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『境界線の向こう側で』
柞原 典la3876

 物珍しいのだと装い横を見れば、結露した窓ガラス越しに家々が近付いては遠ざかっていく。今はまだ点いていないが、戻る頃にはきっと外壁の電飾が赤や青に光り輝くのだろう。何せ今日はクリスマスだ。この日が終われば用無しとばかりに消えるだろうそれらに興味はなかったが、こうしていれば景色を楽しんでいるものと思い、お人好しを絵に描いたような彼らは声を掛けてこない。ラジオから流れるメリークリスマスを無視して、柞原 典(la3876)は車内という密閉空間に他人と一緒にいる、その慣れない感覚から逃れるように僅か身じろぎし、窓ガラスに映る自分を見つめる。薄く曇ったそこに映る顔がどんな表情か我ながらよく分からなかった。

 児童養護施設はあくまでも一時的な生活場所であり、幾ら少子高齢化が危ぶまれる昨今といえど、満十八歳に至るまで入所し続ける子供は多くない。そもそも典のように身寄りのないケースはごく稀で、その少数も不妊症などの理由で実子を望めない夫婦――里親と巡り合い、養子になることが殆どだ。現在中二の典さえ子供なんて面倒だとしか思えないが案外需要はあるもので、典がいる施設にも里親の話が舞い込み、そして実際その内の何人かは引き取られていった。ただ典がこうして里親候補に声を掛けられる機会は、他の子供と比べると目に見えて少ないだろう。理由は自分でも察しているように、容姿が目立ち過ぎること――その一点に尽きた。『普通の家族』を望む場合、己のそれは不釣り合いらしいのだ。妻のほうが熱烈なくらいに希望しても、夫が猛反対し声を掛けられるまでに留まったことも何度もある。まあやめておくのが正解だろうと、どこか他人事のように自ら思っているが。……しかし今回は珍しく、交流期間も終わりが見える今に続いていた。
 ほら遠慮せんと入って、と車を降り玄関を眺める典の前で目尻に幾重もの皺を刻んだ老婆が、扉を開き中へと招く。それに典は、ありがとうございますと敢えて方言を使わず頭を下げて応えてから、また淡く微笑みの形に表情を繕い、若干重く感じる足を一歩前へ踏み出した。動かしてしまえばぎこちなさはすぐになくなる。背後で車を運転していた夫の方も続く足音が聞こえた。養子縁組を前提とした里親候補にしてはこの夫婦は年嵩だが、聞いた歳より若く健康に見える。
 一軒家に上り込むのは慣れていない。穏やかで顔色を窺う空気はない声に耳を傾け、相槌を打ちつつ案内されたのはリビングだ。テーブルの上の食事の準備より、隅に置かれたクリスマスツリーが典の目を引く。見るからに真新しいそれには様々な種類のオーナメントがつき、夫が腰を曲げコンセントを差し込めばイルミネーションがチカチカ明滅し、施設の物より余程上等なツリーを典は薄く唇を開いたまま見つめた。典くんと呼びかけられて我に返る。見れば老夫婦はサプライズが成功したというように顔を見合わせて微笑むと、妻は今すぐご飯用意するから待っといて、とキッチンに向かい、夫は折角やし近くで見とってええよと、典をツリーの前へ誘った。肩に置かれた手に這うような動きはない。
「……綺麗、やなぁ」
 腕を目一杯伸ばしても届かない、そんな距離で立ち止まり呟く。それを聞いた夫が、隣でそうかと返して、その声音で実際に顔を見ずとも喜色を浮かべているであろうことが伝わってきた。
(この人らはなぁんも分からんのやろうな)
 笑顔の裏側もその言葉の意味も。湧きあがる感情を唾液と共に飲み干せば、口内に微かな苦味が広がった気がした。

