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『重ねた時に積もりし答えは』
神取 アウィンla3388


 長いトンネルを抜けると、ヘルメットの隙間から磯の香りが鼻を擽る。徹夜のバイク便バイトを終えた霞む瞳に、砂に埋もれそうなパーキングエリアが見えた。

「――……海、か」

 高速道路は山を越えて海岸まで繋がっていたらしい。少ない灯りの代わりと言わんばかりの満天の星空に誘われたか、バイクを停めたアウィン・ノルデン(la3388)の足はふらりと砂浜を踏んだ。ザクザクと進む長身を戯れに追いかける海風が、無遠慮に黒い髪を掻き混ぜる――前髪の、その奥まで。掠める予想外の暖かさに、掌で勢いよく額を隠した。

「……煩い、な」

 暗闇に鼓動が響く。額への口付けは婚礼の証――あの人は当然知る由もないし格別の意図も無い。己が動揺してしまったのはあくまで故郷での風習が故に。そう、思っていた。だが、であるならば何故、何度もあの感触を思い出してしまうのだろうか。波音でさえもかき消せない程に心臓が早鐘を打つ理由は?

「それとも――違う、の、だろうか……?」

 故郷での風習、それだけではない……?問いかける心の内から浮かんでくるのは、何故か両親の顔。領主家の、情より政略を優先する婚姻において情を取った、稀有な二人。それから。

「――、殿……」

 いつの間にかうっすら白み始めた水平線の向こうに、紫のツインテールがふわりと翻った。



 砂浜にごろり、と。仰向けに相対した薄暮の空に幾筋か星が流れる。あの出会いの時、しとど降る雨粒のような。紫陽花の有名な寺での墓参り、ふと向けた視線の先で、紫陽花の茂みが揺れて分かたれた。

「この世界では紫陽花が人の形を取るのか、と驚いたな。すぐに勘違いとわかったが」

 驚きに息が止まった事を思い出し、くすりと笑みが漏れる。その後の蕎麦屋での、可愛らしい見た目からはわからぬ飲みっぷりに再び驚かされた所までが記憶に新しい。

「ああ、そうだ……星に纏わる物語も教わった」

 想い出し微笑む視界へ、また一筋の光が流れる。ペルセウスはあの夏と位置を変えながらも、変わらずアンドロメダに寄り添っていて。仲睦まじい姿にまた父母が重なる――そして。アウィンは目を瞑った。浮かびそうな想いを本能的に怖れて。

「……火に、託して、空に」

 眼裏に残る星明りが火灯りへと変わる。皆のランタンは、あの人の想いは、女神に届いたのだろうか。己の纏まりきらない想いも――空を駆けて故郷に届いたなら。父母は、答えを教えてくれるだろうか。眼裏の母が、苦笑交じりに何かを差し出した。掌にキラリと光る秋の桜――

「っいや、その……知らなく、て」

 女性へ簪を贈る。その意味を知らなくて――そう、あの人が額に口付ける意味を知らなかったように。つられるように兄の婚礼を思い出す。だがそれと共に浮かんだ想いは、きつね火の夜とは異なっていて。かの美しき姫が着ていた婚礼衣装は、きっと、あの人にも良く似合う――

 ザンッ!!

「俺は、今、何を……!?」

 すまない、と跳ね起きた勢いで砂浜に頭をめり込ませる。グロリアスベースは、あの人がいるのは恐らくこちらの方角だったはず。気にしない、と苦笑いで収めてくれるだろうが――あのサバイバル島での朝、あの人もこんな申し訳なさで土下座していたのだろうか。

(次から次へと……いつの間にか、こんなにも時を重ねていたのか)

 舟から共に送り火を見送った事もあった、手作りの弁当を頂いたことも。地中海の島国では、艶やかな薔薇の庭を楽しんだ。

「ビブ・レ・バカンス――休暇万歳、か」

 ゆっくりと起こした視線の先に、柔らかく陽が顔を出す。あの薔薇と同じオレンジ色の光が、迷う青年を優しく温めていく。

「――自分で服を買ったのは、初めてだった」

 ほろり、溶けだした言葉が唇から零れた。その日の気温、学徒としての立場、何よりあの人の面目を潰すわけにはいかないと鏡を睨み付ける朝。カバーしてくれる者のいない毎日は、手間に思うよりも新鮮な発見をもたらしてくれた。

