいつか前を向いて欲しいと願ってきた。それは今も変わらない。でも――あの子がもたらしたたったひとつの感動が、その鮮烈さで仙火を奮い立たせたんだ。
「あの子ときみが清と濁を併せたって、あの人の清にも濁にも届かない」
 たまらない苛立ちを含め、楓は吐きつける。
 対して仙火は清々しい顔で。
「そりゃそうだ。まあ、自分の剣が父さんに通じるかどうかなんて考えてねぇし」
 どういうこと? 楓の無言の疑問に彼は応えた。
「俺は俺がどんだけ弱ぇか、そいつを思い知りにいく」
 楓の視界が衝撃で歪む。
 最強と対することで自分の強さを計るのではなく、弱さを計る――それはつまり、
「そこから登っていく覚悟、決めにいくんだね」
 仙火が笑んだ。翳りのないその表情は、まるで幼いころの彼を見ているようで、それがまた楓の心をざわつかせた。
 昔、仙火の身代わりとして死にかけたことがある。その窮地へ飛び込んできてくれた仙火の必死は、楓にとってなにより大切な思い出となっていたし、彼女を今現在の有り様へ導く大きな要因ともなっているのだが、彼女にはただひとつ、悔いていることがあった。

 僕は、仙火のために死んであげることができなかった。

 仙火の与り知らぬところで彼の代わりに殺されていれば、彼が真実を知るまでの時間が稼げたはず。うまくすれば、不知火を継ぐときまで。
 そうすれば、仙火は悲劇を繰り返す中で自らの存在価値を見失うことなく、まっすぐに育つことができただろう。
 僕っていう傷を負わせたことで、仙火は曲がってしまった。きみを守りたいのは僕の贖いだ。もう二度と傷つけたくなくて、女であることも捨てて。
 それは彼女が言うとおり、贖いのはずだった。
 なのに。
 気がつけば、こうして嘆いている。仙火の影として付き従うことを選んだ彼女が、仙火と真っ向から向き合った少女に薄暗い感情を抱き、自分の有り様を否定してしまっていた。
 嫉妬してるの? 仙火の背を支えて守るのが僕の本望なのに、前へ立たれたらこんなにもかき乱されるなんて。
 それはけして否定できない感情で、感傷。
 心の泥底へ引きずり込まれかけた自分を引き上げたくて、楓は練習用の樫の薙刀を手に仙火の前へ立った。
「あの人の代わりは務まらないけど、濁りの剣を試すなら薙刀のほうが向いてるからね」
 仙火が挑む父親の技は、世界中の剣術や体術を奔放に組み合わせて使う、称する通りの無手勝流だ。剣だけでも無二の強者だったのに、今はもう並べられるものすらないから唯一だな、とは楓の父の言だが、ならば剣よりもトリッキーな攻めを為す薙刀のほうがまだ練習になるだろう。
「おう、頼む」
 正眼に構えなおした木刀の先を揺らし、仙火が楓を待つ。
 ちぃ、ちぃちぃ、ちぃ。呼気を不規則に鳴らすのは相手の拍を乱す忍術で、彼の祖父が得意とした業(わざ)である。
 同じ血脈にある楓もその業は習い覚えているが、ここはあえて引き込まれておく。これは立ち合いではなく、仙火のための鍛錬だからだ。
「ふっ」
 仙火の囀りを押し退けるように踏み込み、石突で脛を突いた。薙刀のリーチを生かし、さらに刃を使わぬことで意表を突く、二重の奇襲である。
 対して仙火は下がらず、石突を蹴り払った。前に置いた右足に一切重心を預けていないのはさすが、濁りの剣。
 そして楓もまた退かず、払われた勢いに乗せて刃を横薙いだ。
 当然、仙火はそれが誘いであることを見抜いている。だからこそ正眼を崩さず、案の定フルスイングせず柄を脇に挟みつけて止めた楓の薙刀に木刀の身を合わせて滑らせ、踏み込んで――跳び退いた。
 と。仙火の剣を支点に、下から回された薙刀の石突が空を切る。これを受け止めていれば、今度はそれを支えに上から刃で叩きつけられたところだ。
「息つく暇もねぇな」
 仙火が口の端を吊り上げる。
「そうじゃなきゃ練習にならないよ」
 楓は息をひと呼吸で整え、呼気を吹くと同時に出た。

