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『花と獣と ―再会―』
ka6002)&濡羽 香墨ka6760

 1020年、春。

「よかった。ここには被害がなかったみたい」
「うん。丘のまわりの林も。荒らされていない。……本当によかった」
 澪(ka6002)と濡羽 香墨(ka6760)は顔を見合わせるとにっこりと笑った。
 ここはゾンネンシュトラール帝国のはずれにある花畑の丘。彼女達の親友である花の精霊と初めて出会った場所だ。
 花の香りを含んだ風がふたりの頬を優しく撫でる。香墨は地面に膝をついて、風に揺れる花に優しく触れた。
「邪神戦争の時。帝国からずっと離れてたから。どうなってたのか心配だったけど。あの子の花がたくさん……嬉しい」
「ん。あの子と会って3年……私達も色々あったけど、ここも少しずつ変わってるよね。ほら、見て。この花、初めて見る花」
 ――ぱらり。
 澪がスケッチブックを捲り、香墨に様々な花の柄を見せる。これは澪が丘を訪れるたびに四季折々の変化を記録してきたもの。彼女は絵画の才能に恵まれており、この地に息づいた植物や生物も描いていた。
 しかしその膨大な絵の中に香墨が触れている花はない。
「ほんと。そういえば。こんなに花弁の多い花は。初めてかも」
「鳥が遠くから種を運んできたのかな。花畑そのものも少しずつ広がっているし……あと10年も経てばこの丘いっぱいが花畑になってるかもね」
 くすりと微笑んで澪がスケッチブックの新しい頁を開く。すると花の精霊がひょっこりと顔を出して無邪気に喜んだ。
 この花は数百年前にこの地に群生していたものらしい。環境の変化が影響したのかここ数年は姿が見えなくなったというから、このめぐり合わせに感謝するしかないと精霊は何度も飛び跳ねた。
「花もあなたにきっと会いたかったんだね。こんなにいっぱい花弁を開いてるもの」
せっかくだから今日はこの花をはじめに描こう……澪がそう決めた時だった。
「澪ー、香墨ー。このあたり、冒険してもいい?」
「人間ノイナイ綺麗ナ場所、久シブリ! 俺、走リタイ!」
 精霊達がふたりのもとに駆け寄ってくる。彼らは帝都近郊の自然公園で生活している幼い精霊だ。香墨が「どうする」と小首を傾げると澪は彼らに人差し指を立ててみせた。
「今日はピクニックだから夕方までにここに集合すること。迷子にならないようにあんまり遠い場所にはいかないでね?」
「「「はーい!」」」
 精霊達が元気よく返事をし、丘を駆け下りていく。彼らの背を見守る澪の姿に香墨がくすりと笑った。
「澪。なんだかお母さんみたい。しっかりもののお母さん」
「もう、香墨ったら冗談ばっかり。……でも皆を連れてきてよかった。人里を離れた途端、すっかりはしゃいじゃって」
「それは。仕方のないこと。自然精霊にとっては。やっぱり。ヒトの手の入っていない環境って。居心地がいいんじゃない?」
「そうだね。自然公園にもなじんでくれているけど、こういう場所があの子達の本当の居場所……時々遊びに連れてこなくちゃね」
 早速林で冒険ごっこを始める精霊達。それをしばらくふたりは微笑ましく見つめていたが、彼らの活動範囲が広がった途端に澪がスケッチブックをぽん、と地面に置いて立ち上がった。
「やっぱり放っておけない」
「一緒に行く?」
「うん。雑魔がいたら大変だもの」
「……やっぱり澪。お母さんみたい」
 香墨が冗談交じりに呟けば澪が愛らしい唇を尖らせて歩き出す。香墨はピクニック用のバスケットを抱えて慌てて澪を追った。

「香墨、澪、この辺りは集落があったのかな? なんか小屋とか祭壇みたいなものがあるけど」
 澪たちが精霊たちに合流すると、彼らは好奇心に満ちた顔で林の中の遺跡を指さした。
 ここは花畑に繋がる林道の脇道――かつて花の精霊を崇めていたコボルドたちの住処だった地域だ。
 もっとも数百年前にコボルドらは帝国軍人により亜人狩りの憂き目に遭ったという。彼らを守り抜けなかった花の精霊の絶望を知るふたりは顔を見合わせ、やむなく言葉を濁した。
「……この辺りは。コボルドやエルフが住んでたんだって。今はどこかに。行っちゃったみたいだけど」
「そうなんだ。なんか寂しいね」
 無邪気な精霊は香墨の声に滲むやるせなさに気づくことなく先へ進む。
 本当のことは、言えない。自然精霊の多くは信仰者をかつての帝国に武力で奪われ、力を失い、長い眠りについていたのだ。過去の虐殺を口にすれば彼らの塞がった傷を抉ることになるかもしれない。それが何より苦しい。
 ……香墨は花の精霊が丘の麓で小さな精霊達と日向ぼっこしている状況に小さく感謝した。
 亡き友を悼み、時折思いを馳せることは心の整理に繋がる。しかしあの泣き虫の精霊の前でこの地の歴史を言葉にしたらきっと涙をぼろぼろと零しただろうからと。

