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『緑糸』
メンカルka5338

 聖輝節を迎えた町はきらびやかに飾り立てられ、人々は笑みと歓声、時に酒杯を交わす――邪神戦争の終結から、たった二ヶ月しか経っていないというのにだ。
 いや、時が経っていないからか。
 メンカル(ka5338)はふむ、息をついた。
 ハンターのように向かうべき相手が見えておらぬ状況で、ただ勝利を祈れ、明日を信じろと自らに強いるよりなく、ようやく目を開けてみれば大団円が差し出されていたのだ。それを自らの内へ落とし込むには、必要以上に大喜びするよりない。
 ――では、自らの目で敵を見据え、自らの手で勝利を掴み、自らの足で明日へ踏み出したハンターの俺はどうだ?
 不思議なほど喜びはなかった。むしろ胸が重く押し詰まっている。
 本当にどうしてだろうな。
 メンカルはかるく頭を振り、這い上ってくる湿った感情を振り落とす。気分転換をしようと出てきたはずなのに、こうして沈み込んでしまうのでは意味がない。
 柄でもないが、一杯引っかけていくか。それに弟への贈り物も仕込まないとな。
 自分を無理矢理盛り上げたメンカルは白く色づく息を置き去り、人々の狭間をすり抜けていった。

 そしてメンカルは酒場を物色する。
 小脇には酒精のデバフがかかる前にと選んだ弟への贈り物が抱え込まれていたが、なぜかその数は、ふたつ。
 聖輝節なんだから、酔狂のひとつも演じておくべきだろうさ。
 小さく肩をすくめたそのとき。彼は信じがたいものを見る。
 夢でも見ているのか? まだ飲んでいないぞ、俺は。
 疑問に頭が結論を出すのを待たず、足は勝手に駆け出していた。

「邪魔をするぞ」
 とある酒場のテラス席。と言えば聞こえはいいが、ようするに床几とテーブル代わりの樽を店の外へ並べただけの席に、メンカルは腰を下ろす。
「女が要るならそっち系のお店行けば?」
 チャーチワーデン(吸口の長いパイプ)からベリーの香つけられた煙をたゆたわせながら、向かいに座した女はそっけなく言う。
「俺が要るのはおまえがここにいる理由の説明だ、ゴヴニア」
 褐色の肌を黄金のウェービーヘアで飾った女――ゴヴニア(kz0277)は笑みを深めて応えた。
「さて。如何様な理由述べらば汝(なれ)を得心させら」
 彼女の言葉を遮ったものは、メンカルの人差し指の先だ。それは黄金の怠惰たるゴヴニアの頬に触れていて、そればかりか押し込んでいた。
「黄金じゃない」
「錬金の石はとろけるがごとくに柔い。人を摸すにはよいのだよ」
 やわらかな錬金の石といえば、彼の者たちが至宝と呼ぶ賢者の石だ。鉱石を繰る彼女ならば容易く生み出せもするのだろうが……
「それにしても不思議な気分だ。俺が殺した歪虚が俺の前にいるのは」
「核は我を世界へ繋ぐ錨に過ぎぬ。砕かれたとて滅びぬさ。失せるばかりでな」
 応えておいて、ゴヴニアはゆるく眉根を引き下げた。
「して、汝が見いださねば居もせなんだが」
 メンカルは指を引き戻し、生真面目な顔をゴヴニアへ向けて。
「見逃すものか。俺が、おまえを」
 ゴヴニアは目を細め、笑みを深めた。
「聖輝節とは人集う宴であろう。独りか?」
「集うどころか肩を並べて共に過ごす相手もいない」
 かるく肩をそびやかしたメンカルは店員に声をかけ、ホットワインをふたつ注文する。

