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『濁流の剣』
不知火 仙寿之介la3450)&不知火 あけびla3449)&不知火 仙火la2785

 古い楽焼の茶碗へ注いだ桜湯は、釉の黒と継がれた金――金継ぎ。磁器の割れ、欠け、罅を漆で接着、金粉を振り固める修復法――を映した湯気を吐き、冬の寒空へ湯気の一条をたゆたわせる。
「お祝いするようなことあった?」
 空の盆を手に不知火 あけび(la3449)が小首を傾げれば、不知火 仙寿之介(la3450)は湯に泳ぐ塩漬けた桜花から視線を上げて。
「そうなるものかは蕾どもの行方による」
 仙寿之介の声音に肩を小さく跳ね上げたのは、彼と共に道場の濡れ縁へ座す息子、不知火 仙火(la2785)だった。
 もちろん、聞き返したいことはある。交わしたいこともだ。しかし、“蕾”風情がなにを言おうと言い訳になる。それだけはしたくなくて、無言を貫くよりなくて。
 そんな息子の意地を見て取り、仙寿之介は薄笑みを浮かべて仙火を促した。
「今このときに問うべきを問い、語るべきを語っておけ」
 父の言葉に仙火は顰めた眉根に一層の力を込めた。普通であれば茶を飲むだろうところを桜湯にしたのは、仙寿之介の表明なのだろう。茶を濁すような真似はしない。
 ここまでお膳立てをされればもう、意地を張って押し黙っていることはできなかった。
「……俺がキーンエッジ使ってたら、父さんはどうした?」
 キーンエッジはライセンサーの命を代償に、防御不能の一閃を為す技だ。急所に当てられるとは限らないし、相対した敵の姿勢にも当たりどころが左右されるが、それでも成果は大きい。
 しかし仙寿之介は、なにを気負うこともなくさらりと。
「おまえの打ち気を察したら急いで逃げた」
 え? 仙火は驚愕したが、夫子の間を塞がぬよう、少し引いて道場の内に座したあけびは苦笑を漏らして。
「わざわざ「急いで」って付け加えちゃうの、お爺様の影響だよね」
「不肖ながら最後の直弟子を名乗らせていただいている。師の真似をしたがるは人情だろう」
 仙寿之介が唯一言葉をあらためる存在こそ、あけびの祖父であり、先代の不知火家当主である。元の世界に在る彼は齢八十を越えてなお健在で、現当主たるあけびの代役を務めているのだが、さておき。
「間合を外してしまえば当たりようもない。それだけのことだ」
 言い終えたと思いきや、仙寿之介は仙火に肩をすり寄せた。
 息子の呼吸を読み、吸気に乗って間合を潰したのだと仙火が察したときにはもう、その左腰に手をあてがわれている。
「もしくは、こうして抜かせぬか」
 剣術ではありえぬこれは、忍術だ。仙火もまた母や曾祖父の教えを受けてはきたし、ある程度は業(わざ)も使えるつもりでいたが、特に学んだわけでもない父が、それを軽々と越えてくる。才能というものを、ひしひしと思い知らされた。
 ま、こんなことでもう落ち込まねぇけどな。俺は天才じゃねぇけど、剣を捨てたりしねぇ。全部飲み込んで濁りに濁ってやる。
 悔しさも妬みも肚に落とし込む仙火の様に、仙寿之介はあらためて笑んだ。
 固い蕾が、わずかながらほころんだ。
 そっと抱きしめ、守り育むような愛は与えてやれなかったと思う。剣を杖に己が足で立て、剣を標に先へ行け。そんな教えを言葉ならぬ背で押しつけてきたばかりで。
 しかし、誰より息子の先を信じ、見守ってきたのも仙寿之介だったから。自らの選んだ道をひたむきに進んでいこうと心を据えた仙火の様がなによりうれしいのだ。
「先の先であれ後の先であれ、先を取ることこそが肝要だ」

