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『領域』
水嶋・琴美8036

 自衛隊特務統合機動課へ所属する水嶋・琴美(8036)は本部からの通信を聞きながら、海より生まれ出でた女神がごとき豊麗なる肢体を装備で鎧っていく。
 対刃性能に特化した強化繊維製の黒いインナーで上体を、同じ素材のスパッツで下体を包み、ミニ丈のプリーツスカートと袖を半ばまで落とした和装をつける。
 そしてこれらをまとめるのは合金糸で織られた帯だ。主に腸を守るためのものだが、丹田を“整える”役にも立つ。
 さらに膝まで包み込む編み上げブーツで脚を、滑り止めのグローブで手を締めれば、戦闘準備は完了だ。
「兵はお任せします。大将は私にお任せを」
 琴美が求めるものは、強敵。
 それを掲げてなお赦される能力があればこそ、彼女はひとり、東京の一角に顕われた“城”へ向かう。

 部隊の攻城作戦と連動し、城へとすべり込んだ琴美は、人ならざる兵の目をかいくぐって上へ。
 彼らがどこから来たものかはどうでもいいことだ。人に仇を為すものである以上、滅する以外の選択肢はありえないのだから。
 果たして天守閣に兵の姿はなく、純白の南蛮胴まといし城主が一体、畳床几――戦場で持ち運びできるよう作られた武将用の椅子――に座しているばかり。
「ごきげんはいかがですか、殿」
 言葉尻に重ねて琴美が飛ばしたものは苦無。投げ打つタイミングをわずかにずらし、右下、胴の中心、左上と、城主が左に佩いた太刀では払いきれぬ軌道を辿らせる。
 が。城主は立ち上がりながらこの三本を弾いた。その刀で、剣閃を見せぬままにだ。
 無論、琴美もそれをながめてはいなかった。壁を駆けて城主の横をすり抜け、苦無に結びつけたワイヤーソーで絡め取ったが――
 結果は先と同様で、城主はソーの“線”を弾き飛ばす。
 刃の間合内なら時間を無視して「間に合わせられる」のですね。
 城主の能力を見切り、琴美は爪先を木床の上へ戻した。やはり、追ってこない。能力から予測はしていたが、城主の兵法は徹底的な「待ち」だ。
 あなたが動かないなら、存分に試させてもらいましょうか。
 丹田へ落とし込んだ息を練り上げ、加速させる。かくて体内を高速で巡る気が、琴美のすらりと伸びた脚をするりと踏み出させた。
 駆けるより遅く、歩むよりも速い歩は、敵の目を引き寄せる。挙動に見入らせることでその裏に隠した手を繰り仕掛ける、忍の業(わざ)がそこにあった。
 しぃ、しぃ、しっ。不規則且つ小刻みに呼気を吹くのは、先の苦無同様、タイミングをずらすためだ。半拍にも達しない挙動とのズレは、知らぬうちに見る者の心を苛立たせ、疲弊させる。
 その中で逆手に握った苦無を繰り出せば、腰を据えた城主は踏み出すことも退くこともなく刃を叩き、織り交ぜられたワイヤーソーの先を突き返した。
 佩剣の柄に手を置いたままに見えて、この迅さ。居合遣いなのだろうが、いかな魔道を踏み越え、ここへ至ったものか。と、それはともあれ。
 幾度となく弾かれる内、ついに琴美の苦無が空振った。
「ああ、ここは間合の外ですか」
 思わせぶりに言い放つと、城主がかすかに腰を浮かせる。絶対の領域を備えていようと、間合を計られることがおもしろいはずはない。
 かかりましたね。
 琴美は逆に腰を落として上体を前へ出し、低い構えを取った。あなたに剣士の一分があるなら、私はそれを惑わせ弄するだけのことです。
 息を止め、琴美は再び歩を進める。間合の縁をなぞって巡り、ワイヤーソーを突き込んでいった。
 城主は滑り込んでくる糸刃を弾きながら視線で琴美を追う。速度を切り替えられても先走らず、遅れず、体を巡らせて彼女を正面に据え続けた。この落ち着きもまた、歴戦ならではだろう。