 ゴヴニアと酒杯の縁を合わせ、メンカルはあたたかなワインをすすり込んだ。スパイスの辛さと蜂蜜の甘さが舌に染み入り、強ばりを解いてくれる。
「全部終わって縁は思い出に変わった。でも、思い出は、褪せることも萎むこともなく胸の真ん中に居座り続けるものだ」
 四六時中、胸を塞いでいるわけではない。しかし気がつけば思い出していて、笑まされたり苛立たせられたりする。それこそ昨日のことのように、いつでもいつまでも。
「縁を断つは難いものよ。他の世界へ流れ行きた我が、斯様に顕現せしほど」
 メンカルは眉根を跳ね上げる。世界を渡り、人の敵であり続ける存在たるゴヴニアは、自らの宿命を割り切っているものと思っていたからだ。
「が、それをして汝に向き合おうとは思わなんだ。断たれし縁の糸をよすがと偲ぶがため来やったばかりゆえな」
 なるほど。今は歪虚ならぬものとなっているのだろう彼女にとっても、ひとたび離れた世界へ戻り来るのは気まずいことなのだ。だからこっそりとやって来て、結んだ縁を思い出していた。
「とまれ、汝が息災なるは重畳」
「末永くそういられるかはわからんぞ」
 小さな棘を含めて返したのは、他の世界で誰かと縁を結ぶことに心を砕いているのだろうゴヴニアへ苛立ちを感じたからだ。おかしいな、俺がこんなことで苛立つなんて。
「童子(わらし)がごとき拗ねようよな」
 くつくつと喉を鳴らし、彼女はメンカルの手の甲へ指を乗せた。
 石なのにやわらかく、あたたかい。賢者の石だからということではなく、それはゴヴニアという存在が持つぬくもり。不滅であればこそなにより孤独な女神の、心。
「俺はおまえほど心が強くないからな――いや、すまない。俺はおまえと新しい縁を結んだ誰かのことを妬んでいるだけだ」
 素直に言い切った直後、さすがに気恥ずかしくなる。ガキみたいに振る舞いたくなくて大人げを取り戻したつもりが、別の意味で少年のような有様を見せてしまった。
 が、それでいいのだろうとも思う。
 心をそのままに見せるのは、今の自分が尽くせるたったひとつの誠意だから。
「また会えてうれしい。また別れなければならないのがたまらなく辛いほどに」
 ゴヴニアは悠然とうなずき、メンカルの手を握り返す。
「断ち捨てたはずの縁を惜しむあまり、汝が未練に我もまたすがりたくなる」
 自らに赦すことない未練を振り切るように、彼女は手を離して立ち上がった。
「そろりと行く。向こうにもまた敵方(あいかた)はあり、戦もまたあるがゆえ」
 そうか。メンカルもまた立ち上がり、彼女の背に添う。
「引き止めるつもりじゃない」
 言いながら、ふたつあった包みのひとつを紐解いた。弟への贈り物を買い求める際、黄金の怠惰に似合いそうだと手に取ってしまったそれを、そっと彼女の首へと巻きつける。
「寒さを感じるようなこともないだろうが、その、さすがに冬の最中に石の体では寒そうだからな。少しはちがうだろう」
 緑の毛糸で織られたマフラーがゴヴニアの顎下をふわりと包む様を、メンカルは満足げに見やった。
「汝が眼(まなこ)の色か」
 ――言われてから気づいた。そういえばそうだ。いや、けしてそういうつもりだったわけではなく、ただ色の取り合わせを考えただけなのだが。
 ゴヴニアに仏頂面と言われた通りの顔の裏で大いに動揺する彼へ、その彼女は笑みを投げて。
「此の緑が縁、縛られぬがよう巻き取りてゆこう。末永く息災たれ……そして末永く幸いたれ、ザウラク」
 人を摸していた体を黄金へと変じさせ、あのときのようにメンカルの真名を呼んで手を振った。
「またな、ゴヴニア」
 こちらもあのときと同じように応えてメンカルが手を振り返せば、夜闇の縁をくぐるように黄金はかき消えた。
 息災で、幸い、か。またひとつ、約束が増えたな。
 メンカルは目を閉ざし、緑の瞳へ焼きついた残光に寂しげな薄笑みを浮かべる。
 しかし。俺の幸いは、もしかすればもう、この世界には存在しないのかもしれない――

 夜はゆるゆると行き過ぎていく。
 その流れのただ中で、メンカルは独り思いを噛み締めた。


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2020年01月07日

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