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『とどのつまり、仁』
日暮 さくらla2809)&柳生 彩世la3341

 小隊【守護刀】の本拠地であり、ほとんどの隊員が住まいとして身を置く“家”。
 庭の一角には道場が建てられていて、隊員たちが研鑽し合う鍛錬場として、あるいは創意工夫の試し場として機能している。
 その中で、今。日暮 さくら(la2809)と柳生 彩世(la3341)は向かい合って正座し、真摯なまなざしにて互いの視線を結び合っていた。

「参ります」
 ぴんと伸ばした背筋を前へ折り、さくらが深く礼をした。
「お相手仕ります」
 こちらも同じように礼を返す彩世。
 ちなみに、ふたりの正座は通常のものとは異なり、足の指を立て、踵の上に尻を乗せる型である。これは足首の筋を引き伸ばして固めてしまうことを避け、たとえ敵の奇襲を受けたとてすぐ立ち上がって応戦するがための、日暮流剣術における正式な座法だ。
 日暮の嫡流であるさくらは心得ていて当然のこと、彼女の幼なじみでよく日暮の道場へ出入りしていた彩世も自然と身につけていたし、だからこそこうして作法に則っているわけなのだが。
 さくらが両手で恭しく捧げ持ったのは、彩世の尻尾。
 狼の血をその身に宿す彩世はいわゆる獣人というやつで、狼の耳と尾を備えている。親しい者ばかりの場では出したままにしておくのが通例ながら、ここは道場。しまっておくのが礼儀というものだ。弁えているはずの彼が、なぜ放り出しているかと言うと――
 おもむろに尻尾へ顔をうずめたさくらが、思いきり深呼吸。
「この、ふかふかと、した香り、は……彩、天日に、干して、きま、した、ね?」
 読点が打ってあるところはさくらがはすはすしている“間”。そう、彼女は吸っているのだ。彩世の尻尾を全力で。
 そう。このために、彩世は尾を出していたわけだ。
「そろそろかなって思ったから」
 くすぐったくて思わず振ってしまいそうな尻尾を懸命に抑え込み、彩世は応える。このあたりは弟分ならではの我慢ぶりだ。
 思えば、初めて吸われたのは彩世が養母に拾われて三ヶ月めのこと。まだ幼児の域にあった彼は、普通の世界に馴染むことを意図した養母によっていろいろな人と引き合わされた。その中には今も共にある歳下の“同胞”がいて、そしてさくらがいたのだ。


 さくらは出逢って早々、彩世にこう告げた。
『これより先は私を姉と慕い、ついてきなさい。私はあなたを弟として慈しみ、導きますから』
 今にして思えばずいぶんとませたことを言ってくれたものだが、同胞曰く剣の道を志す彼女は幼いころからそんな感じだったらしいし、実際に弟妹の世話を焼いていることもあってお姉ちゃん気質が身についていたのだろう。
 それに彩世のほうも“群れ”を最重要視する狼の気質を備えていたし、女子に間違われがちなことを気にしている自分をちゃんと男扱いしてくれたことがうれしくて、ごく自然に受け容れてしまった。まあ、かなりの速度で後悔することになるのだが。
『剣の道は礼の道。しかしながら道場より一歩踏み出せば、礼は仁へと転じるものなのです。私はあなたに、心尽くしの親しみを示しましょう。そうですね、呼び名も彩世くんではなく、彩と改めます』
 なし崩しに日暮流の門下生見習いの立場を与え、指導――このときはごっこの域を出なかったのだが――を受けさせた彩世に、さくらはしたり顔で説く。
 なんかすごいおとなのおんなだ! さくらの難しげな言葉遣いに惑わされた彩世は素直に思った。だからこそ、さくらが突然彼の尻尾に顔を埋め、『こ、これはふかふかですね! 実に親しみやすい!』とか声をあげるまで、気づかなかったのだ。
 このおんな、すごいやばいおんなだ!
 しかしながら、同じ獣の血を宿す同胞ふたりには別れがたさを感じていたし、彼らを率いるさくらにしても、親しんでくれてはいるようだし。なにやら大事なものを吸い取られている気はしなくもなかったが、これも群れに身を置くのためだとあきらめたのだった。
 そうして一年が過ぎたころ、さくらは唐突に言い出した。
『私は未熟でした。尊ぶべき礼を忘れ、つい彩のふかふかに……これほど心乱してしまうとは、剣士としてあるまじきことです』
 青ざめた顔をうつむけ、奥歯を噛み締めるさくら。
 このころには彩世のほうも慣れていたので、吸われるくらいはどうということもなかったのだが、まあ、さくらがそう言うのならそれはそれで――
『これよりは忘れることなく礼を尽くして参ります』
 ――結局、それでは終わらなかった。
 以後、彼女は節度を正しく保つことのできる道場に場を移し、冒頭で描いた通りの作法を守って吸うようになる。節度も作法も機能しているとは言い難かったが。


