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『【IE】瞑つても瞑つても』
黒帳 子夜la3066

 薄紅よりも鮮やかで、唐紅より青の勝つ。
 然りとて、萩、槿、野薔薇、撫子などは、いづれ勇み足に過ぎよう。
 強いて云ふなら鴇だらうか、否――桃。
 さう、あれは桃色だつた。


●冬の帳
 蝋燭の火も燈らぬ部屋にて。
 寒気を厭わず窓を開け放ち、その枠に独り、腰掛ける者が在る。
 羽織りを肩にかけてこそいるものの、詰襟シャツに着物と袴の書生然とした風体は、張り詰めた外気に曝されてすっかり冷えきってしまっている。
 なのに、その者ときたら身震いひとつ見せやしないのだ。
 寒空の藍が映る首と面の線は細く、左顔面を覆う包帯と右の眼差しのアシンメトリイは物憂げで、儚い。
 お陰で元より麗しい眉目に、今や一種頽廃的な美を具えつつある。
 然るに少なくとも丈夫には見えないが、しかし、黒帳 子夜(la3066)はやはり事も無げだ。
 少し前まで筆を走らせていた手帳を閉じ、袖の下に仕舞った体でごく自然に腕を組む。
 色の名を、思っていた。
 とある花の色にもっとも相応しい名を。
 ――などと気取ってみたとて、芳しい成果を得る訳もなく。
 むしろ難航しており、故に自らそれを辞したのだ。
 なにせ、浮かんだものも行き着く先も、他の花や鳥の名ばかり。
 かと言って他に適切な色名に心当たりもなく、それでいてやはり腑に落ちない。
「……そうじゃないだろ」
 恐らくやり方を間違えている。
 色相から喩えていては、既になにかに充てがわれた、つまらぬ解しか見出せまい。
 子夜は懐に手を忍ばせて“それ”を取り出し、月影さえない星明りのみの闇にかざしてみた。
 買い物の折にふと見かけ、不覚にも手に取ってしまった髪飾りである。
 先に著した文言より拝借するならば、桃色に染まるシクラメンの花が精緻に象られた、自ら身に着けるには些か――可愛らしい品だ。
 けれど、躊躇われるのが少し勿体ないと思う程度には、傍に置きたいのも確かで。
 要するに大切であるのだが、それに足る理由を、言葉を。
 どうやら自分は未だ飽き足らず、探っているらしい。
「分かり切ってるのにな」
 夜の帳にかざした花の色味を見つめ、子夜は其処に、ある娘の姿を浮かべた。


●英雄
 この世界に於ける“放浪者”とは、呼んで字の如く彼方の異界を発ち此方へ渡り得た者の総称であり、子夜もまたその範に収まる一人だ。
 だが、この麗人の場合、元の世界から数えるなら此度の転移は二度目にあたる。
 一度目に顕現した場所は、今在るこの世界とよく似ていた。
 人類が自らの存続を賭して外的脅威を圧し返さんとすべく戦っている点、歴史を紐解けば己が出身世界そのものとすら云える時代を既に経ている点等も同じだ。
 無論違うところも多数あり、その最たるものが、その少女との出会いだった。
 子夜のことを“英雄”と呼んだ彼女は、子夜とそっくりだった。
 髪の色も、瞳の色も、その片側を覆い隠しているところも、人が苦手なところも。
 年の頃を除けば、まるでそこにもう一人自分、若しくは半身がいるようにも思えた。
 また実情としても心身を物理的に重ね合わせ、互いを文字通りの半身として、共に幾多の視線を潜り抜けた。
 一方で彼女は、子夜に欠けたなにかを宿してもいた。
 内気で多くを語りはしないが、それでも子夜に温もりをくれた。
 厳冬の寒さの中でも篝火のように花を咲かせる、シクラメンのような子だった。
 戦に於ける相棒であり、気の置けない友人であり、そして――大切な、義妹だった。
 そんな彼女は、二十六歳で亡くなった。子夜が三十五歳のときのことだ。
 とは言え、とうに仇討ちは済ませ、忘れ形見たる息子も立派に育て上げた。
「一切の未練はない」
 はっきりと言うことができる。
 況して、望むと望まざるとに由らず、“英雄”から“放浪者”へと身を転じた今となっては断たれたも同然とすら考えていた。
 ゆえに、以前得た戦闘技術全般、殊に刀剣の扱いのみを残し、思い出は切り捨てた。
 そう、思っていた。