 語る夫の背に、あけびはやれやれ、かぶりを振った。
 胸の内ではあれこれ考えているのだろうに、いざ口に出してみればそれだけで終わってしまう。伝える才のなさは、彼の剣の弟子をしていたあけびがいちばん思い知っているのだが、父としての才の低さもまた相当だ。
 愛は余るくらいあるのに、言葉とか態度とかに変換できないんだよねぇ。ほんと、兵法とお菓子作り以外の才能に恵まれてない……。
 残念な目で夫を見やってから、今度は息子へ目を向ける。
 剣じゃ仙寿には届かない。母の欲目全開にしてそれなんだから、ほかの人から見たらどうにもなんないかな。
 でも。
 仙火は仙寿との才能の差を思い知りながら剣を捨てなかった。もったいないとか、ほかにやることないからとか、そんなことだったのかもだけど。
 この前の試合で、芯が通った。仙寿はあれだから、自分で気づいたんだよね。仙火っていう剣士がどんな剣を遣うべきなのか。
 そこまで考えて、ふと青を映した息をつく。
 ほんと、男の子ってちょっとしたことでぐいーって育っちゃう。仙火だってもう子どもじゃないんだからあたりまえなんだけど……うれしいだけじゃなくて寂しくなるの、母だからかな。
 寝転がっていたばかりだったはずがつかまり立ち、危うい足取りで歩き出して、いつしかしっかりと自分の道へ踏み出していく。引いていた手を放すことにためらいはなかったが、惜しむ気持ちを捨てられないのは母の業なのだろう。

 そんなあけびの思いを背に受けて、父子はそろそろと言葉を交わしていく。
「先を取るって言っても、父さんのほうが早いだろ」
 どうしたらいいんだよ? 仙火の問いに、仙寿之介はあっさりと答えた。
「先とは機先だ。敵の挙動の先を取る。自分が先に動くなら敵の挙動を抑え、後に動くなら敵の挙動を阻むように」
「え!? 私には『おまえの頭(かしら)は飯を食うためばかりの穴か』とか言ったくせにー!!」
 どうやらあけびも同じ問いをした過去がありながら、扱いには大きな差があったようだ。
「いや、母さんは説明しなくていいレベルだったんだろ。俺とちがってさ」
 言葉を詰めた父を助けに入った仙火の大人げへ、あけびはほろりと涙して。
「仙寿が何百年もかかってやっと覚えた気づかい、仙火はもう遣えてる!」
 嘘泣きなのはわかっているので放っておいて、仙寿之介は言葉を重ねた。
「さて。敵に先を読まれればどうなる?」
 仙火は先の試合を思い出す。ふたりがかりで挑んでいながら先を読まれ、すべてを外された。あれ、やたら疲れたよな。そりゃそうだ。空振りは疲れるんだから。
「最初っから打たせてもらえねぇか、わざと打たされて空振りさせられるよな。さっきみてぇに」
 仙火の理解を受け、仙寿之介は両手で正眼の構えを作ってみせた。
「機先とは意志が発する気配――においだ。おまえもあの蕾も攻めることに必死となり、機先を強くにおわせた」
 息の継ぎ目に滑り込んできた父の手刀を掌で受け、仙火は苦い顔でうなずいた。
 俺の濁りはほんと、拙かったってことだ。フェイントが実際の攻撃だけでしかけるもんじゃねぇのは知ってるはずなのに、さっぱりできてなかったじゃねぇか。
「蕾は最後に一条を為したが、成せたわけではない」
 これはわかる。
 決着の直前に仙火の相方たる少女剣士は無心を為し、機先におわぬ“一条”を放ったのだが、あれは仙火が濁りとなって彼女を隠し、その裏で時をかけて雑念を削ぎ落とせたからこそのものだ。
「清濁を併せるまで達したはいい。だが、おまえたちはまだ互いを生かせてはいない」
 仙寿之介はそもそも、受け返すことを軸にした柔剣の遣い手であったという。敵の技をすかし、弾き、巻き取って、最後に斬る。受けの手は攻めの手によって変化するもので、だからこそ彼は機先を読むに長け、自らを無心とすることを常としてきたのだろう。
 無縫ってのは攻め手に目が行っちまいがちだけど、根っこは柔剣なんだ。
 と、仙火は思い至る。
 攻め手に一条を隠す俺が行く剣の道は、剛だ。父さんの無縫は行くべき先じゃねぇ。
 突きつけられた父の剣を継げぬ現実は重かったが、不思議なほど衝撃はなかった。わかろうとしていなかっただけで、最初からわかっていたからなのかもしれない。
 しかしだ。それを最初から知っていたはずの仙寿之介は、なぜあのとき「焼きつけておけ、俺の剣を」と言った?
 惑う仙火に言葉をかけようとあけびが膝を浮かせるが、仙寿之介に制された。
 これよりは仙火の剣の道だ。唇の動きで妻へ告げ、待つ。
「父さん。俺はどうしたら」
 今度は仙火を指先で制し、仙寿之介は悠然と告げたのだ。
「おまえの頭は飯を食うためばかりの穴か」
 驚きや怒りより、喜びが仙火の胸に沸きだした。そうか。ここからは俺が編み出さなくちゃならねぇってことだ。
 父が手を放してくれたのは、仙火を剣の道行く士として認めたからこそ。母とはちがってずいぶんと世話を焼いてもらった末のことではあるが……仙火は昂ぶりを鎮め、頭を巡らせる。

