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『ゆく年くる年』
剱・獅子吼8915)&空月・王魔(8916)

 年の暮れは忙しない。
 少なくともこの日本で暮らす者には、性差や立場を問わず平等にのしかかる現実である。そう、素封家へも紛争地からのサバイバーへも、平等に。

「ひとつ訊くが、おまえはなにをぶらついている?」
 空月・王魔(8916)は振り向き、言葉通り部屋の内をぶらついていた剱・獅子吼(8915)へ鋭い視線を突きつける。
 王魔が雇い主兼家主を問い質すと決めたのは4分前だが、今になってしまったのは業務用アルカリ洗剤――素手で触れば指紋が溶け消えるほど強力なもの――に取り外したキッチンの換気扇を浸していたから。
 そして獅子吼はボディガード兼家事手伝いへ対し、なんともいえない苦笑を向けてみせた。
「手伝おうかと思わなくもなかったんだけどね。ほら、私は片手だろう? 雑誌も縛れないし、大きなものも運べない――」
「手はともかく脚は2本とも無事だろうが」
 できることはいくらでもあるはずだな? そんなニュアンスを含めてイラっと遮る王魔に、獅子吼は苦笑を左右へ振り振り。
「だからこうしてそぞろ歩きに興じているわけさ」
 人の挙動や空気感を読み取る観察眼を使うまでもなく、つきあいの長さと密度のおかげでどれくらいつつけば王魔が爆ぜるのかはよく知っている。これは爆ぜるデッドラインの2ミリ手前。
 案の定、爆ぜずに萎えた王魔はため息をつき、手を振ってしっしっ、獅子吼を追い払った。

 転進を決め込んだ獅子吼は、リビングの隅に設置してある業務用コーヒーメーカーを稼働させた。
 ちなみにこれは、彼女が王魔を爆ぜさせてしまったときの備えのひとつである。なにせ家事手伝いのくせに怒ると職務を全放棄するのだ、あの女は。
 おかげで戦闘糧食とやらにも詳しくなったよ。常備食の中で簡単に食べられるのはあれだからねぇ。
 ようは獅子吼、そこそこの頻度で王魔のデッドラインを見極め違えているわけなのだが、それもまた一興と思ってしまうのが彼女の器の大きさであり、どうしようもない悪癖でもあった。
 ――それにしてもだ。普段から掃除もしているだろうに、どうして年末だからってああも気合を入れるかな。
 王魔の性格が完璧主義寄りなのは確かだが、さすがにあそこまで生真面目に生活するだなどとは思っていなかった。最初に獅子吼が彼女のヤサへ乗り込んだとき、王魔は栄養補助ゼリー飲料だけで命を繋いでいるような有様だったのだから。
 結局のところ、ストイックなんだろうね。生きることにも生きないことにも。すべてに全力だからこそ、極端なほうへ偏るんだ。
 肩をすくめてコーヒーを飲む。煎りの浅い豆をたっぷりと使うことで控えめな苦みに豆の風味が乗り、深みのある味わいを成す。これもまた王魔が用意したものだが、そもそもが彼女の激怒への備えなのだからおかしな話ではある。
 まあ、蟻だって働かない者がいればこそ働き者が生まれるそうだし、私と王魔だってそういうことなんだろうさ。
 自分は働かなくとも楽しく過ごしていける性を持ち合わせているが、王魔はやることを失えば無気力の底へ堕ちるばかり。彼女が建設的な日々を送れるよう、獅子吼は断固として働かない。うむ、それが役割分担というものだ。

 獅子吼が韜晦と欺瞞で自己弁護を完了したころ、王魔はようやく台所の片づけを終えて腰を伸ばしていた。
 家とは不思議なもので、人が住まなくなればすぐ荒れるくせに、人が住めば住んだで出どころの知れないゴミやら汚れやらを発生させる。不本意ながら家事手伝いを兼業する王魔は日々、その退治に努めずにいられない理由であった。
 あの女が少しでも働けば、ここまで私が努める必要もないんだが……
 思ってみて、苦笑い。あれは働かないことに命を賭けているような女だからな。
 実際のところ、働きたくないわけではないだろう。嬉々として怪異退治の依頼を引き受けては出かけているのだから、少なくとも無為を楽しめる性ではあるまい。
 もしかすれば素封家という家業と真面目に向き合った結果、ああした振る舞いになっているのかもしれない。子は生まれる先を選べないもので、獅子吼はその受け継いだ財のおかげでかなり面倒な立場にある。それをやり過ごして家業を貫くには、できるだけなにもしないことを選択するよりないか。
 いや、自分の人生というものに興味がないだけなのかもしれないがな。
 他人のためならいくらでも動けるのに、自分のためにはどう動けばいいかわからない。そんな拙さが獅子吼にはあった。
 彼女の鋭い観察眼は他人の有り様や心根を見抜くが、自分の眼が自分を見て取ることはかなわなくて。ならば鏡に映せばどうかといえば、左右が反転しているのでは正しい像は捉えられまい。
 共感はできても自己覚知はできない――難儀なものだな。まあ、本人はそれも気にしないんだろうが。
 なら、せめて私だけはごく微量、気にしておいてやろう。あいつの意図は別のところにあっても、どん底から引き上げられた義理があることは確かだしな。

