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『何も起こらなかった夜』
フェイト・−8636

 山間にあるペンションは、管理する者がいなくなってから結構な時間が経っているのかすっかり荒れ果ててしまっている。床は腐り壁は朽ち果て、館の中は埃にまみれていた。
 観光客が訪れ賑わっていた頃の面影など、今や見る影もない。部屋には、奇妙な模様のいたずら書きまでされている始末だ。
 そんな誰もいないはずの寂れた廃墟に、場違いな程に賑やかな笑い声と騒がしい複数人分の足音が響く。ガラの悪い若者達が、はしゃぎながら廊下を歩き、ふざけた様子で廃墟の写真を撮影してはケラケラと笑っていた。
 最近巷で囁かれている噂を聞き、面白半分でここへと訪れたのだろう。霊を呼び出せるという噂がある廃墟となったこのペンションは、彼らのような若者達にとっては肝試しにうってつけのスポットに違いなかった。
「危ないから帰りなよ」
 ふと、若者達の鼓膜を知らない声がくすぐった。どうやら、このペンションには先客がいたらしい。
 いつからそこにいたのか、どこからともなく現れた一人の青年は、まるで彼らの行く手を阻むように薄汚れた廊下へと立っていた。まだ若く、穏やかな雰囲気の青年だ。若者達のように、酒を飲んだ帰りにふざけたノリで噂になっている心霊スポットにやってきた様子でもない。
 罰ゲームか何かで、こんなところに一人でこさせられているのだろうか。そう思った若者達は、バカにするように青年の事をあざ笑う。もちろん、青年の紡いだ帰れだなんて忠告を聞くつもりなんて彼らにはない。
「本当に危ないんだ。面白半分で踏み入れていい場所じゃない」
 それでも、やんわりとした態度で諭してくる青年に、ついには若者の一人が手をあげた。若者の振るった腕の動きに合わせて、青年の身体が揺れる。
「――これ以上は、無理か」
 説得を諦めたのか、困ったような顔をして青年はそう呟き、その場を立ち去って行った。邪魔者がいなくなった、と気を良くした若者達は肝試しの続きへと戻る。
 彼らの酒気を帯びた笑い声は、ますます大きくなっていくのであった。

 ◆

 若者の内の一人が、「おい、見てみろよ」ととある一室の壁を指差した。まるで濁った血のような赤色で描かれた、奇妙な模様のいたずら書きがそこにはある。まるで、何かの魔法陣のようだ。
 どうせ、自分達のような者を驚かせるために、かつてここに似たような目的で訪れた者が書いたのだろう。若者達は、こんなの自分にだって書けると宣い始め、そのいたずら書きへと持っていたスプレーで適当に模様を書き加え始める。
 それを見て、別の若者は楽しそうに笑い、ネットに載せようとスマートフォンを構えた。しかし、その笑顔が、次の瞬間には固まる。
 若者達の背を、その時確かになぞったのは悪寒であった。次いで目の前に広がった非現実的な光景に、彼らはしばし言葉を忘れ呆けてしまう。
 模様が光り、『それ』は姿を現した。ゆらゆらと蠢く、異形。かろうじで人の姿をしてはいるものの、醜くおぞましい姿は、こちらを見やるその視線は、そしてまとっている殺気は――確実に生きているもののそれではない。
 ……誰かが呟いた。悪霊だ、と。事実、それは悪霊であった。
 人の身を失い、この廃墟をさまよう亡霊。悪霊の口元が、不気味に歪む。まるで笑っているかのように。目の前にいる獲物を見て、歓喜するかのように。
 そして、それは牙を向ける。突然非日常に足を踏み入れてしまい、未だ混乱している若者達……自らを呼び出した、哀れな獲物に向かって。
 逃げなくては、そう思うのに若者達の足は震えてしまい言う事を聞いてなどはくれなかった。走り出そうとした足はもつれ、その場へと転げてしまう。腰を抜かしたまま後ずさる事しか出来ない若者に、容赦なく悪霊は襲い来る。
 ――死ぬ。咄嗟に若者はそう思い、目を瞑った。だが、訪れるはずの衝撃は、どうしてかいつまで経ってもやってはこない。
 恐る恐る、若者は目を開けた。依然として目の前にいる悪霊の姿に再び悲鳴をあげながらも、目を閉じる前にはいなかったはずの存在が増えている事に若者は気付く。
 若者を守るように、悪霊と対峙している2丁拳銃を構えた一つの影がそこにはあった。
「だから言っただろ? 帰りなよ、って」
 黒いスーツを身にまとったその影は、先程若者達に帰るよう促した青年に違いなかった。あの時確かに殴ったはずなのに、その頬には怪我一つない。青年……フェイト(8636)は、若者達に殴られたフリをし大人しく退散したものだと思わせて、影からずっと様子を伺っていたのだ。
 フェイトの構えた拳銃から出た対霊弾が、悪霊の身体を撃ち抜く。緑の瞳で睨むように標的を見据え、慣れた手付きで悪霊へと攻撃をくわえていく彼の目つきは、先程の大人しそうな青年とは別人なのではと疑ってしまいそうになる程に厳しく鋭かった。
 悪霊も負けじと攻撃を返すものの、フェイトはまるで相手の次の動きを読んでいるかのように颯爽とかわしてみせる。否、読んでいるかのような……ではない。実際に彼は読んでいるのだ。超能力者のフェイトは、悪霊の次の一手すら見通せる。
 未だ何が起こっているのか把握出来ていないのか、目を丸くしたまま呆然としている若者達をフェイトは一瞥した。今から見せる光景は、一般人には少し刺激が強いかもしれない。だが、どうせ今宵の事は――彼らの中ではなかった事になる。
 フェイトの使う超能力が、若者達が不用意に足を踏み入れてしまった非日常を一層色濃いものへと変えていく。フェイトが触れる事なく物は動き、悪霊の穢れた魂もまた目に見えぬ力によりねじ切られるのであった。

 ◆

「もう大丈夫だよ。気配は完全に消えたから、安心して」
 腰を抜かしている若者達に、穏やかな笑みを浮かべフェイトはそう告げる。
 この後やってくる予定の記憶処理班によって、若者達はしかるべき処置をされるであろう。彼らの中で、今夜足を踏み入れてしまった非日常はすべてなかった事になる。フェイトの事も今の言葉も、彼らの記憶からは消えてしまうのだ。
 それでも、今怯えている彼らを少しでも安心させるために、とフェイトが紡いだ声はどこまでも優しいものであった。
 世の中には知らない方が良いものも存在する。先程現れた悪霊のように、闇に潜む常識とはかけ離れた存在はその最もたる例だ。彼らのような若者達が知る必要はなく、覚えている意味はない。
 ――この闇を知るのは、IO2エージェントである、自分くらいで良い。
「帰る時は、気をつけなよ。もうこのペンションには悪霊はいないけど、夜の山は危ないから」
 フェイトの言葉に、若者達は今度こそ素直に頷きを返すのであった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご発注ありがとうございました。ライターのしまだです。
エージェントであるフェイトさんのとある一夜、このようなお話となりましたがいかがでしたでしょうか。
お気に召すお話に出来ていましたら、幸いです。何か不備等ありましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
それでは、このたびはご発注誠にありがとうございました。またいつか機会がありましたら、その時は是非よろしくお願いいたします!
東京怪談ノベル(シングル) -
しまだ クリエイターズルームへ
東京怪談
2019年12月16日

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