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『ハウスメイドの午前』
水嶋・琴美8036

 水嶋・琴美(8036)はティーポットへ蓋をし、さらにティーコゼー――ポットを保温する綿入りのカバー――をかぶせて、食卓までの時間を計りつつ歩き出した。
 進むにつれ、ワゴンに乗せられていた空の皿へオムレツや野菜のスープ、クロックムッシュなどの朝食メニューが盛りつけられていく。
 まあ、行儀はよろしくないが勘弁してもらいたい。なにせこの屋敷にいる使用人は彼女ひとりきり。効率と結果を両立させるには代償もまた必要だから。
「おはようございます、みなさま。朝食をお持ちしました」
 彼女を迎えたのは、雇用主であり、近年進められている光学系のテクノロジー革命、その一端を担う複合企業のオーナー兼CEOでもある紳士と、その3人の子らである。
 食べ始めた一家へミルクティーを用意してやりながら、琴美はやわらかに笑む。
 奥様のご遺志、私が十全に果たします。ですのでどうぞ、心安くお眠りくださいまし。

 そもそも琴美は、ライバル企業から送り込まれた暗殺者だった。しかし、この家へ使用人となって潜入し、調査を進める中で、CEOの企業とライバル企業のどちらが世界にとって必要か、そしてCEOとライバル企業のCEOのとちらが正しい義をもっているのかを知ることとなったのだ。
 そればかりではない。CEOとそれを支えてきた奥方の厚情は、生まれてより一度として与えられたことのなかった琴美の心を対句やさしく揺すぶり、解いてくれた。
 だからこそ琴美は決め、病の中で息を引き取ろうとしていた奥方へ誓ったのだ。みなさまの毎日、この私がお守りいたします。
 果たして琴美は使用人として一家の生活を支え、CEOの企業を吸収してその技術を軍事転用せんと目論むライバル企業の執拗な攻撃を退ける守護者として一家の安寧を保ち続けている。

 防弾防爆仕様のセダンでCEOを会社へ、子らを学校へ送り届けて戻った琴美は、すぐに清掃を開始する。
 家の雑事をしてくれる業者を入れようかというCEOの提案もあったのだが、丁重に断った。人は悪意ある他者に利用されるもの。たとえその人自身に悪意や自覚がなくともだ。少なくとも直近の問題が片づくまでは、他者の介入を最小限に抑えたい。
 午前いっぱいをかけた清掃とトラップの確認を終えたころ、呼び鈴が鳴る。カメラでチェックすると、馴染みの宅配業者の顔が映しだされていた。
「すぐに参ります」