 それぞれがそれぞれに思いつつ、ふたりは再度合流する。
「なにもしないならせめて邪魔になるな」
「空気を読むのは私の得意だよ? 全力でキミの邪魔にならないよう、努めるさ」
 王魔の尖った声音にやわらかく言い返し、獅子吼は香り高い浅煎りコーヒーをすすり込んだ。と、その作業を途中で一時停止して。
「そうそう。私にしてはめずらしく、キミの分も淹れておいたんだけど」
「それは単に残っただけだろうが。あのコーヒーメーカーは2杯分出るようになってるんだからな」
 ああ、王魔が苛立ってきた。獅子吼は半歩退きつつ、口の端を吊り上げて。
「じゃあ、私が汲んできてあげるよ。とはいえ片手しかないから、それはもう困難なミッションなんだけれどね」
「自分の分はあっさり用意できたようだが」
 慣れない気づかいをしたってのに、どうしてそう、脇から正論をねじ込んでくるんだろうねキミは。獅子吼は肩をすくめて続く言葉を弾き出す。
「そんなに怒ってばかりじゃ、眉間の皺がとれなくなるよ? せっかくの美人が台無しだ」
 言い終えてから気づいた。まずい、これは大きく越えている!
「それもこれも全部おまえのせいだろうが!!」
 それはともかく、これについては思い当たるものがない獅子吼だったが、なんとか王魔をなだめすかしつつ思うのだ。
 王魔はところどころで意外に女臭いんだよなぁ。嫁にするといろいろ困ることになりそうだ。
 一方、思い当たるところだらけな王魔は王魔で、こちらをなだめすかしにかかる獅子吼に対して思っていた。
 獅子吼はクズ男と同じだ。誠実気取りの不誠実で、その場をやり過ごせばいいという浅はかさ。伴侶にしたら憤死するしかなくなるぞ。
 端から見れば獅子吼には用心が、王魔には寛容が足りていないわけなのだが、それもまたふたりが、実に遺憾ながら誰より近しい間柄――ふたりきりなのだから当然とはいえ――であればこその甘やかな馴れ合いというものだ。

「お節なんてものは古臭い慣習の結晶だと思っていたけど、こうしてみると趣を感じるものだね」
 仕込んでおいた料理を王魔が詰め終えるのを見下ろし、獅子吼は息をつく。
 頭つきの海老やきんとん、紅白のかまぼこ、黒豆等々が織り成す彩の合奏には、信心をどこに仕舞ったものかも思い出せない獅子吼をして感嘆させる厳かな美があった。
「私いもおまえも怪異に関わる身の上だ。縁起くらいは担いでおいてもいいだろう」
 応えた王魔は料理が乾いてしまわないよう重箱に蓋をかけ、もっとも温度の上下が少ない台所の隅へ置いた。
「なるほど、考えているものだね」
「実は考えないほうがいいのかもしれないがな。おまえのように」
「考えてくれるキミがいてくれるからこそ任せられるのさ」
「なら今すぐ交代してやる」
 軽口を叩き合っている間に、火にかけた大鍋の湯が沸騰する。
「夕飯は年越し蕎麦だ。年を跨ぐのはマナー違反らしいからな。今の内に手でも洗っておけ。片手ではそれこそ手間取るんだろう?」
 ぞんざいに追い払う王魔だが、彼女には獅子吼を火に近づけたがらないところがある。それこそ片手ではいざというとき対処が難しいだろうし、だからといって喪った左腕に“剣”を顕現させられても、後始末が大変だから……という言い訳をして。
「ああ。実に困難なミッションだね。蛇口をひねるのもハンドソープを出すのも、洗うのも片手だから」
 王魔の気づかいをありがたくも横柄に受けながら、獅子吼は台所を後にした。なんだかんだ言いはしても、王魔の本質は本人が思うより遙かにやさしく濃やかだ。それを知る唯一の存在であるところの獅子吼が汲んでやるのは人道というものだろう。