 そもそも濁るってのはなんだ?
 一条の実(じつ)を包み隠す虚、だよな。濁れば濁るほど実の一条は隠れるし、隠してるからこそ一条は敵の目をかいくぐってはしる。
 でも、父さんの剣はどうだ? 全部が濁ってて、全部が清んでて、全部が一条だ。
 ああ、そうか。ばらばらに考えてるからだめってことか。
 心技体は心と技と体じゃねぇんだ。心技、技心、心体――ふたつ噛み合わせて、それができたら心技体をひとつに噛み合わせなきゃ。それができれば、虚と実もひとつに合わさって、一条になる。濁った剣が全部一条になったらもうかわせねぇ。飲まれて溺れて、沈むだけだ。
 果てなく濁ることによって敵へ押し寄せ、逆巻き、巻き取って圧倒する、言わば濁流剣。それこそが自分の先だ。

 思いに沈む仙火の顔からゆるやかに視線を外し、仙寿之介は桜湯を干した。
 たとえ息子といえど心の内までのぞき込めようはずはないが、それでも剣について思い、なんらかの答へ辿り着こうとしていることは知れる。邪魔をしたくなかった。
「……あけびには忍の業があった。それを辿ればおのずと己が正解へ至るはずと、そう思っていた」
 先の絶叫への返答のつもりなのか、仙寿之介がふとあけびへ投げかけた。
 対してあけびは大きくため息をつき。
「ちゃんと言ってくれてたら、いろいろとかなりちがったはずなんだけどね」
 教える才のなさもあって、仙寿之介の指導はただひとりの弟子を打ち据えるばかりのものだった。学べる才があるなら勝手に学べという程度の心づもりで、教える気などなかったのではないかと思えるほどに。いや、半ば以上はそうなのだろう。
 しかし、おかげで忍の業を練り合わせた剣技に開眼できたのだから、結果的には教えられたのだとあけびは思うことにしている。
「あのころの俺は拙かった。今にしてみれば目を覆いたくなるほどにな。いや、それは今も大したちがいはないのだろうが、それでもだ」
 自らへも甘い目を向けることなく、仙寿之介は嗤い。
「俺はおまえとの縁をきざはしに、多くの師を得ることができた、ご隠居を始め、友誼を結んでくれた同じ道ゆく師を。そうであればこそ、俺の不遜なばかりの無手勝は無縫へ至ることができた」
 師と呼ぶ者たちへの敬愛を込めて、仙寿之介は結ぶ。
 そうだ。言葉通りの拙さはあれど、仙寿之介もまた成長しているのだ。そうでなくば若き己など躊躇なく両断していただろうし、先の試合においても仙火や相方の少女剣士の心を斬り折っていたはず。
 それを自らにさせず、先達として後陣に先を示したのは、彼が人としての円熟を得られたからこそ。
 でもね、そうなれたのって、仙寿に勇気があったからなんだよ。変わるのは誰だって怖いもの。だけど負けずに頂の峰へ踏み出したから、仙寿は今の仙寿になれた。
 愛しさを込めて仙寿之介を見やり、あけびはふと問うた。
「そういえば、そろそろ流派に名前つけたりしないの?」
「それもいいだろうが、無縫に名を縫いつけるも無粋だろう。名づけが要るなら仙火に任せる。次代に継がれるは俺の剣ならぬ仙火の剣だからな」
 うん、そうだね。
 あけびは仙寿之介に、そしてなんらかの考えをまとめて立ち上がった仙火に、小さくうなずいた。