 その絶対領域へ、琴美が唐突に踏み込み、飛び退いた。不可視の剣閃が和装の袖を削ぎ落としたが、踏み込みを浅く留めたことで、肌にまでは届かない。
「間に合うだけで、剣を振ることは省略ができない。そういうことですね」
 こちらが探っているのは城主も気づいているはず。ならばあえて告げることで人外の心を揺らす。これもまた忍の業であり、城主はすでに琴美の術中に落ちていた。
 とはいえ、あの剣の絶対領域を越えるには、もう何手かの仕掛けが必要だ。
「しっ!」
 呼気と連動させずに遅らせて、琴美は体を返して至近距離から苦無を投げ打った。その回転に乗せた蹴りを合わせ、二連撃。
 先に落とされたのは苦無だ。次いで蹴り足の裏へ刃が叩きつけられ、ワイヤーソーと同じ軟性合金で造られた靴底へ半ばまで食い込む。
 つまり、複数の攻撃も一閃では落とせないわけですか。
 ここまで城主を相手に試せたものはいないだろう。遠距離攻撃は多数をもって行っても意味を為さず、業を煮やして自身が間合の内に踏み入ったところでもれなく斬り払われるのだから。一対一で、琴美という天賦の才持つ忍だからこそ為し得たことだ。
 その琴美をして、無傷とは言えなかった。いや、豊麗なる肢体には傷ひとつなかったが、和装もスカートも、ところによってはインナーすらも、剣先に裂かれている。
 しかし。
「あなたの剣、どれほど振り回そうとも私には届きませんよ」
 艶やかな笑みを閃かせ、歌うようにさえずる琴美。
 対して城主は前に置いた右足をにじらせた。足指で床を掴み、そのわずかな長さの分だけ前へ出る“にじり足”。袴であればその挙動は包み隠され、琴美の目を盗めたかもしれない。しかし城主は甲冑姿であり、革足袋に包まれた足は露出している。そして。
 琴美の言葉が刻んだ拍に引きずられ、城主の前進は彼女の仕掛けた通りのタイミングで為されたのだ。
 それに合わせ、琴美もまた踏み込んでいる。
 上体を縮めたままワイヤーを斜め上へ投じ、覆い被さるように構えた苦無を体ごと打ちつけて。
 ワイヤーソーが斬り飛ばされれば、そのまま自分が斬り落とされる。斬り上げた刃を返しながら、袈裟斬りで――
 刃が当たる辛い(からい)ような冷たさが背をなぜたが、琴美は止まらなかった。斬り下ろす迅さはすでに計ってある。間に合ったとて、追いつけはしない。
「嘘ではなかったでしょう? あなたの剣は、届かない」
 南蛮胴の中心に突き立った苦無が高く鳴る。琴美が弾くように突いたことで、激しく振動しているのだ。そして苦無の鋼の揺れは南蛮胴の鋼を共振させ、ついには砕く。
 そのまま核を突き抜かれた城主は、虚なる体を塵へと変じさせた。

 崩壊する城を後にした琴美は息をつき、虚空を見やる。
 一芸を極めた強敵でも、その肢体を捕らえることはかなわなかった。それはこれからも変わることなく、彼女は無傷を保ち続けるのだろう。
 しかし、所詮それが紙一重の未来であることに、琴美は気づかない。
 ただ一体の強敵が、彼女の肌のわずか先にまで届いたのだ。彼女が彼女の無敗を信じて踏み込めば、思わぬ穴へ嵌まり込むこともありえよう。
 いや、もしかすれば、それを望む心がどこかにあるのかもしれない。これまで打ち倒し、踏み越えるばかりだった敵というものに美貌を躙られ、弄ばれて犯され、最期には喰われて果てる末路を。
 そして彼女は、やはり気づかないのだ。その望みすらも、そうなるはずはないと信じ込む彼女の高慢によるものなのだと。
 信じぬまま、気づかぬまま、琴美は夜を渡る。
 未知なる強敵との出逢いに乙女さながら胸をときめかせ、疾く、疾く、疾く。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年01月07日

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