 ふたりは打ち合っては離れ、踏み出しては止め合い、避け合っては蹴り、すれちがっては打つ。
 互いに互いの手を知り尽くしていることもあるが、それを念頭に置いての工夫すらも読めてしまうからこそ、試合は終わらない。
「これ、練習になってんのか?」
 仙火の型を崩しての袈裟斬りへ、柄を合わせることでいなし、木刃を返した楓が応える。
「僕を鏡に、きみが新しい手を考えつくのが目的だよ」
 かわす仙火に対し、構えなおした楓はふと、向き合った彼に思う。
 ああ、こうして僕は仙火と向き合っているのに、目を合わせることもできないんだ。
 仙火の目線へ背を向けて自らの面を隠し、脇から薙刀を突き込む楓。
 見ずとも知れた。仙火が少し眉根を引き下げ、鳩尾を狙う薙刀の先へ木刀を巻きつける様が。させないよ。ほら、僕が体重を預けて押し込めば、腕の力だけじゃ巻き取れない。
 巻き取らせないどころかさらに押し込まれてきた薙刀の刃に、仙火は奮えた。楓はうまいだけじゃねぇ、おもしれぇんだ。濁りのセンスってやつは俺なんかよりずっと上だぜ。
 でもよ、俺はもう決めたんだ。
 あいつが言った「誰かを掬う刃であれ」ってのはピンと来ねぇが、「この手は俺の大事なもんを守るために尽くす」ってな。
 今度こそ俺は間に合いてぇんだよ。俺より強ぇおまえが死ぬ気になっちまわなくていいように、俺がおまえを守るんだ。だから俺は、俺がどうしようもなく弱ぇってことと向き合わなくちゃならねぇ。
 彼の心の奥底にはふたつ、深手の痕がある。ひとつは攫われた母を見送ってしまった傷痕で、もうひとつは楓に身代わりをさせてしまった傷痕だ。
 母の傷は、父の尽力で一応は縫い繕われた。しかし楓の傷痕は、仙火が自身を赦せるだけの贖いを為さねば癒えはすまい。
 って、結局俺はまだ、俺のことで手いっぱいじゃねぇか。楓のことなんざ考えてねぇ。なのにおまえを守るって、どんだけ俺は身勝手なんだよ。
 心を押し詰める靄めきが、剣を鈍らせる。技を濁らせるには高い集中あればこそ成る創意が必要なのに、意識が散って濁り掻き立たず、果たして剣は単調へ堕ちていくのだ。
 しかし、拮抗は崩れなかった。楓も仙火と同じほどに鈍っていたから。
 同じ濁の僕では仙火の剣を支えられない。だからあの人は僕を仙火の相方にはしなかった。そんなことはわかってる。でも。
 仙火を護りたい僕の心は、いったいどこに据えればいいの?
 たとえ向き合えても、その横に並ぶことを赦されない僕は、いったいどこに行けばいい?
 気がついたときには、薙刀を放していた。
 気がついてみれば、仙火もまた木刀を放していて――そうだね、考えるまでもない。僕はきみのことなら全部、感じ取れるんだもの。
 放した得物を間に置いたまま、楓は仙火を通り越す。
 彼の気配が遠のいていくことがたまらなく寂しくて、彼女は振り向いた。
 見えたものは仙火の背。そして半拍後に振り向いた、仙火の面。それは踏み出していた楓のすぐ前にあり、だからこそ彼女は頭を下げてぶつかっていった。
「っ」
 鎖骨を楓の額に打たれた仙火が、身の内に詰めていた息を吹いた。呼気を失った彼に、即応は不可能だ。
 それを確かめ、楓は低くささやいた。
「ここはやっぱりちがうんだ。僕がいるべき場所は、きみの後ろだから」
「楓」
 預けた額を左右に振り、仙火の言葉を封じる。まだだよ。きみが行く先を決めたように、僕は僕の在るべき場所を決めなくちゃいけないんだから。
「きみは僕の背中を守ってよ。僕はきみより先に死ぬけど、そのときが来るまでは生きてるつもりだから」
 これは僕の贖いだ。死んであげられるはずだったあのときを失った僕は、二度ときみを苦しめないように生きてあげなくちゃいけない。

「――なに言ってんだよ」
 ぐいと楓の頭を押し離し、仙火は顰め面をわずかに解く。
「俺がおまえの背中を守るなんてのは当然だろ」
 上向けられた楓のいぶかしげな顔を見て、口の端を吊り上げた。
 でもな、それだけで終わる気、ねぇんだよ。
 全部だ。全部守る。おまえの背中だけじゃねぇ、前も右も左も。窮地がおまえに見えねぇように、背中にかばってやる。できるのかって訊くなよ、やるんだからな。そうじゃなきゃ、俺はおまえに贖えねぇまんまだ。
 そのためにこそ、頂へ挑む。
 あの少女剣士がくれた信頼に応えたいからでもあるが、それはひとつのきっかけだ。
 傷の痛みにうずくまるばかりの我が身を守られたあげくに喪うくらいなら、新たな傷をもらいに踏み出すほうがいい。
 結局、助けられてるんだけどな。あいつにも楓にも。ふたりがいなくちゃ俺はまだ、誰かがなんかしてくれるって思い込んでふらついてるだけの“腑抜け男”だったろうしよ。
 しかし。
 仙火の決意は楓へ届かない。いや、届いてはいたのだ、半分だけは。
 仙火は変わろうとしてる。あの子に逢って、前を向いて。
 もうなにも、僕にしてあげられることはないのかもしれない。ただ見ているべきなのかも。
「きみこそなに言ってるの」
 仙火の手を外して彼の背後へ回り込み――悟った。
 ここにいたいのは、守りたいからだけじゃないんだ。ここなら仙火へ見せずにすむから。僕の身勝手な誓いも願いも、なにひとつ。
「弱さを計りに行くような男が一端に叩いていいセリフじゃないね」
 仙火の尻を叩いてどやしつけ。
「早く強くなるんだね。僕はもちろん、きみの尻を押し上げてあげるよ。僕は爺で、きみは若なんだからさ」
「そういうのいらねぇから! ったく、ちっとはかっこつけさせろって」
 ぼやきの内に本音を含め、仙火はもう一度意志を固める。
 おまえに贖うぜ、俺は。身勝手は承知の上だけどよ、それができなくちゃ俺に生きてる価値はねぇって思うから。
「きゃあすてき。って言ってあげるには知りすぎてるからね、きみのこと。あと、かっこつけたいなら口に出すべきじゃないかな」
 きみの背中を守るよ。きみのとなりに誰が並ぶのかなんて気にしないふりをして、この命続く限りずっと。それが誰よりも身勝手な僕の、きみへの贖いだから。

 誰より大切に思えばこそ、互いに想い重ねることならず。
 楓と仙火は身勝手を盾に己が真と向き合うことなく、互いへの誠を尽くさんと心を据えるのだった。


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2019年12月10日

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