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『ハウスメイドの午後』
水嶋・琴美8036

 制限速度を守って64分。水嶋・琴美(8036)が運転するワゴン車は郊外にある施設へ到着した。
 ここは彼女の仕えるCEOが統括する複合企業のライバルであり、複合企業の吸収を狙ってさまざまな攻撃をしかけてきている某企業の軍事開発部、その本拠である。
「こちらでお待ちいただけますか」
 言いながら男の縛めを解き、琴美はドアを開けた。
 当然、男はどういうつもりだと問うたわけだが――
「あなた方プロフェッショナルが、プライドまで失うような真似を演じられますでしょうか?」
 できるはずがない。女ひとりにチームで挑んで叩きのめされたあげく、拘束を解いてもらったから助けを求めようなど。信用はいずれ取り戻せても、自分から投げ棄てたメンツは拾いようがない。
 言葉を詰めた男を置き去り、琴美は立ち入り禁止区域へ続く門の前に立った。
「私がここへ来るまでの経緯は、過去の事柄を含めましてすべて資料化し、世界中へ発信できるよう整えてあります。ですので、とりあえずは中に入れていただけますか?」
 遠隔操作で門が開き、琴美は悠然と踏み込んでいく。1歩でスマホのネット接続が切れ、3歩で通信機も使えなくなった。機密が扱われる場所なのだから当然の仕様だが、そうあってくれたことに感謝する。
 外へ漏らしたくないのは、私も同じですので。
 案の定、サウンド・サプレッサーで発射音を抑えた銃器の一斉射撃が琴美を出迎えたが、彼女を捉えることはかなわなかった。
 装備は充足しているようですが、訓練不足で集弾率が低いのはいただけませんね。
 基本的に企業間の抗争は金と情報で殴り合うものだ。暴力が必要な場合は外注で済ませればいい。しかし、内部機密を守るという防衛戦においては、金でどのようにでも動く外注は使えない。結果的に出動機会を与えられず、練度の上がらない“社員”を使うよりないのだ。

 琴美は遮蔽物を渡って銃弾を避け、軍事開発部の責任者が在るビルへと滑り込んだ。
 全エレベーターの回路を拾った銃で物理的に破壊し、その上で、責任者が万一の際に使う避難路を遡る。ビルの内部構造も責任者の所在も、すべて頭に叩き込んであった。
 暴力を効率的に行使するにも情報は不可欠だ。今日という日にその正しさを問うこととなったのは偶然だが、機会を得た以上は惜しみなく実証しよう。
 一定以上に練度の高い歩兵小隊を、拾いものの銃で片付けては新たな銃器を得てを繰り返しつつ退け、琴美は上へ向かう。
 そうして責任者が立て籠もっている階へまで登ったところで、彼女の前にひとりの男が立ちはだかった。
「ようやくそれなり以上の方とお会いできましたね」
 黒スーツの袖から抜き出したナイフを構えた、中肉中背の男。これまで遭遇したような兵士ではない。雇用主の安全を盾としてではなく、刃として守るボディガード――個としての暴力のプロフェッショナルである。
 半身構えから左手でナイフを突き込んでくる男。手首と肘のスナップを効かせることで、切っ先にトリッキーな軌道を描かせる。
 ボクシングの応用ですか。
 フリッカージャブと呼ばれるこの腕の繰りかたは、相手に防御タイミングを測りづらくさせる効果を生む。腕の振りだけで打つので威力が減じる難もあるのだが、ナイフを持つことでそれは払拭されていた。
 手首を払えば肘を返されて斬られる。肘を弾けば手首を返されて斬られるし、腕を払えば蹴りが飛んできて、琴美に息をつかせない。
 さすがは責任者の側付、というところですね。
 下がりながらこの鋭い突きをかわし、琴美は男の無機質な目を視線で撫で斬る。
 内の感情をまるで映さず、しかしこちらの全身を視界に収めた目。壁や天井を使って虚を突こうとも、引っかかってはくれないだろう。彼の伸びやかなナイフは、敵との間合を拡げて視界を保つ防御の手でもあるのだ。
 不意を突けないならこちらの手もまたひとつですが、その前に。
 琴美はもう一歩下がり、体を沈み込ませる。いや、体勢自体は変わっていない。階段の段差を使い、位置そのものを下げたのだ。これを為すため、彼女は追い立てられた体を装ってここまで退いてきた。
 男は惑うことなく突きを繰り出す。攻めを重ねて琴美が足を踏み外すか、そこまでいかずとも体勢を崩せばこちらの勝ちは決まる。
 しかし。琴美は首筋へ伸び来る刃に合わせ、左上段回し蹴りを蹴り込んだ。敵がこちらの胸から上を狙うよりない高低差を作ったのは、この蹴りを打つがため。
 果たして彼女の蹴りは、男が引き戻したナイフの柄頭で叩き落とされた。
 これでもう、あなたの手は知れましたよ。
 落とされた蹴り足を思いきり後ろへ振り抜き、琴美は自らの体を傾げながら鋭く回す。傾きは独楽さながらの回転に支えられ、男の右手に握り込まれていた小型拳銃より撃ち出された弾をやり過ごしてなお巡り――その中から放たれた回し蹴りが、男の首を意識ごと刈り取った。
「暴発の危険を冒してでも、後ろに置いた右手で蹴りを払うべきでしたね」
 崩れ落ちた男へ言い、琴美はあらためて階段を登った。
 左のナイフで翻弄し、最後は右に隠した銃でとどめを刺す。いい手だ。相手が琴美でなければ、問題なく決まっていた。
「互いに音を潜める必要がなければ別の手も見せていただけたのでしょうけれど。それだけが残念です」