 林に入ってからしばらくして。精霊たちが林道で草を編み、冠を作り始めた。香墨は澪とともに木陰に腰を下ろし、水筒に入れた紅茶を分けあう。
「ねえ、澪。ここに来ると。昔のこと。思い出す。私も澪もあの子も。随分変わったけど」
「私も思い出すよ。全員でこうしてのんびりできる時代が来て……本当によかったよね」
 香墨の呟きを受け、微笑みながらカップに口をつける澪。幼き日から物静かなたたずまいを備えていた彼女は今、年齢相応の無垢な可愛らしさを見せることがある。
 香墨はそんなパートナーの表情を嬉しく思いながら言葉を続けた。
「それなら。覚えてる? 最初の頃。あの子も私も。いつも不器用で。笑えなくて」
「ん、それはね。でも一緒に公園づくりをしたり、遊んだり、冒険……命をかけた戦もあったけど……たくさんの出来事を通して変わっていったよね」
「あの日々がなかったら。私は昔のままだったと思う。ヒトと歪虚が怖くて。生きるための拒絶を続けていたんじゃないかって。今も思うの」
「香墨……」
 遠くで精霊達が戯れる声が聞こえる。今ここにいるのはふたりだけ。3年前と変わらぬ緑、澄んだ空気……心が過去に引き戻される感覚を覚えながら香墨は目を伏せる。
「【落葉】事件の後ね。クリピクロウズと反動存在の哀しみを。少しでも癒したいと思ったのは。きっと澪が。私に幸せを享受する勇気を教えてくれたからだと思う」
「幸せを享受する勇気?」
「昔の私。澪と会う前の私は。ヒトを怖いものだと思ってた。鬼というだけで。追いかけまわされたり。殴られたりしたから。だから親切なヒトがいても。いつか嫌われたり。裏切られるんじゃないかって。差し出された手を。振り払ったこともある」
「……」
「……優しさを素直に受け入れられなかった。失うのが怖かった。掛け値なしの愛情なんて現実にあるわけない。期待しちゃいけないってずっと思ってた。だけど。澪はそんな私に何度も触れてくれた」
 ふたりが初めて会った時、香墨は澪をつっけんどんに突き放した。鬼は嫌いだと。それでも澪は彼女の憂う瞳を忘れられなくて何度も香墨の心に触れようとした。
「友達になろうって。言ってくれて。それからずっと一緒に戦場に出て。澪は迫る敵を倒して。私を守ってくれた」
「香墨だって私を癒しの力で助けてくれたもの。私達はずっと対等だよ」
「それが嬉しかった。苦しい時でも見捨てずに。隣にいてくれる子がいるって。だから澪のくれる幸せに。澪の想いを信じる強さに。ありがとうってまっすぐ言える自分になりたいって思った」
 今の幸福の全ては互いのささやかな勇気から始まったのだろう。澪は目を細めると香墨の肩に「どういたしまして」と頭を寄せた。
 そしてどちらともなく手を繋ぐ。澪の小さな手と香墨の華奢な手、柔らかなぬくもりが絡み合う。
「澪に幸せの大切さを。教えてもらったから。……だから悲しむ魂を。救いたいって。苦しみを終わらせたいって。思えるようになった。レクイエムを呪縛ではなく。本当の鎮魂歌にできたのも。きっとその気持ちがあったから」
「そっか……香墨は頑張ったんだね」
 そう言って澪は香墨の手を「いい子」と撫でた。
 今の香墨は澪を伴侶とし、ふたりで料理をはじめとした家事をこなしては少しずつ「普通」の生活に馴染み始めている。――それもまたこそばゆくて甘い幸せだと思う。
(澪は私にヒトのあたたかさと。たくさんの普通を。教えてくれて。あの子は誰かを支えることで。強くなる優しさを教えてくれた。大切な。友達がいるから。私はここにいる)
 私と一緒になってくれてありがとう。香墨はやわらかく澪の手を包み込む。
 澪は大きな目を丸くした後「香墨の手、あたたかいね」と微笑んで。……ふたりは小さな肩を寄せ合った。