 果たして。葱をたっぷりと乗せ、海老天を添えたかけ蕎麦が食卓に置かれ、ふたりは卓を挟んで座す。
「蕎麦はその長さから長寿に、そして葱はねぎらいに通じる。願掛けでしかないが、今年の苦労を納めて新たな気持ちで来年を迎える心づもりくらいはしておけよ」
 王魔に言われて、獅子吼はあらためて葱だくの蕎麦を見た。
 それにしても王魔、帰国子女のはずなのに妙なことを知っている。
「ああ。ぜひともそうしよう」
 応えてから、蕎麦をすする。
 最近はヌードルハラスメントなどと言う者もあるが、守り伝えられてきた風習や文化というものをそっくり欧米のそれとすげ替えるなど無粋の極みだろう。変わるべきは変わればいいし、変わらぬべきは変えぬべきだ。
「で、この蕎麦は十割? それとも二八?」
 出汁で伸びることを織り込み、固めに茹でられた麺は歯触りこそよかったが、香りはほぼしない。
 よほどのものでなければなんでも食べるとはいえ、実はそこそこ以上にグルメの獅子吼である。だからこそ気になったのだが。
「私が打ったわけでもないのに知るか」
 素っ気なく応えた王魔は、これが乾麺であることを空袋を指して示す。
 おいおい、お節は作るのに蕎麦は煮戻すだけか。獅子吼は唇を尖らせて。
「それは怠慢じゃないのかい、家事手伝い」
 いつもそうだ。言ってから気づくのだ。デッドラインを踏み越えてしまったことを。
 本当に私はどうしてこう、王魔相手だと迂闊を演じてしまうかな。
 苦い後悔を噛み締める獅子吼を冷え冷えとした眼で見据え、王魔は音もなく立ち上がる。
「そこまで言うならカーシャを喰わせてやる。あれは十割、蕎麦だからな」
「ちょっと待ってくれ! カーシャは蕎麦粉じゃなく蕎麦の実だろう! それにこの家にあるカーシャってロシアかウクライナ陸軍の戦闘糧食じゃないか」
 当然、獅子吼の抗議が王魔へ届くことはなかった。
「ちゃんとしたものが喰いたければレストランへでも喫茶店へでも行け」
「無駄金を使うなと私に強いているのはキミだろう!? それに最近は働きかた改革とかで元日営業していないところが多いんだよ!」
 私が知るか。王魔にばっさり切り捨てられて、天井を見上げるよりない獅子吼である。

 そして獅子吼は三が日、牛肉と蕎麦の実を煮込んだ塩味のカーシャを黙々と食べ続けるはめに陥った。
「……今年も穏やかならぬ一年になりそうだよ」
 ぽつりと漏らした獅子吼に年賀状の束を投げ渡し、王魔はおもしろくもなさげに言う。
「さっそく当たりだ、予言者。おまえの財産をあてにした連中からのご機嫌伺いが来てる」
 獅子吼は銀行の担当者やら知らない親族の「お喜び」やら「慶賀」やらを受け取るなり放り捨てた。
「読まないよ。私の手間賃はそんなに安くない」
「ちらちらと私の機嫌を読むな。おまえに高い手間賃を払ってやる気はないからな」
 言いながらもコーヒーを淹れてくれる王魔に笑みを返し、獅子吼はうんと伸びをする。
 今年もいろいろと面倒事が押し寄せてくるのだろうが、なんとかやり過ごしていこう。独りでは逃げ切れなくとも、もうひとりを盾にすればどうにかなるはず。
「よからぬことは考えるなよ」
「おや、私が予言者ならキミはテレパシストだね」
 獅子吼の皮肉を含めた言葉に、王魔は相変わらずおもしろくなさけな顔で。
「読めるのはおまえ限定だ」
 くつくつ喉を鳴らし、獅子吼はコーヒーをすする。
 今日のコーヒーは深煎り。その強い苦みは獅子吼と王魔の関係をそのまま表わしているような気がして、悪くなかった。


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2020年01月10日

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