「多分まだ少ししかできねぇけど、見てくれ」
 仙火は稽古が行えるよう押し固めた庭土を躙り、木刀を崩し八相に構えた。
「おまえの問いに答えるがため、俺はここに在る」
 対する仙寿之介は一応正眼に構えてはいたが、力は見事に抜けている。試合のときと同じく、あえて受けてやるつもりがないことは明白だ。
 すべてが隙であればこそ隙のない仙寿之介の様に、仙火は感動を覚えずにいられなかった。やっぱり父さんはすげぇ。天才ってのはこういう奴なんだって、思い知らされるばっかりだ。
 でも。俺がこれだけは父さんより恵まれてるってことがある。
 俺には生まれたときから父さんがいてくれた。迷いと悩みと絶望と、その先の不屈、全部父さんが俺にくれた贈り物だ。それになにか返せるなんて思い上がったりしねぇけど。
 俺はここから、俺の剣の道を行く。それだけはちゃんと伝えるよ。
 仙火はまっすぐに踏み込み、木刀を振り下ろした。当たるも当たらぬも考えたりはしない。どれほど避けられようと踏み込み続け、息つく間も置かずに斬り下ろし、横薙ぎ、斬り上げていく。
 すべてに必殺の力がこもっているが、おまえの攻めが試行ならば当然この先があるのだろうな?
 仙寿之介は連撃をかわしてきた足に力を込めて踏みとどまり、頭を後ろへ反らして突きを避けつつ踏み込んだ――と、突いたはずの仙火の木刀が、下へ振り下ろされた。
 仙火の木刀を支える手は右手ひとつ。左手は柄から放されていて、さらに奥へ置かれていた左足を前へ出すことで左手もまた前へ。木刀の峰の半ばを叩きつけられるほど、前へ。
 仙寿之介は仙火の木刀の腹を自らの木刀で払い、ああ。得心した。
 おまえの意図は、俺に払わせることか。攻めの濁流に機先を隠し、剣の“足がかり”を得ることが。
 果たして仙火は弾かれた反動を転じ、体を深く沈めて木刀を薙ぐ。足を払えずとも、跳ばせることはできる。そうなれば地に足をつけた自分が優位。
 真剣ならば鍔のあたりに脚を差し込んで横薙ぎを止めた仙火は、伸び上がりながら木刀を斬り上げた。
「己の機先を制せたならば、次は敵の機先を読め」
 斬り上げたはずの木刀が、半ばで止められていた。仙寿之介の木刀の刃という線ならぬ切っ先という点に。
 もうさすがだぜってしか言えねぇよ。苦笑する仙火に仙寿之介は薄笑みを返し。
「剣閃を変える虚の手はいい。物にしてみせろ」
 三日月蹴りに顎先を蹴り飛ばされながら、仙火はうなずいた。
 ああ。父さんだって押し切れる濁流、完成させてみせる。

 意識を失った仙火を担ぎ上げ、仙寿之介はあけびに言った。
「仙火は俺に届くぞ。いつかきっとではなく、いずれかならずだ」
「うん」
 返しておいて、あけびもまた目を細めた。
 仙火はほんとに自分の道を歩き出したんだね。私と仙寿は見送ることしかできないけど……心で仙火の背中を押し続けるからね。
 冬過ぎれば春来たる。
 仙火という蕾が開いたなら、果たしてどんな花を咲かせるものか……仙寿之介とあけびはそのときを待つ。


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2020年01月14日

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