 門前に横づけられたワゴン車まで、庭を突っ切って52秒。そろそろ庭木の剪定も必要ですね。そんなことを思いながら、万円筆を手にした琴美は通用門をくぐり。
「そろそろ撃たれますか? それとももう少し引きつけてからとお考えですの?」
 業者の男へ艶然と笑みかけた。
 虚を突かれた男がぎくりと動きを硬直させる。
 CEO暗殺を為すために琴美という盾を排除する、そのために丸1年をかけ、この家へ荷物を運び続けてきたのだ。なのになぜ、見抜かれた? しかも俺は戦闘員じゃないってのに!
「これまで少しずつ、カメラの映角を探ってらしたでしょう? ご自身の立ち位置と車の置き位置を変えて。それでわかりました。今日がそのときだと」
 琴美の豊麗たる肢体を包むニコレッタメイド衣装、そのミニ丈のスカートが躍り、ガーターベルトと編み上げブーツで鎧われたしなやかな脚が顕われた――その瞬間。
 足下へ落とされた万年筆が蹴り出され、カメラの死角ぎりぎりの位置へ停められたワゴンの後部ドアへ飛ぶ。すると、ちょうどカーゴから転がり出ようとしていた兵の突撃銃を弾き、男のバランスを崩させた。
「あなたには顛末を見届けていただきましょうか」
 業者を装っていた男の背後へ滑り込んだ琴美はその腎臓を膝で突き、激痛でうずくまらせておいて、銃を構えなおした兵へと踏み出した。
 当然のごとく、兵はひとりではない。全部で4人。仲間の介抱へ向かわず、車から素早く降り立ち、展開する。
「同乗してこられてさえいなければ、もっとお見事なフォーメーションを拝見できたでしょうね」
 こちらの警戒を防ぐため、同じ車に詰まってくるよりなかったことが、惜しい。本気で琴美が思っていることを察した兵らは、苦い思いをバラクラバに隠したまま攻撃を開始したが。
 琴美は3連射をするするとくぐり抜け、兵らへ迫る。それは最初の兵が加わった4連射になっても同じことだ。互いの死角をカバーしての十字砲火が、歩いているだけの相手になぜ当たらない!?
「銃口から身を外していれば当然、銃弾をもらうこともありません。それよりも弾倉の交換はよろしいのですか?」
 そんなことができるのか!? 驚愕する兵らは、自らがリロードする間も与えられぬほどのプレッシャーを受けていたことにようやく気づき、気づいたときにはすべてが遅すぎたことを悟った。
 兵らのただ中で歩を止めた琴美が、巡る。左右でくくった黒髪が横一文字を描き、その線が円を為したときにはもう、鳩尾を蹴り抜かれたひとりめと首筋を打ち据えられたふたりめが崩れ落ちていて。
 咄嗟に銃から手を離し、ナイフを抜き出した三人めと四人めが、左右から琴美へ覆い被さった。体格はこちらが遙かに上だ。最悪、掴めさえすれば逃がさない。
 琴美はナイフの突きをかわしながらメイド服の襟を掴ませ、自らの体を斜めに捻る。ただそれだけで三人めが宙へ跳ね飛び、四人めを巻き込んでアスファルトへ叩きつけられた。
 そのときに、三人めはようやく思い到る。襟を掴まされたのだと。
 琴美のブーツの爪先には特殊な軽合金が仕込まれている。戦車に踏まれようと砕けぬ強度を持つそれが、ライバル企業の軍事部の開発品であるのは皮肉な話だが、ともあれ。
 硬い爪先で延髄を蹴り抜かれ、三人めと四人めは先のふたり共々、意識を失った。
 続けて琴美は、傍らに落ちた銃を拾い上げる。換えの弾倉を兵の腰から抜き出して交換し、なにもないはずの先へ銃口を据えて、今なお悶えている偽業者へ語りかけた。
「戦闘員ではないあなたの役割、私を騙すためだけではないでしょう?」
 驚愕に苦痛さえ忘れて跳ね上がる男。そう、彼の真の役割は――
 琴美が一発だけ撃ち放った弾の先で、ささやかな火花が灯る。数百メートル向こうに建つビルの屋上よりこちらを狙っていた、スナイパーのライフルが爆ぜて。
 ――男の役割は、スポッター。彼の位置取りと合図により、彼方のスナイパーは琴美を撃ち抜くタイミングを得る。しかし、早々に彼が機能しなくなったことでスナイパーもまた撃つ機を失い、待機するよりなくなっていたのだ。
「では、最後まで見届けていただきましょうか」
 手早く兵らを拘束し、カーゴへ放り込んだ琴美は男を同じように縛め、助手席へ追い立てた。
「これよりあなたの雇用主にお話をさせていただきにあがります。これ以上、お客様をご斡旋いただくお手間をかけていただくのは申し訳ありませんし」
 エンジンをかけ、アクセルを踏み込みながら、琴美はふと思い出した顔で。
「ああ、私には夕食の支度がありますので、午後の早いうちに済ませますよ」
 なんだこいつ、ほんと、なんなんだよ! 男は混乱の内でひとつだけ思い知った。この女、ガチでやべぇヤツだ……
 男の心を察してやる手間をかけたりせず、琴美はライバル企業の軍事開発部が全機能を置く郊外の施設へ向かう。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年01月27日

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