 食卓は笑い声で満ちている。仲睦まじく、もう何十年もこの地域に住んでいるという彼らは自己紹介代わりに自らの話をしながらも、時折典にも話題を振ってくる。捨て子なのは知っている為、質問は主に施設や学校でどんなふうに過ごしているかという本来なら如何にも当たり障りのない内容だ。ただそこには値踏みする裏が感じられない。一人の子供として気遣えども哀れんではいない――そんな。それに対し典は現実の自分とはまるで違う、老夫婦が想像していそうな子供らしい子供の虚像を演じる。友達と馬鹿やって笑った、施設職員と約束をして成績を上げようとテスト勉強に励んだ等々と、いつか誰かの部屋で読んだ本を思い起こし。
 ――ふとスプーンを口に運ぶ手が止まる。食卓に並ぶ料理は育ち盛りの子供が食べるのだと張り切った結果多過ぎたと言っていたが、それ以前に、クリスマスを共に過ごそうと家に呼ばれた時から続いていた違和感が不意に隠しおおせないほど膨らむ。自然と、この場にいるのが当たり前のように新品の湯呑みにお茶を注がれた途端に弾けた。ガチャンと音をたて転がったスプーンがシチューをテーブル上にぶちまける。もはや体裁を取り繕うことも頭になく、典はせり上がる嘔吐感を凌ごうとして蹲った。慌てて呼びかけてくる老婆の声に掻き消されそうな弱さでかろうじて典は呟いた。
「……ずつない」
 その言葉を老夫婦は食べ過ぎて苦しいと受け取る。しかし現実はそうではなく、彼らのその屈託のなさが典にとっては毒だった。典を喜ばせようと用意された料理もツリーも、どこか薄い膜を隔てた向こう側のように感じる。既に女も知った身であることなど二人は夢にも思わないだろう。
(俺にはこんな温かい家庭なんて、似合わへんやろ)
 他人は利用してなんぼのものだ。対価を求めない善意なんて薄気味が悪い。それはいわば拒絶反応だ。こうして毎日老夫婦と食卓を囲み、談笑する未来を想像すると怖気が走った。彼らにとって自身が異物であるように、老夫婦も典からすれば異物だ。決して相容れないと本能で悟る。背中をさする手に吐き気が募るのを感じつつ善良な彼らと生活するのは無理だと思い断ることを決めた。

 時が流れても典のクリスマスの過ごし方は施設を出てからというもの全く変わらないままだ。会社勤めをしていた頃は同僚や上司に女とデートかと絡まれるのが煩わしく、通常通りに働いていたが、現在は自由に調整がきく。となれば偶然鉢合わせる可能性を避けるに限った。
 サイレントモードのスマホを手に取ると、ロック画面に夥しい量の通知が来ているのが見えたが全て無視して、笑うでもなくただ無表情に指をスライドさせて電源を切る。テレビもつけず遮光カーテンを引いた室内、灯りに照らされるのはテーブルの上にある先程冷蔵庫から持ってきた酒とツマミ、まだ封を切っていない煙草といつも通りのラインナップ。そうして部屋に籠る準備を整えた典は極めつきにDVDをセットした。クリスマスとは一切関係ない音楽が流れ始める。
「なんで他人の誕生日祝いなんぞしやなあかんねん」
 とぞんざいな言い草で一人呟き、腰を下ろすとキャップを取りワインを注いだ。需要よりも供給の方が上回ったらしく、結構値張んのに安く済んでよかったわと思いつつ、口をつける。
 日本における恋人たちの一大イベントらしいこのクリスマスという日に誰か適当な女と過ごせば、自分は特別だと勘違いしたその女に何をされるか分かったものではない。学生時代にそうと身を以て知って以降、ここまで徹底した一日を送ると決めている。とはいえ外界を遮断し一人だらだらと過ごすのも、特定の日だけと思えば意外と悪くない。奈良漬けを箸でつつきつつ思う。面倒事は全部明日の自分に任せようと、そう決めた後に食べるそれは殊の外美味かった。

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ここまで目を通して下さり、ありがとうございます。
もしも女性とのあれこれを知ってしまうよりも前に
この老夫婦と知り合い養子になっていたのだったら、
まだ彼らに歩み寄れたのか、それとも半端なだけに
余計に苦しい思いをしたのかなと色々と考えました。
結局女性関係のトラブルは避けられなさそうですが、
ここがこの先の人生の分岐点になった気はしますね。
しかし翌日からまたクリスマスは一体誰といたのと
女性たちに責められそうで本当に大変そうです……。
今回も本当にありがとうございました!
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グロリアスドライヴ
2020年01月14日

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