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『蟷螂斧・終い』
水嶋・琴美8036

 自衛隊の特務統合機動課に所属する水嶋・琴美(8036)は、今夜も戦闘服をまとう。陸海空、いずれの隊のものでもありえない、対人外用の特殊装備を。
 防刃繊維で織られた黒のスパッツに両脚をくぐらせて腰まで引き上げれば、やわらかくありながら締まった肉の重さが艶やかに描き出された。
 その尻をミニ丈のプリーツスカートで隠し、スパッツと同じ素材でしつらえたインナーをつけた豊麗たる上体へは袖を半ばで墜とした和装を被せる。けしてボディラインを浮き彫るものではありえないのに、隠すことでかえって強調してしまうのは、ある意味皮肉と言えよう。
 上下の装備を帯で締め繋いだ後、膝までを覆う編み上げブーツと手首で止まるグローブで四肢を鎧えば、すべての準備が整い――彼女は戦場へと踏み出していく。

「ご指名をいただいたようですが」
 冬の夜気で冷やされた雨のただ中、琴美が小首を傾げて言えば、“それ”は外殻に鎧われた面をぎちりと上げ、嗤った。
 ああ。あんたを無視していっちまったら、せっかくの寝覚めにケチがついちまうからね。
 声音ならぬ振動が、琴美の骨を揺らして意味を紡ぐ。
 人外の血を目覚めさせたことで蟷螂の性(さが)を得、日本転覆を目論むものどもの一員となった“黒蟲”。琴美に斃されたはずの彼女が今、一層の力を得て――人の理からさらに外れた姿を晒していた。
 サイズ自体に変化はないようだが、虫であればやわらかいはずの腹までも分厚い外殻で覆い、関節部もまた装甲の折り重ねで守る蟷螂は、膂力の増加によって元の迅さを保っているのだろう。問題は攻撃力だが、それもまたいや増していることは確実だ。
「人の姿にも私の先達にも、もう戻れないのですね」
 あんたを殺すためだけに淵から這い上がってきたよ。数え切れないくらい同胞と死合って、喰って、力を得て……今じゃ人からも魔からも追われる身の上さ。
 琴美は雨を見上げ、息をついた。ため息ではない。体内にわだかまる錆びた空気を吹き抜き、新鮮な空気という燃料を丹田へくべるための準備。
「贖えるよう努めましょう。私の一分を尽くして、今度こそあなたを滅します」
 言うやいなや、琴美は後ろへ跳んだ。長く伸ばした黒髪が跳ね、主を追って後ろへ引いたが、その先がコンマ2ミリ、闇に飲まれて散り消える。
 保っているどころか、迅さも増しているようですね。
 タイミングを計って大きくかわしたつもりが、髪先とはいえ捉えられた。
 黒蟲は元々、剣士。両腕の先に備わる鎌は、抜き身ながら居合剣さながらにはしる。これもまた、黒蟲が得た力ということなのだろう。琴美を斬るためだけに研ぎあげ、数多の人外を相手取って澄ましてきた業(わざ)。
 折り畳んだ鎌の関節に重心を乗せ、上体を揺らめかせる黒蟲に、琴美は笑みかけた。
 あのときのように降る雨の中、あのときのような邪魔のない戦場で、互いの技と業とを比べ合う。この上ない尋常です。
 以前の決闘は狭い路地だった。琴美があえて選んだからこその場ではあったが、ここは身を隠す障害物も足場にできる突起物もない広場だ。
 頼れるものは、この体に染みこませた兵法ひとつ。

