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『淵の黒』
白鳥・瑞科8402

 人に仇為す魔を退治、世の穏やかなる夜を護ることを担う“教会”。
 その剣たる武装審問官がひとりにして最高峰、唯一無二と謳われる白鳥・瑞科(8402)は、今も護るべき夜の内をひとり進んでいた。
 彼女のガーターベルト付きニーソックスと白きロングブーツで鎧われた足が歩を刻む先には、強敵がある。
 供を連れることなく、友に託すこともなく、ただひとり、彼女は行く。誰にも胸躍る死闘を分け与えてやるつもりはなかったし、その中で得る勝利も敗北も、噛み締めさせてやるつもりはなかったから。
 わたくしがもたらすものもわたくしにもたらされるものも、すべてはわたくしだけのもの。そういうことですわ。

「お待たせいたしましたかしら」
 足を止め、蕩けるような笑みを向けてみせれば――透けた体を持つ人外はぶるりと頭を震わせてみせた。いや、奮わせたのだ。
 それで知れる。この人外も瑞科と同じく、死闘を望んでここへ来たのだと。
 さあ、比べ合いましょう。わたくしとあなたのどちらが相手を躙り、見下ろせるものかを。
 瑞科は背の半ばまでを包むマントを翻すと同時、左に佩いていた長杖を抜き放った。上着に浮き彫られた美しき肢体、そこから匂い立つかのごとくに魔力沸き立ち、ミニ丈の黒きプリーツスカートを波打たせる。
 ボディラインをそのままに描き出す装備群は、彼女に地獄へ送られるものへの送り火。現世で最期に見るものこそ、せめて美しくあれとの瑞科の傲慢なる慈しみであった。
 彼(か)の方にとっては蹂躙し、侵し犯す贄でしかありませんでしょうけれど。
 くつくつ喉を鳴らし、瑞科は電撃を撃ち出した。立場としては彼女こそが挑戦者だ。先手を打つのは礼儀というものだろう。
 対して人外は防御も回避もせず、ただそれを受け止める。ぶるり……ひと震えしたばかりで、傷を負った様子はなかった。
 電撃耐性、ではありませんわね。瑞科は踏み込ませた足を横へ流し、間合を中距離に保つ。
 あの人外には電撃ばかりでなく、おそらく重力弾も物理攻撃も効きはすまい。人型を取ってはいるが、元が不定形であることはまちがいない。
 スライムと云えば初級冒険者の敵ですのにね。
 RPGでは雑魚扱いであることの多いスライムだが、実際にはほとんどの攻撃をその粘液状の体で無効化するばかりか、自在に獲物を絡め取って引きずり込む強力な捕食者だ。経験を積んだ高位の個体であれば、その脅威値は天井知らずに上がる。
 さっそく人型を解いた人外へ苦笑して、瑞科は自らの足下に重力弾を叩きつけた。これは攻撃のためでなく、足下へ雪崩れ込まれないための“縁”を作るがためのもの。
 自らの“端”をせき止められたスライムはわずかに泡立ち、その端を逆巻かせた。凄まじい速度で跳ね上がった粘液の槍が瑞科の肩当をこすり、じりりと焦す。
 ああ、酸を帯びていますのね。
 それを見るためにあえて肩で受けた瑞科は今度こそ跳びすさり、間合を開いた。
 スライムはそれぞれに特性を持つものだが、この個体は強酸を生み出す能力を備えているようだ。教会の最新装備をも侵すほどの代物を。
 いや、それだけなら大した問題ではない。問題は、戦闘センスの高さだ。戦い慣れているのだろうスライムは、あらゆる手を尽くして獲物を搦め取りにくる。
 ひと度まとわりつかれればもう逃げる術はない。骨を砕き折られ、肉を潰され、血と共に吸い尽くされるばかりだ。
 スライムは瑞科へ、地を舐めるように押し寄せた。サイドステップで回り込みつつ、重力弾を1、2、3、続けて撃つ瑞科に対し、体から幾本もの触腕を飛ばす、