 こちらも調べあげておいたコードを打ち込み、責任者が潜んでいる部屋の防弾ドアを開いた琴美は笑みを湛えて踏み込んだ。
「本日はお願いにあがりました。我が家にお客様をご紹介いただくこと、お控えいただきますよう」
 優美に一礼し、部屋のあちらこちらにいくつもしまれている緊急コールボタンの位置を指してみせる。
 もっとも、責任者が押せるものとは思っていない。これを押せば、ただひとりの女が真っ向からこのビルへ臨み、彼を追い詰めている事実を組織内に喧伝することとなるからだ。
 出世を志す者の天敵は、外敵よりも同じ立場にある同僚。組織人の性は、商材がなんであれ変わることはない。
「お恥ずかしいお話ですけれど、使用人は私ひとりきり。おもてなしをさせていただく手が足りておりません。それでもご紹介を差し止めていただけないご事情がおありでしたら、あなたの主様へお話させていただきますけれど?」
 彼の主といえば、この企業のCEOだ。あの男を害しようというなら、それこそ戦争レベルの騒動を引き起こす必要があろう。いくら埒外の戦闘力を備えていたとて、どうにもなるまい。
 恐怖と憤りにわななく男へ、琴美は笑みを傾げてみせ。
「お試しになられますか? あなたの持てる手を尽くして、私を止められるものかを」

 打ちひしがれた男を残し、琴美は来た路を辿ってワゴンへと戻った。
「お待たせいたしました。途中で私は降りますので、後はご自由に」
 結局ずっと待ち続けていたオペレーターたちを代表し、助手席の男が琴美へ問う。どこで降りるんだ?
「スーパーです。夕食には野菜を多く使い、しかしそうとお子様方に気づかれないチキンハンバーグを拵えなければなりませんので」
 今日の敵は少々食い足りなかった。せめて夕食くらいは充分に満ち足りたものにしよう。それがメイドの分を踏まえた贖いというものだ。
 琴美はアクセルを踏み込み、数時間の先をさして急ぐ。


東京怪談ノベル(シングル) -
電気石八生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年01月27日

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