「しぃっ」
 息吹から拍をずらし、琴美は身を沈めて黒蟲の左中肢を右の水面蹴りで払う。
 黒蟲は避けない。あえて払わせておいて、畳んでいた鎌を琴美の首へ放った。肢の支えを損なっていればこそ体はバランスを崩して傾いだが、その落下力を乗せた一閃はまさに、奇襲と強襲を併せた抜き打ちを為す。
 受けてしまえば押し斬られる。琴美は回転を止めず、さらに低く、顎先が地をこするほど身を縮め、鎌をくぐりながら黒蟲の右中肢に苦無を斬り込ませたが。
 硬い外殻に刃は弾かれ、さらに転がり落ちてきた黒蟲の体が彼女を押し潰しにかかった。
「っ」
 咄嗟に背を地へ投げた琴美は黒蟲を蹴り、ボディプレスを滑り抜けた。雨で濡れた地面でなければ、抜け出しきれずに終わっていたかもしれない。
 手を選ぶことなく、必殺だけを為す。それがあなたの業ですか。
 ヘッドスプリングで立ち上がった琴美はそのまま前へ踏み出し、両手の苦無を逆手に握り替えた。
「しかしこれはあなたの尋常の“技”ではないでしょう?」
 見せてください、あなたの剣技を。
 琴美の言外に含められた誘いへ、彼女と向き合う黒蟲は乗った。
 あたしの尋常を見て、まだ笑えるかい?
「答を魅せられるものか、お試しを」

 始めから知れていた。この苦無の攻めで黒蟲の外殻を損なうことはかなわない。それに、たとえ外殻を割れたとしても、黒蟲を“斬る”ことへは繋がらない。斬るためには、殻、肉、心、すべてを断つ必要があった。
 挑むだけの価値があることを祈るばかりですね。
 息を絞り、まとわりつく雨へ溶け込むかのごとくに心身を鎮めて琴美は待つ。
 と。
 ちりっ。雨ひと粒が弾け飛び、右鎌が抜き打たれた。
 苦無で固めた左の前腕で鎌を流し、爪先を前へ送り出す中で左鎌が飛んできて、これを右の苦無で弾いて爪先を地へ下ろす。わずか数ミリの前進が為され、そこへ先と軌道をずらした左鎌が襲い来た。迷うことなく右の苦無で抑えた琴美はまた爪先を送り出し、斬り上げられた右鎌へ対し、膝に沿わせた左の苦無でがっきと受け止める。
 また数ミリを進み、奔放な軌道を描く鎌を弾き、いなし、流し、数ミリ進んでを繰り返すが。いつしか琴美の足は止まっていて、黒蟲は嗤う。
 ずいぶんお疲れみたいだけど、まだ踊れるかい?
 琴美が返したものは艶やかな笑みだ。
「さすがに合わせるのが精いっぱいでしたけれど」
 けれど? 黒蟲が疑問を発するより先に琴美は答えていた。
「ここまで来ればあなたへ届きます」
 すべてを悟り、黒蟲が人ならぬ面をざわめかせる。
 数ミリの前進を重ね、琴美は今や彼女の眼前に至っていた。鎌の連撃に裂かせることなく、苦無の刃が十全に届く間合へまで。
 合わせるのが精いっぱいなんだろ!? だったら!
 琴美の死角を突き、一閃させた鎌が、じょぐりとしか言い様のない異様な手応えを黒蟲へ伝えてきた。これは肉を裂く音などではない。もっと硬いものが、同じほど硬いものに斬られる音――鋏のごとく交差された苦無に、鎌が挟み斬られる、音――
「居合は体を据えて初めて抜き打てるもの。そして一閃で必殺を為そうとすれば、いくら肢が4本あろうと、右と左の鎌を同時に繰ることはできない」
 同じように残る鎌を挟み斬られた黒蟲は、残された顎を振り上げ琴美へ突き込んだ。くわえ込めさえすれば、どこだろうと噛み砕き、損なわせて、死合にばかりは勝利できる。
「斬りにきてほしかったのです、尋常の“技”で。そのために敵を惑わし、陥れる忍の“業”を尽くさせていただきました」
 ああ、あたしはまんまと嵌められたってのか。攻めを殺されて鎌を殺されて、こうして心を殺されるために。
 振り下ろした頸を迎え入れたのは、琴美の首ならぬ交差した苦無だ。こうなっては避ける術もない。黒蟲は自らの勢いをもって刃を外殻へ食い込ませ、そのまま首を断ち落とされた。

 当たり前の勝利を得た琴美は、今度こそ蘇らせぬよう黒蟲の頭を躙り潰し、骸ごと燃やし尽くす。
 その炎の内に、焼かれる自らの様を幻たのはただの気のせいだろうか。
 どうでもいいことですね。追いつかれるようなことはありえませんから。
 肩をすくめ、琴美は次の戦場へ向かって歩き出した。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年01月21日

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