●共鳴
 異界路を二度渡ったとて、やるべきことに然程の違いはない。
 少しばかり大がかりな人形繰りが加わりはしたが、基本的には我が身を賭して切った張ったに腐心する。刃を向けるべき相手も、妖か愚神か悪夢かと呼称に違いはあるものの、それさえ人にとっての観念に大きな差異はないように思う。
 ともかく、そうして得た糧を元に、戦がなくば人里でありふれた暮らしを営む。
 人並みの喜怒哀楽を覚え、相応に様々の出来事を感じ、日々過ごしていた。
 だが、ときにはほんの少し違うこともある。
 その日、子夜は見慣れない蝶を目にした。
 何気なく後を追うと行きつけの店を素通りし、あまり歩いたことのない道に入った。
 そして、街並みを眺めながらのんびりと散策を楽しんでいる最中、その店が目に留まった。
 恐らくこの時代には既にない峠茶屋を模した、こじんまりと奥ゆかしい佇まい。
 それでいて隅々に練度の窺える、野暮ったい古臭さとは無縁な今風の建物だ。
 何処かへ飛び去ったのか、蝶の姿は既にない。
 或いは妖の如く胸の内にそれは入り込み、気紛れを呼び起こしたのかも知れない。
 何故なら、一瞬、軒先の縁台に腰掛けて待ってみようかと悪戯心が芽生えたから。
 子夜は暫し考えた後、素直に暖簾をくぐることにした。
「御免ください」
 案の定広さのない店内には、硝子のショーケースに囲われた和菓子群、幾つかの産地とブランド毎纏められた茶葉、そして――ちょっとした装飾品や小物があった。
「――!」
 その中の、窓明かりを反射した“桃色”のなにかに、子夜は右目を奪われた。
 普段ならば迷わず茶葉の品定めに移っていたのだろうけれど、このときばかりは違った。
 吸い寄せられるようにして装飾品のほうへと向かい、それを間近に見た。
 丸みを帯びて鮮やかな花弁は優しいのに、どこか余所余所しい。これが八重を連ね、葉と茎を模したピンを覆うようにしてなだらかに流れた姿は決して派手ではなく、寧ろ色合いに対してはひどく控えめで、しおらしくて。
 気がつくと、手に取っていた。
 紬姿の店員に宜しければと鏡を示されれば、つい、その前へ歩み寄ってしまった。
 篝火花で髪を飾った自らを表裏逆の彼方側に見たとき、去来したのは少女のこと。
 安らかな夜、傍に在ったあの温もり。


●黎夜色
「簡単には捨てられない、か」
 寒々しい闇夜に思い返し、知らず口許が綻ぶ。
 此処には勿論、あの世界にさえ、もう彼女はいないというのに。
 どうやらそうなのだと認められたことは、しかし存外悪いことではないように思えて。
「……なんだ」
 はたと気付く。
 篝火が篝火足り得るのは、こんな黒い闇があるからだ。
 瞑っても、瞑っても、尽きることなく、いっそ永らえるものなのだ。
 ならば、この花の色の名は唯ひとつ。
 恐らく人に話したとて到底理解は得られまいが、全く構わない。
 何故なら、この色は、その言葉は、三千世界に於いて子夜の為だけにあるのだから。
 髪留めを太腿に乗せて、子夜は今一度手帳を取り出した。
 そして、先ほどの頁にたった一言したためると、後は冷たい静寂に満ちた空を、ただ見上げて過ごした。

 黒い、黎い夜空を、ずっと。



━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
 登場人物
【la3066 / 黒帳 子夜】

 【IE】のご依頼まことにありがとうございました。工藤三千です。
 「シクラメンの髪飾り」に纏わるエピソード、お届けいたします。

 Gの拙作シナリオで子夜様を拝見して以来、必ずしも同一ではないのだろうと思いながら、それでもあえてこの場は匂わせる以上のなにかを表現すべきと考え、このようにしております。
 胡乱な視点に芽生えた温もり、お気に召しましたら幸いです。

 解釈誤認(今回は特に!)その他問題等ございましたらお気軽にお問い合わせください。
 それでは。
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グロリアスドライヴ
2020年01月14日

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