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『空の底』
そよぎla0080

 朝になると明るくなる。
 なので、そよぎ(la0080)はうんと体を伸ばして起き上がり、しばしばする目をがんばって開ける。なるべくならこすらないようにと“おとうさん”に言われていたからだ。
 おとうさんはけして『絶対〜しなければだめだ』とは言わない。なるべく、できることなら、我慢ができるうちは――そんな枕詞をつけて、小さなそよぎにやさしく語りかける。
 どうしてぜったいだめっていわないの? 訊いてみたこともあったのだが、おとうさんは悠然と笑んで返したものだ。
 おとうさんができないことをそよぎにやれとは言えないからね。
 それ以上の説明はなかったけれど、とりあえずわかった。森の端に落ちていたという赤ん坊のそよぎをこの家へ連れてきてくれたおとうさんには、我慢できないことがあって、絶対と押しつけたくない気持ちがあるのだと。
 思えば不思議な話だ。どうして自分はここに捨てられたのか。どうしておとうさんは捨てられた自分を拾ってくれたのか。
 まだ4歳になったばかりのそよぎが、そこまできちんと疑問を持てていたわけもないのだが、それでもおとうさんが本当のおとうさんでないことは理解している。彼のまわりにはおしゃべりが大好きな彼ら、彼女らが飛び交っていたから。
 あたし聞いたわ! あいつ、捨てられているなら私がもらおうって言ってたの!
 俺も聞いたぞ! あいつ、減るのは寂しいけど増えるのは楽しいって言ってた!
 キーキーと甲高い声をあげる彼らと彼女らは、どうやら他の人には見えない存在であるらしい。おとうさん曰く、妖精というものだろうとのことだ。このような森には、人ならぬものがひっそりと棲みつける狭間があるものだ。
 狭間にひっそり棲んでいるとは思えない気軽さで現われる妖精たちは、本当にいろいろなことを教えてくれる。基本的にマシンガントークなので、そよぎにはついて行けないこともしばしばだったが、おとうさんがいない時間も寂しい思いをせずに済む。
 ……そういえば、妖精たちはおとうさんがいるときには絶対出てこない。理由を訊くと口をそろえて、あいつ怖い!
 こわい? あんなにやさしいおとうさんが? 納得いかず、ぷうと頬を膨らませるそよぎ。しかし、彼がどれほど懸命におとうさんのいいところを並べ立てても妖精は受け容れず、耳を塞いで逃げ回る。
 あんただってどうされちゃうかわかんないんだからねー!

 妖精の言うことはよくわからないから置いておいて、そよぎは外に出て井戸へ。冷たい水を汲み上げて顔を洗う。さっぱりした目がぱっちり開いて、おかげでまぶしい朝日を直視、あわてて目をつぶった。
 深い森のただ中なのに、日や月の光に困ることはない。それは妖精たちが木々にお願いしてくれているからだそうで、もともとここは森の内でもっとも暗く深い場所だったのだという。
 そりゃ俺らが棲めるようなとこだからな!
 小さいものは太陽がないとちゃんと育たないし、月とか星がないと夜おっかないでしょ!
 胸を張って言う妖精に、そよぎは「ありがとなの」、ぺこーっと頭を下げた。そして頭を上げて見る。丸く切り取られた森の底から、丸く切り取られた空を。
 あたたかな日。やわらかな月。きらきら綺麗な星、時に強く、時にやさしく地を叩く雨。ふわりと舞い降りる風。音すらも包み込み、白を重ねる雪……それらはすべて、木々が枝葉を畳んでこの場所と空とを繋いでくれていればこそもたらされる。
 だが。数年の先、大きくなった彼は思うのだ。
 ここ、井戸の底みたいなの。
 あのまぁるいお空、僕がどんなに手を伸ばしても絶対、届かないの。
 きっとおとうさんは、そうともかぎらないさと言ってくれるだろうし、実際に彼はこの森を抜けて世界へと至ることとなるのだが――それはここで語られるべきことではあるまい。

 おとうさんが用意していってくれたハチミツを塗ったパンとミルクたっぷりの紅茶で朝食を済ませたそよぎは、再び外へ。そして丸い空の際――壁を為すように立ち並ぶ木々の向こうへ声音を投げた。
「ごはんなのー」
 その声音を辿って現われたのは、リスや野ねずみなどの小動物たちだ。
 森には大型の動物もいるのだが、さすがにここまで木々が密集した奥には入り込んでこられない。ぜひ熊や鹿の背に乗ってみたいそよぎとしては不満もあったが、おおきくなったらあいにいくの! と決めている。
 まあ、それはさておき。残しておいたパンをちぎって撒くと、小動物がわっと寄ってきた。
 馴染みの連中ではあったが、名前をつけることは避けている。おとうさんに、できることならそれは避けるよう言われたからだ。
 どうして? 訊いたそよぎにおとうさんはかぶりを振り振り。名をつけてしまえば情が通う。情が通えば、別れが辛くなるからね。
 野生動物の寿命は短い。しかもその短い寿命を全うできるものは相当に少ないのだ。
 そよぎは頭を悩ませて、おそるおそるまた訊いた。
「おとうさんがおなまえおしえてくれないの、わかれがつらくなるからなの?」
 おとうさんはなんとも言えない微笑をそよぎへ返し、小さな体をそっと抱きしめた。
 そうだね。私はいずれ、そよぎと別れなければならないから。そのときにそよぎが辛くなるのは嫌なんだ。
 おとうさんがいなくなる――衝撃に身を強ばらせたそよぎから体を離し、おとうさんは言葉を継ぐ。
 そのときが来たら、辛さは全部私が持っていくよ。だって私はそよぎのおとうさんだからね。
 そよぎの名が、彼を捨てた親に与えられたものなのかおとうさんがくれたものなのかは知れなかったが、その名を呼ぶおとうさんには確かに、彼への深い情があった。

 だからなの。
 おとうさんは情が通っちゃった僕を、置いておかなくちゃいけなかったの。
 そうしないと我慢ができなくなっちゃうから――


 おとうさんはよくひとりで出かけていた。
 すぐ帰ってくるときには肉や魚、野菜を携えてきたし、半日以上空けるときには特別な包みを抱えて。
 包まれたものがなにかの肉であることは知れたが、他の食材のように開いて見せてくれず、おとうさんは家の奥にそれをしまい込んでしまう。
 そよぎには毒だ。味は気に入るかもしれないが、頭がスポンジになってしまうかもしれない。
 彼の言葉の意味を知るのは、そよぎが森を出た後のことだ。人は、自分に近い存在の肉をより美味と感じる。そう、同じ哺乳類の、同じ二足歩行の……

 包みを持って帰ってきた日のおとうさんは、贖うようにごちそうを作ってくれた。
 それをお腹いっぱいになるまで食べて、あたたかなミルクを飲みながらおとうさんと窓の外の空を見る。ふたりいっしょなら、晴れていても曇っていても、雨雪が降っていても、同じように楽しくて、うれしい。
「ぼくね、ずぅーっと、ぜったいぜったい、おとうさんといっしょがいいの」
 おとうさんが絶対の約束をしてくれないことを知りながら、それでも願ってしまう。この時間がいつまでも続いてくれますように。
 そしておとうさんは。
 ああ、そうだね。
 ただそれだけを語り、そよぎの頭をなぜた。万感の奥にぎらついた熱を押し隠し、やさしく、やさしく、やさしく。
 ――井戸の底さながらの楽園はいずれ喪われる。それを感じていればこそ、そよぎは星空へ祈るのだ。


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2020年01月06日

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