「バイトの為に免許も取って……そう、バイトだと言えば、貴女も気に病まないかと思った」

 けして頑強とはいえない身体で険しい道のりに草臥れていた姿。余計な事を考えぬように、と詰め込んだバイトや鍛錬だけの世界を拓いてくれた貴女を、少しでも手伝えたら、と。細められた藍宝玉は、ただ眩しげに陽を見つめる。親愛とも敬愛とも取れる眼差しが、陽を写して気付かぬままに違う色味を帯び始め。

「――ッ!?」

 不意に。強い風が暗雲を運ぶ。暖かく照らしていた陽を覆い隠し、瞳から煌きを奪う。それは、あまりにも突然だった。

(あの時と同じ――違う)

 潮の香を塗りつぶしていくのは独特の匂い。些か乱暴に開いた扉の向こう、どこまでも白い部屋に鮮やかに広がる紫に染み付いた、薬品と消毒アルコールと――拭いきれない死の、匂い。

(違う、あれは)

 最期に見るものが綺麗なものでよかった。そう、ふわりと微笑んで閉じられた碧色。たまらず、叫んだ。

「あれは――夢だ、ッ!」

 慟哭する否定を嘲笑うかのように雨粒が激しく打ち付ける。ほんとうに?あの泥水の中で伸ばした手は、何の役にも立たなかったのに?命の温もりが冷えていくのを、喪失をただ痛いほど刻みつけられただけ、なのに――?

(俺、は……)

 痛かった。否、痛みさえ絶望に塗りつぶされた。貴女のいない世界を生きなければならない痛みよりも、貴女に何もしてあげられなかった絶望がただただ深くて。ぬかるむ砂浜に再び崩れ落ちる。このまま沈んでいけたならば――曇ったガラス玉の奥でそんな事を考えて。

ピリリリ……

 悪夢を祓うかのように、甲高い音が胸元で震える。短く途切れたソレに慌てて発信源を取り出すと。

「――ふ、ははっ」

 画面に残る名に、堪えきれない笑声が漏れた。まるで『それは違う』と叱ってくれているようで。――大丈夫、あれはただの夢、あの人はちゃんとここに居る。いつの間にか通り過ぎていた雨雲を脱ぎ去った太陽が、濡れた身体を、凍えた心を再び優しく温めてくれて。ああ、本当にあの人は。

「今の俺をどれだけ形作っているのだろう……」

 唐突に声が聴きたくなった。紫のツインテールを翻して振り返る碧色に、己を映してほしくなった。他愛もない話をして、一日の終わりに盃を重ねて――ああ、今なら。

「父上、母上。――少し、分かった気がします」

 額に口付けられて動揺した理由。夢とはいえ、喪う事にあれほど絶望した理由。尊き血筋に連なる己を狙う輩に辟易していた過去、それ故に目を背け気付けないでいた、焦がれるほどの特別な想い。それを何と名付ければ良いのか、今なら。

「…………」

 だがアウィンは敢えて口を閉じる。浮かびかけた明確な答えに蓋をする。完全に昇った朝日の向こう、陽炎に揺らめく水平線に故郷を視て。

(この世界に来たのは偶発的なものだった……ならば)

 再び同様に消える可能性が無いと、どうして言い切れるだろうか。陽炎のように不確かなこの手を取ってほしい、などと、どの面下げて請えると――

「ああ……メールを返さないと」

 全てに蓋をして、優しく照らす陽に背を向けバイクへと踵を返す。握ったままの携帯電話を、画面の名ごと大切そうに胸に押し当てながら。


 ――水平線の向こうから強く吹き抜けた風が、どうしてか呆れた溜息のように聞こえた気がして。アウィンは首を傾げながら、バイクの上、置き土産に山と残された砂を掃うのだった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ご縁を、有難うございました。
このような大切な転換点をお任せいただきました事、光栄であると同時に背筋の伸びる心地が致しまして…震えつつももどかしさに悶えながら執筆させていただきました、フフフ。
大切な場面とわかっております、把握ミスや解釈違い等、少しでも気になることがありましたら、ご遠慮なくリテイクくださいませ。
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日方架音 クリエイターズルームへ
グロリアスドライヴ
2019年12月20日

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