 ここから少し、さくらについて語ろう。
 彼女はなぜここまで、ふかふかしたものを愛でるのか?
 後に“アサシンガール”を称する彼女だが、このころはまだ、母がことあるごとに掲げていた“サムライガール”を目ざしていた。
 本当にもう剣ひと筋で、その暮らしの内に、年頃の幼女が当たり前に求める「かわいらしさ」は微塵もなかった。
 剣を妨げるものは悪――ストイックな性格ゆえの頑なさではあるのだが、やはり彼女も女子である。頑なの裏側にはかわいらしいものを愛でたい欲逆巻き、噴き出す先得られぬまま押し詰まりゆく。
 夜、くわっと目覚めては『あたたくてふかふかな!』などとこっそり咆哮してみたところで状況が変わることはなかったし、たまらず吸ってみた彼女の弟分や妹分――後に彩世の同胞となるふたりである――は主にもふ毛の量が足りていなくて満たされず。
 こうしてじわじわ心追い詰められゆく中、ついに現われたのだ。そう。ふかふかな尻尾を持つ彩世が。
 ずいぶんと自分の綺麗な容姿を気にしているようだったが、正直、そんな小さなことはどうでもよかった。
 大切なものはただひとつ! ふかふかのもふ毛ですからね!
 出逢ってしまったのだというべきか、とにかく認識してしまえばもう、我慢はできなかった。これもまた宿縁というものなのだろうと、現在の彼女は考えている。
 とはいえずいぶんと業が深いことです。慎まなければならないと、私自身も思ってはいるのですが。
 しかし、しかしです! 彩のふかふかの尾が私を誘うのですからしかたないでしょう!? 私がどれほど自分を諫めても、彩がふりふりもふもふ……しかも時に巻きつけてまでくるのですよ!? あれは私を堕落させんとする策謀! 悟ったところで耐えられようはずがありません! くぅ! 彩、恐ろしい子!

 なかなかに理不尽なことを思われている彩世だが、当人はそこまで考えていない。尻尾を吸わせるのはある種の諦念だし、巻きつけてやるのは親愛だ。
 いやだって、さくら姉喜ぶし。なんかちょっと苦しそうな顔はしてるけど。
 まさにそんな表情で尾を吸ってはもふっているさくらの有様に小さくため息をついて、彩世は思いを馳せた。
 俺、彼女とかできたらやっぱ吸われんのかなぁ?
 すべての女子がさくらと同じ嗜好を持っているわけはないが、それにしても顔立ち含め、女子受けがいい彼だ。よく耳や尻尾を出せとも要求される。まあ、出してやる気はないのだが。
 同胞でもトモダチでもないヤツらにサービスしてやる義理なんてないしな。
 言ってみれば、さくらにはそれだけの義理がある。
 実際のところ彼女がいなければ、誰とも交わることができずに元の世界の片隅でうずくまっていただろうし、この異世界でやっていけたかどうかも怪しい。
 加えて、お互い気にし合っているくせになぜか気づかないという、古典ラブコメを演じている同胞ふたりとも馴染めなかったはずだ。さくらという“吸いたい女子”に見込まれてしまった者たちならではのシンパシーあればこそ、同胞たりえたわけで。
 そりゃまあいろいろあるけどさ、でも。
 結局のところ、彩世は救われたのだと思う。誰より慈しんで、複雑な生い立ちを持つがゆえに面倒事も多い彼を放り出すことなく導いてくれたさくらに。
 ついでにあの男ともうまく行くように祈ってるよ。さくら姉には幸せになってほしいから。
 ポジション的に、近しい者の恋愛を見守ることの多い彼だからこそ、応援したいと思う。さくらのそれは、彼女自身が踏み込まなければかなわないものだろうからなおさらにだ。
 その勇気が出るまでは俺がかまってやるしな。
「うう、これは悪魔の誘惑――もう少し強くです!」
 首を取り巻いた彩世の尾を拒もうとして失敗したさくらに、彩世は苦笑を漏らした。