 こうしてふたりが精霊たちの遊びをのんびりと眺めていた昼下がり。
 ――がさっ、がさがさがさっ。
 林の草むらが小さく揺れた。
「なんだろ。どうぶつ?」
 悪戯好きの精霊が草むらに飛び込んで周りを見回す。その時彼は何者かに頭を小突かれたようだ。両手で頭をおさえ、涙ぐみながら香墨に抱き着く。
「まさか雑魔が!?」
「大丈夫。私と澪が皆を守る」
 澪が剣を抜き、香墨も精霊達を庇うように立ち塞がる。精霊たちが「気をつけて」と声をあげると澪は頼もしく頷いた。
「逃げる場所なんてないんだから。覚悟なさい!」
 草むらに手を突っ込み、荒く枝葉を払う。するとそこにいたのは――二本の足で立っている犬。いわゆるコボルドだった。
「オ前ラ、ココ、俺達ノ村! デテケ、デテケ!!」
 コボルドがくりくりした瞳を吊り上げて小さな枝を振り回す。ああ、これで叩かれたのか……澪はため息をつくと剣を納めた。
「あなた達、ここの住民なの?」
「ソウダ。半年前カラダガナ」
 コボルドが枝を掲げると茂みや木陰から次々とコボルドが姿を現わす。どうやら彼らはこれまでよそ者である澪達を見張っていたようだ。
「俺達ノ先祖ハ昔、花ノ精霊様ト共ニコノ地域ニ住ンデイタ。シカシ野蛮ナ人間ガ全テヲ奪ッタ! 俺達ハ先祖ト精霊様ヲヲイジメタ人間ガ嫌イダ! 早ク出テイケ!」
 いよいよ枝を大きく振って攻撃の意思を示すコボルド。精霊たちがおろおろする中、澪と香墨は顔を見合わせると「これって」「もしかして」と互いに目を丸くした。
「ごめん。ちょっとだけ話を聞いてくれないかな。あなた達の言う精霊様って、丘の上の花畑の……?」
「ソウダ! 先祖ハ精霊様ヲ守ロウト奮戦シタガ、野蛮ナ軍人ドモニ捕マッテナ。ソレデモ運良ク逃ゲ、血ヲ継イダ。我々ハイツカ精霊様ノ元ヘ戻リ、再ビオ仕エスルヨウ代々言イツケラレテキタガ……帰ッテキタラ花畑ハモヌケノ殻ダッタ。ダカラコノ地ト精霊様ノ住処ニ祈リヲ捧ゲテイルノダ!」
 息まくコボルドは最後には何度も飛び跳ねて怒りをあらわにする。その健気さに澪が目を細めた。
「そうなんだ……。ねえ、もしその精霊がこの丘に来ているとしたらどうする?」
「マサカソンナコト……アッ!」
 コボルドは一旦半笑いで澪を見上げた後、口をおさえた。先ほど小枝で小突いた子供も、澪や香墨が庇っている子供達も、皆精霊ではないかと。
「この子達もいつかは。帝国の自然を豊かにしてくれる。大切な希望の種。あなた達が大切に思っている精霊と同じように。この子達も全員私達の宝物」
「あなた達を驚かせたことは悪いと思ってる。でも茂みを覗くだけでいきなり叩いたことは本当に良いことなのか、考えてみて。あなた達の精霊は今、亜人と精霊と人間が良い友達になれるように頑張ってる。彼女の想いを無にしないためにも、ね」
 加えて香墨と澪が帝国の現状を説明するとコボルド達ははっと息を呑んで小枝を手離した。そして己の過ちを何度も謝罪し、涙を流して歓喜する。
 数百年の時を越えた里帰り――彼の一族が背負ってきた使命がようやく報われようとしているのだ。
「皆と仲良くしてくれるのなら嬉しいよ。あの子もきっと喜ぶ。ずっとあなた達のご先祖様を守りたかったって言ってたから」
 澪がコボルドの手を握ると彼は照れくさそうにはにかみ、歩き出した。
 花の精霊が慈しむ野花のように、土にまみれて生きる亜人もまた強い。彼らはきっとこの地に穏やかな歴史を作り上げてくれるはずだ。
(香墨が穏やかな幸せを大切にするように……この子達にも優しい日々が訪れるように。笑顔でおかえりなさいを言えるって、とっても素敵なことだから)
 澪が香墨に視線を投げかければ香墨も慎ましやかに微笑んで、頷く。この地から哀しみが癒える日が近いことをふたりは予感していた。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ファナティックブラッドにて大変お世話になりました!
ことね桃です。

お待たせして申し訳ありません、
このたびはノベルをご発注くださりありがとうございました。

今回はテーマが精霊たちとのほのぼのとした時間ということで、
澪さんと香墨さんに花の精霊の故郷へピクニックに行っていただきました。
天誓事件から長らく精霊と関わってくださったお二方、
きっと幼い精霊たちにとっては頼りになる保護者であり
優しいお姉さん的な存在になっているんだろうなあと思っています。
これからもお二方の幸せなご縁が広がっていきますように!

今後ともご縁がありましたらなにとぞよろしくお願いします。
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2020年01月07日

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