 先の瑞科のやりようから、防御のために重力弾を撃ち、防壁を築くことは察していた。“眼”を持つものは視覚情報に大きく依存するもの。壁が成されればそれはそのまま、瑞科の視界を塞ぐ。高さを出さずに迫ったのも、彼女に下方を意識させるための策だった。
 果たして地より迫り出す壁、その上と左右から触腕を回り込ませたスライムだったが、触腕がその動きをがくりと止めた――重力弾の壁に吸い寄せられて。
 それは瑞科のしかけた罠だ。最初に撃った重力弾はスライムを弾くため、外へ重力を働かせていた。しかしこの弾は逆に、内へ重力を落とし込んでいる。外へ弾かれることを織り込み、回り込まされた触腕を騙すには十二分の重さがそこにはある。
 搦め手を使うのはあなたばかりではありませんのよ?
 電撃を灯した長杖を突き込み、瑞科は強く踏み出した。視覚を持たないスライムに死角はない。ならば、どこから攻めたとて同じことだ。
 スライムは電撃に震えながら体を泡立たせる。瑞科の攻撃手段は電撃と重量弾、加えて体術といったところか。どれを使われたところで、この体を侵すことはかなわない。
 さあ、捕まえた。
 杖を巻き取って締めあげ、砕きながら、瑞科の腕へと速やかに這い上がる。
 手首を巻き取り、前腕を押し包み、二の腕を飲み下して肩まで――そして、気づいた。自らの酸が瑞科をまるで焼いておらず、締め上げているはずの彼女の腕をへし折ることもできていないのだと。
「わたくしの攻めはあなたの体を傷つけられない、そうですわね?」
 慌てて力を込めてみて、スライムはようやく現状を察する。外へ向けて押し出されていること、そしてわずかに揺らされていることに。
 瑞科は自身の腕に重力弾を這わせてコーティングすると共に、重力を外へと向けてスライムを阻んでいた。
 そして、電撃だ。杖が折られるにつれ発生源である彼女の手へ引火ならぬ引電し、ついには腕に灯って、こうして揺らぎを為す。
「あなたがあなたであるための核はどこですかしら? いくら体が無敵であろうと、実体を成す以上はかならず存在するものですわね?」
 重力弾の防壁を滑り落ちる、新たな重力弾。それは内へとスライムを引き込み、縫い止めた。
 捕まえたのではない、捕まったのだ。思い至ったときにはもう、スライムに為す術はなく。体を電撃に探られ、重力で押し退けられたことで、最奥に隠した核が露わとなって……
「わたくしが躙ることのできる骸は、残りそうにありませんわね」
 瑞科がため息と共に繰り出したナイフで核を貫かれ、そのまま焼き滅ぼされる。
 スライムだったものは彼女の言葉通り残ることなく、びじゃりと落ちたあげくに土を焦がしながら蒸発、消え失せた。

「縁を繋ぐことはかないませんでしたのね」
 つまらない顔で言い捨て、瑞科は踵を返した。
 今回の敵は、彼女にとって手加減すらおぼつかない程度の相手だった。もう少し強ければあえて滅ぼさず、逃がしてやることもできたのに。
 瑞科にとって戦いは悦楽。一度は彼女に敗北した敵がより強大な力を得、再び逢いに来てくれることこそが彼女の願いだった。そうなれば、より深い愉悦を味わえるだろうから。
 早く逢いに来てくださいまし。私が枯れ果ててしまう前に、どうか。
 星に不遜な願いをかけ、瑞科はたまらない眼を闇へと向ける。そこに幻(み)えるかつての敵方(あいかた)の様にわずかながら無聊を慰められた彼女は、ようやく歩きだすのだ。
 そして。その先にあるものもまた、闇。
 彼女が自らの傲岸と不遜とで頂を踏み外した途端に転げ落ちていくのだろう先――それを示すように底知れず深い、淵のごとき黒であった。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年01月14日

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