 ようやく落ち着いたさくらはこほん、咳払いをして。
「今日はこのくらいにしておきましょう。腹八分目と申しますしね」
 まだ八分目かよ……おののく彩世だったが、続いてさくらが押し出してきた焼き饅頭とジャスミン茶には抗えず、尻尾をぱたつかせて飛びついた。このときのさくらの表情については、彼女の尊厳に配慮し、語らずにおこう。
 ともあれ饅頭に詰まった黄身餡をほくほく味わい、ジャスミン茶でリセット、今度は皮の香ばしさに目を細める彩世の様に、さくらはつい笑んでしまう。
「彩は本当に喜んでくれますから、作り甲斐があります」
 こちらの世界では幼なじみ組とくくられる彩世とその同胞たち。三者の中で食へもっとも素直なのは彼だ。犬科ということもあろうが、やはり他人を思う気持ちの強さが豊かな反応となって表われるのだろう。
「さくら姉は菓子作るのうまいよな」
 微妙に含みのあることを言うのは、さくらの料理の拙さ――最近はかなり改善されているが――を嫌というほど味わわされてきたトラウマで思いやりが発動しないことによる。もちろんそれはさくらも弁えているので、置いておいて。
 こうと決めると過ぎるくらいに頑なでもありますけれどね。
 この気質のおかげで、幼いころの彩世にはずいぶんと手を焼かされた。『おれはぜったいあやまらない!』、『だっておれ、やるってきめた!』などと突っ張って、曲がらないのだ。
 その様は、同じほどの頑さを持つさくらにとっては鏡のようで、放っておけなくて。
『曲がらない楽を望むより、曲がる勇気をもって苦難に立ち向かいなさい』という説教は、自分に言い聞かせるためのものでもあった。
 他の人のように己をやわらかく曲げられない私たちにとって、世界はけして優しいばかりの場ではありません。それでも生きていかなければならない以上は、和を保つよう努め、期待される役目に務める必要があるのでしょう。
 ふと、さくらは彩世を見やって。
 でも、それをして己を貫かんとする彩を誇らしく思うのです。あなたの頑なさは、いつであれ誰かを守りたいからこそのものだから。曲がる勇気をもってなお曲がることなく、直ぐに手を伸べられる彩の有情、私は讃えますよ。
 一方の彩世も、さくらの説教を思い出していた。
 自分は特にかもしれないが、人は皆それぞれの身勝手を抱えていて、誰にも押しつけないよう気を配っている。心を律する必要は剣の道でも説かれているが、それは無用な争いを避けるためのことであり、和という輪を保つがためのこと。
 不思議だよな。人を斬るのが剣術なのに、人を斬らないようにしろって教えられるんだからさ。いや、身勝手を押し通すってのは、斬られる覚悟をしなくちゃいけないって意味もあるってことだよな。
 身勝手か。俺は養母(かあ)さんがやったみたいに、俺は斬られても撃たれてもいいからどん底に沈んじまった誰かを引っぱり上げたい。それってほんとに身勝手だけどさ。
 さくらから向けられた視線に彩世は力強く受け止める。
 でも、さくら姉はそんなこと考えないからな。斬られるのも撃たれるのも最初っから覚悟してるんだ。誰かを守る刃であれ――普通、そこまで思い切れないだろ。他の誰もわかんなくても俺だけはわかってる。さくら姉は、すごい。
 そんな彩世にさくらはうなずいて。
「そうですか。では遠慮なく、吸わせてもらいます」
「は? なに言って」
「先ほどから尾をそんなにはためかせて! 私を誘っているのでしょう?」
「あー、ちがうから! シッポは饅頭うまいからだって!」
「お黙りなさい! すべてあなたが悪いのです!」
 心の内では誰より互いを認め合って讃え合っているふたりが、表では大騒ぎを演じてしまうのは……さくらと彩世だからこそなのだ。と、いうことにしておこう。


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2019年12月26日

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